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美月~mitsuki
美月~mitsuki
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時津風(ときつかぜ)【最終章】

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  ◇◆◇


 
 
 法要は滞りなく終えられた。
 親族たちが退席し、会場となっていた大広間では葬儀会社の人間が後片付けに追われている。赤司は広間から出た廊下に立ち、その様子を眺めながら携帯電話を耳に当てた。数度のコール音のあと、同い年の女子特有のやや甲高い声が『もしもし?』と電話に出る。
「桃井、久し振りだね。変わりはないかい?」
『赤司君!今日はお母さんの法事でしょう?電話して大丈夫?』
 赤司の脳裏に桃井の情報収集能力の事が浮かぶ。やはり花の手配をしたのは彼女のようだ。思わず笑いが漏れるのを堪えながら赤司は答えた。
「ついさっき終わったところだよ。これからまた慌ただしくなりそうだから、今のうちに礼をと思ってね。花をありがとう。母も喜んでいるよ。」
『ああ、無事に届いたんだね。ほんの気持ちだけど、みんな是非贈りたいって言っていたから。喜んで貰えて良かったぁ〜。』
 みんな是非───その言葉が胸に響く。
「──そうか。気を遣わせてしまったな。すまない。」
 その声の調子に何かを感じたのだろうか。電話の向こうの桃井が少し間を置いたあと言った。
『あの・・・みんな赤司君の事、心配していたよ。テツくんのお誕生日に会った時は元気そうで安心したけど、誰だってやっぱり負けは辛いもんね。負けず嫌いの赤司君なら尚更だと思うし。それに、赤司君は自分達の考えも及ばないような深いところで悩んだりするからってみんな言ってた。・・・まぁ、赤司君なら私達が心配するような事にはならないだろうけど。』
 『負け知らず』ではなく『負けず嫌い』という表現をしたところに桃井の気遣いを感じ、赤司は思わず苦笑する。
「そんな事はないよ。今は俺も自分の事で手一杯だ。まさに四苦八苦といったところだね。」
 それを聞いた桃井は一度沈黙したが、意を決したように口を開く。
『赤司君には本当はもっと早くに伝えたかったんだけど・・・私はずっと、またみんなが一緒に笑ってバスケ出来るようになればいいなって事ばかり考えてた。でも今思えばあの頃一番大変だったのは赤司君だったんじゃないかなって。あの時のみんなは次々と才能が開花して、本人でさえその変化に戸惑ってた。実際大ちゃんはすごく苦しんだし、今でもたまに夢でうなされるって言ってる。そんなみんなを赤司君は最後までまとめ上げたんだよね。本当に凄いと思う。でも逆に、まとめ上げなきゃいけない立場だったせいで自分の事は後回しになってたんじゃないかなってふと思ったの。もしかしたら、ずっと押し殺していた想いなんかもあったんじゃない?もしそうだったとしたら・・・気付いてあげられなくてごめんね。』
 赤司は無言だった。
 携帯を耳に当てたまま俯き、壁に掛けられた大鏡を背に寄り掛かる。桃井も赤司の沈黙に寄り添うようにしばらく黙ったあと、ぽつりと呟いた。
『──一緒にいるからね。』
 赤司の目が見開かれる。
 今聞いたばかりの言葉を思わず頭の中で反芻する赤司に、桃井は言葉を続けた。
『みんな一緒にいるから。赤司君は確かに凄い人だけど、なんの苦労も無くその凄さを維持してる訳じゃない事ぐらいは私達も分かってるつもりだよ。・・・私は女子でこんなだから赤司君の気持ちを汲むには役立たずかもしれないけど、他のみんなは同じ男子高校生でしょ?目線が同じっていうか・・・少しは気付いてあげられる事もあるかもしれないし。』
 赤司は鏡に頭を預け、目を閉じる。ああ、今日は本当に何という日なのだろう。一日のうちにこんなに色々な事が立て続けに起こることなどそうそうない。
 もう二度とあの日には戻れないと思っていたのに。自分を見ていてくれる人がいた。ここにも。こんなにも。
「ありがとう。・・・嬉しいよ。とても。」
 その言葉に桃井は電話口の向こうで照れ臭そうに少し笑った。
『近いうちに、またみんなでバスケしよ?大ちゃんなんて次はいつやるんだってうるさくって!そんなにやりたいなら自分から連絡すればいいのに、『俺は連絡役とかそういうの向いてねぇ』って、こういう時だけ変にまともなこと言うんだよ。』
 青峰の姿が目に浮かぶ。思わずくすりと笑うと赤司は顔を上げた。
「青峰らしいな。そうだね、また是非やろう。俺も楽しみにしている。本来であれば俺の方からみんなに直接礼を言うべきところなんだが、なかなか時間が取れそうにないんだ。すまないが桃井の方からよろしくと伝えておいてくれないか。」
『うん、分かった!伝えておくねっ!』
 嬉しそうに弾む桃井の声が耳に心地良い。誰かが喜ぶ姿に触れるのは、本当に心地良い。
「──・・・桃井。」
『うん?なあに、赤司君。』
 赤司はそこから正面に見えている、広間に飾られた母の遺影に目をやった。いつも変わらない微笑みを湛える母の顔が、祭壇の花に囲まれてこちらを見ている。
「バスケットをやっていて良かったよ。みんなに出逢えた事も。心からそう思う。」
『・・っ、赤司君・・・』
 電話の向こうで桃井が声を詰まらせたのが分かる。吐き出す息が震える音を耳にして赤司はふっと微笑み、これ以上の通話は無粋とばかりに『また連絡するよ。』と柔らかい声で言い残して電話を切った。
 母の遺影に視線を戻す。
 生まれて初めてバスケットボールを母から手渡された瞬間。あの一瞬が今のこうした時間に繋がるなど、あの時の自分は夢にも思っていなかった。
 ふわりと香の香りが赤司を包む。鼻が慣れたと思っていても案外忘れたころに香るものだなと思いつつ、赤司の意識は母の遺影に向けられていた。あの写真は幾つぐらいの時のものなのだろう。自分の記憶に残っている母よりも、少し若いように見える。赤司は背を起こすと寄り掛かっていた鏡を振り返った。こうして見ると、やはり自分は母親似なのだろうなと思う。髪の質や色は疑いようもないが、鼻の形や男の割に小さめの口元や線の細い顎、卵型の輪郭なども母によく似ていた。父の面影は切れ長で鋭い眼元に宿っているくらいだが、目元は人の印象を決める最も強い要素だ。父に似ていると言われる事も少なくないのはそのせいだろう。せめてもう少し骨太で上背があると身体の創り甲斐もあるのだが、どうやらそこは父親には似なかったらしい。遺伝の配分というものは自分の都合のいいようにはいかないものだなと赤司は内心溜息をついた。
 気付けば広間の祭壇はあらかた片付けられていた。業者の手で母の遺影が外されようとしている。京都に戻ればまた暫くは母のあの笑顔ともお別れだ。見収めという訳でもないが、祭壇から降ろされるその遺影に自然と赤司の視線が注がれる。
 ふとそこで赤司が眉を寄せた。
 もう一度鏡を振り返る。
 見慣れた自分の顔。今朝シャワーを浴びた後に自室の洗面所で見た自分の顔がそこに重なる。あの時、自分は何かを感じなかっただろうか。
「征十郎。」
 声を掛けられハッとする。鏡の前で振り返ると、そこに父が立っていた。
「何をぼんやりしている。そろそろ院主様がお発ちになられる時間だ。」
 言われて赤司は腕の時計に目をやった。予め正面の車寄せに車を回しておくよう言い付けてはあったが、もうそんな時間になっていたか。
「すぐに参ります。」