「FRAME」 ――邂逅録1 不易編
「FRAME」 ――邂逅録1 不易編
召喚されたのは、見覚えのある物置のような場所。
少し埃っぽく、ひんやりとした空気が張り詰めているように感じる。
この場所には覚えがある。
とても馴染みの深い場所だった。
(ここは、土蔵だ。かつて、私はここで……)
思考に沈みそうになり、気を取り直すように深呼吸をする。視線を上げ、開け放たれた扉の近くに立つ人影を見据える。
「久しぶりね、アーチャー……、いいえ、英霊エミヤと呼ぶべきかしら?」
射し込む月明かりに浮かぶ女性の白い面が、ゆったりと微笑んだ。
名を呼ばれることも、一時期の名称を呼ばれることも、どこか落ち着かず、エミヤは何も言わずに眉を顰めるにとどめた。
「やっぱり、記憶はないわよね。えっと、何から話せばいいかしら……」
「いや……、問題ない」
「え?」
「凛、大人になったな」
エミヤは微笑んだ。驚きに目を見開いたままの女性――遠坂凛は、すぐに足を踏み出し、エミヤに突っ込んでくる。
「アーチャー!」
飛びついてきて、細い腕をエミヤの首へ回し、まるで久方ぶりに会う恋人にするように凛は抱きついた。
「覚えてないと思っていたのに! 記憶があるんじゃない!」
喜びつつ責め立てる凛に苦笑をこぼしながら、エミヤは凛の背中を宥めるように軽く叩く。
「ああ。聖杯戦争の記憶だけは、なぜか残っている。君のことも覚えているよ」
ようやく落ち着いたのか、凛はエミヤから腕を放し、少し離れて見上げてくる。
「アーチャー、ほんとによかった……」
少し涙ぐみ、うれしげに笑う凛は、すっかり大人の女性だ。美しく成長したかつての主に、エミヤは少々戸惑ってしまう。
「君は、その……、いくつになった?」
「もう! レディに歳なんて訊くものじゃないでしょ!」
「ああ、そうだな、すまない」
「ふふ、謝らなくっていいわよ。二十五。あれから八年よ」
そうか、とエミヤは頷く。
「ところで、なぜ私は召喚されている? まさか、また聖杯戦争か?」
笑っていた凛の顔に、さっと翳が落ちた。
「凛?」
「……アーチャー、助けてほしいの」
「助ける? 君を助けるのであれば、頼まれなくとも――」
「違うの! 士郎を、助けて!」
驚きでエミヤは言葉が出なかった。
凛は必死な顔でエミヤを見上げている。その表情でエミヤは尋常ではない事態なのだと把握した。
「凛、いったい何があった?」
「時間がないから、移動しながら説明するわ。ついてきて」
凛は言いながら外へと出る。
凛に霊体で続きながら、エミヤは振り返った。
過去に己が過ごした家――衛宮邸はひっそりとして、人気を感じさせない。この無駄に広い武家屋敷には誰も住んでいないことがすぐにわかった。
(衛宮士郎は、いったい何をしているのか……)
己の道を間違いではないと言い切った少年は、今、どこで何をしているのかと、エミヤは胸騒ぎに戸惑いながら、かつて過ごした地を後にした。
移動中、衛宮士郎に何があったのか、と訊けば、凛は目を伏せて、悔しげな表情を隠すこともしなかった。
「詳しいことは、私も知らないの……、本人から聞いたわけじゃないから……」
そう言って息を吸い、彼女は少し辛そうに口を開く。
「ただ、あいつは、もう……、人を信じない。それだけは、わかるの」
驚いていると、裏切られたのよ、と凛は続けた。どこかで聞いた話だ、とエミヤはため息をついてしまう。
「裏切られて、見捨てられた」
凛の苦々しさを含む声がする。
聞けば、士郎の所属していた一団は複数国からなかったことにされたのだという。
「なかったこと?」
エミヤが問うと、凛は頷く。
発端は、国際ボランティアの数人と民間人がテロ組織に捕まり、彼らを救出するために交渉をしてほしいと、その一団が依頼を受けたことだった。
テロ組織と交渉をはじめた、その一団に士郎がいた。
だが、結局、交渉は頓挫し、交渉していた者も、捕虜も放置された。
交渉が開始された矢先に、各国は手のひらを返したのだ。
なんだかんだと理由は後付けされていたが、結局のところ、法外な身代金の要求と言いたい放題のテロ組織に匙を投げた、というのが本当の所らしい。
だが、そんな各国の事情を知らないその一団と捕虜は、丸ごと空爆で黙らされたという。
そんな非道が行われて、報道されないわけがないのだが、一切表には出ず、その一件はなかったことにされたらしい。
だが、魔術協会にはそれなりの情報網があるため、凛の耳には、そのいきさつや背景が入っている。
「士郎はきっと、最後まで諦めなかったと思うの。結局、魔術師として協会には残らなかったけど、あいつは、たぶん、必死に戦おうとしていたんじゃないかしらね……」
そう言って、凛は目を伏せた。エミヤはかける言葉も浮かばない。
テロ組織も捕虜もその一団も、軒並み焼き払われ、無かった事として全て藪の中。その中にあった士郎は何を思っただろうか……。
アレは己と同じような轍を踏んだのかと、エミヤはやりきれなくなる。
「でもね、それだけで話は終わらないの」
凛は唇を引き結ぶ。
その一件の数ヶ月後、死んだはずの士郎が生きていると、奇跡だと、持て囃されはじめた。きっかけは、数十秒の画像。
表に出ないはずのその事件が知れ渡ったのは、流出したその画像が全世界に流布されたからだ。
凛がエミヤに見せたのは、それを印刷したもの。白黒で、監視カメラの映像をプリントアウトしたような写真だった。
探査機に搭載されていたカメラの録画した画像は、瓦礫の中に座り込んだ人物が、こちらを睨んでいる姿を捉えていた。
この画像の人物は、探査機の、しかもカメラ部分を見ている。遥か上空を飛ぶ探査機のカメラなど普通の人間に見えるものではない。ただ顔を上げただけでなく、画像写真でもわかるほどに、その視線は一点のカメラを見ているのだ。
これが出回り、どこかからその素性が漏れ、紛争地で噂に尾ひれが付き、今や衛宮士郎はテロ組織や反政府組織の英雄扱い。
いいように担がれていることに本人が何を思っているのかは知るよしもないが、その髪色から、ブロンズ、ブラウンなどという通称で祭り上げられているらしい。
そして、爆撃の中を生き延びた士郎は国際社会を敵にしている。その上、反社会組織の幹部となっており、時計塔で学んでいたこともあって、魔術協会からも手配されるようになっていた。
「もう、協会が手を出すような事案じゃないわよ」
腹立たしげな顔で凛は言い切った。
乾いた風に砂埃が舞う。
破壊された遺跡は跡形もなく、空爆を行った爆撃機も今は影も形も見えない。
土煙の中に立つのは、髪で右側の面を隠し、左手に剣を持つ男。
数メートルの距離を取って、魔術師が周囲を囲んでいることに、大層なことだな、と男は嘯く。
取り囲んだ魔術師たちの後方にいたエミヤは、しばらく彼らの小競り合いを見ていた。
魔術の攻撃も物理的な攻撃も埒があかず、多勢に無勢でありながら、魔術師たちはたった一人の男を攻めあぐねている。
本当に魔術協会は、あの男を始末する気があるのか、とエミヤは疑いたくなる。
(ああ、そうか、凛が……)
召喚されたのは、見覚えのある物置のような場所。
少し埃っぽく、ひんやりとした空気が張り詰めているように感じる。
この場所には覚えがある。
とても馴染みの深い場所だった。
(ここは、土蔵だ。かつて、私はここで……)
思考に沈みそうになり、気を取り直すように深呼吸をする。視線を上げ、開け放たれた扉の近くに立つ人影を見据える。
「久しぶりね、アーチャー……、いいえ、英霊エミヤと呼ぶべきかしら?」
射し込む月明かりに浮かぶ女性の白い面が、ゆったりと微笑んだ。
名を呼ばれることも、一時期の名称を呼ばれることも、どこか落ち着かず、エミヤは何も言わずに眉を顰めるにとどめた。
「やっぱり、記憶はないわよね。えっと、何から話せばいいかしら……」
「いや……、問題ない」
「え?」
「凛、大人になったな」
エミヤは微笑んだ。驚きに目を見開いたままの女性――遠坂凛は、すぐに足を踏み出し、エミヤに突っ込んでくる。
「アーチャー!」
飛びついてきて、細い腕をエミヤの首へ回し、まるで久方ぶりに会う恋人にするように凛は抱きついた。
「覚えてないと思っていたのに! 記憶があるんじゃない!」
喜びつつ責め立てる凛に苦笑をこぼしながら、エミヤは凛の背中を宥めるように軽く叩く。
「ああ。聖杯戦争の記憶だけは、なぜか残っている。君のことも覚えているよ」
ようやく落ち着いたのか、凛はエミヤから腕を放し、少し離れて見上げてくる。
「アーチャー、ほんとによかった……」
少し涙ぐみ、うれしげに笑う凛は、すっかり大人の女性だ。美しく成長したかつての主に、エミヤは少々戸惑ってしまう。
「君は、その……、いくつになった?」
「もう! レディに歳なんて訊くものじゃないでしょ!」
「ああ、そうだな、すまない」
「ふふ、謝らなくっていいわよ。二十五。あれから八年よ」
そうか、とエミヤは頷く。
「ところで、なぜ私は召喚されている? まさか、また聖杯戦争か?」
笑っていた凛の顔に、さっと翳が落ちた。
「凛?」
「……アーチャー、助けてほしいの」
「助ける? 君を助けるのであれば、頼まれなくとも――」
「違うの! 士郎を、助けて!」
驚きでエミヤは言葉が出なかった。
凛は必死な顔でエミヤを見上げている。その表情でエミヤは尋常ではない事態なのだと把握した。
「凛、いったい何があった?」
「時間がないから、移動しながら説明するわ。ついてきて」
凛は言いながら外へと出る。
凛に霊体で続きながら、エミヤは振り返った。
過去に己が過ごした家――衛宮邸はひっそりとして、人気を感じさせない。この無駄に広い武家屋敷には誰も住んでいないことがすぐにわかった。
(衛宮士郎は、いったい何をしているのか……)
己の道を間違いではないと言い切った少年は、今、どこで何をしているのかと、エミヤは胸騒ぎに戸惑いながら、かつて過ごした地を後にした。
移動中、衛宮士郎に何があったのか、と訊けば、凛は目を伏せて、悔しげな表情を隠すこともしなかった。
「詳しいことは、私も知らないの……、本人から聞いたわけじゃないから……」
そう言って息を吸い、彼女は少し辛そうに口を開く。
「ただ、あいつは、もう……、人を信じない。それだけは、わかるの」
驚いていると、裏切られたのよ、と凛は続けた。どこかで聞いた話だ、とエミヤはため息をついてしまう。
「裏切られて、見捨てられた」
凛の苦々しさを含む声がする。
聞けば、士郎の所属していた一団は複数国からなかったことにされたのだという。
「なかったこと?」
エミヤが問うと、凛は頷く。
発端は、国際ボランティアの数人と民間人がテロ組織に捕まり、彼らを救出するために交渉をしてほしいと、その一団が依頼を受けたことだった。
テロ組織と交渉をはじめた、その一団に士郎がいた。
だが、結局、交渉は頓挫し、交渉していた者も、捕虜も放置された。
交渉が開始された矢先に、各国は手のひらを返したのだ。
なんだかんだと理由は後付けされていたが、結局のところ、法外な身代金の要求と言いたい放題のテロ組織に匙を投げた、というのが本当の所らしい。
だが、そんな各国の事情を知らないその一団と捕虜は、丸ごと空爆で黙らされたという。
そんな非道が行われて、報道されないわけがないのだが、一切表には出ず、その一件はなかったことにされたらしい。
だが、魔術協会にはそれなりの情報網があるため、凛の耳には、そのいきさつや背景が入っている。
「士郎はきっと、最後まで諦めなかったと思うの。結局、魔術師として協会には残らなかったけど、あいつは、たぶん、必死に戦おうとしていたんじゃないかしらね……」
そう言って、凛は目を伏せた。エミヤはかける言葉も浮かばない。
テロ組織も捕虜もその一団も、軒並み焼き払われ、無かった事として全て藪の中。その中にあった士郎は何を思っただろうか……。
アレは己と同じような轍を踏んだのかと、エミヤはやりきれなくなる。
「でもね、それだけで話は終わらないの」
凛は唇を引き結ぶ。
その一件の数ヶ月後、死んだはずの士郎が生きていると、奇跡だと、持て囃されはじめた。きっかけは、数十秒の画像。
表に出ないはずのその事件が知れ渡ったのは、流出したその画像が全世界に流布されたからだ。
凛がエミヤに見せたのは、それを印刷したもの。白黒で、監視カメラの映像をプリントアウトしたような写真だった。
探査機に搭載されていたカメラの録画した画像は、瓦礫の中に座り込んだ人物が、こちらを睨んでいる姿を捉えていた。
この画像の人物は、探査機の、しかもカメラ部分を見ている。遥か上空を飛ぶ探査機のカメラなど普通の人間に見えるものではない。ただ顔を上げただけでなく、画像写真でもわかるほどに、その視線は一点のカメラを見ているのだ。
これが出回り、どこかからその素性が漏れ、紛争地で噂に尾ひれが付き、今や衛宮士郎はテロ組織や反政府組織の英雄扱い。
いいように担がれていることに本人が何を思っているのかは知るよしもないが、その髪色から、ブロンズ、ブラウンなどという通称で祭り上げられているらしい。
そして、爆撃の中を生き延びた士郎は国際社会を敵にしている。その上、反社会組織の幹部となっており、時計塔で学んでいたこともあって、魔術協会からも手配されるようになっていた。
「もう、協会が手を出すような事案じゃないわよ」
腹立たしげな顔で凛は言い切った。
乾いた風に砂埃が舞う。
破壊された遺跡は跡形もなく、空爆を行った爆撃機も今は影も形も見えない。
土煙の中に立つのは、髪で右側の面を隠し、左手に剣を持つ男。
数メートルの距離を取って、魔術師が周囲を囲んでいることに、大層なことだな、と男は嘯く。
取り囲んだ魔術師たちの後方にいたエミヤは、しばらく彼らの小競り合いを見ていた。
魔術の攻撃も物理的な攻撃も埒があかず、多勢に無勢でありながら、魔術師たちはたった一人の男を攻めあぐねている。
本当に魔術協会は、あの男を始末する気があるのか、とエミヤは疑いたくなる。
(ああ、そうか、凛が……)
作品名:「FRAME」 ――邂逅録1 不易編 作家名:さやけ