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「FRAME」 ――邂逅録1 不易編

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 生きて捕獲しろとでも命令をしたのかもしれないと思い至る。
(彼女は、今もあの男には甘いらしい……)
 仕方がない、とため息をこぼして歩を進める。
 エミヤは不遜な笑みを浮かべる男の姿を見据えつつ、魔術師の作る輪の中に入った。
 赤い外套が風に翻る。
 男は目を剥き、呆然とエミヤを見ている。
 両者、数メートルの距離をあけて睨みあった。
 いや、睨んでいるのはエミヤだけで、呆然としていた男は、まるで他人事のように興味を失った顔でエミヤを見ていたが、やがて口端を上げて薄く笑みを浮かべた。
 なんとも言えない不気味な笑い顔に、何を話すこともなく、構えることもなく、ただエミヤは向き合う。
 その変わり果てた姿を見る。外見にさほど聖杯戦争の頃との差はない。
 だが、中身は別人のようにエミヤには感じられた。
(あの少年は、こんな笑い方をしない……)
 薄く冷笑を湛えたその顔を忌々しく思う。やけに己が感傷めいた気分でいることに、エミヤは、は、と短く息を吐く。
 とにかく、と気を取り直した。
 エミヤはこの男を止めなければならないのだ。
 凛の願いは、この男を生きたまま捕獲することだ。
 だから、彼女はこの男には敵いそうにない者を集めたのだ。魔術協会は、生死を問わず確保を命じていたが、凛は助けたいと言った。
 両手に馴染んだ夫婦剣を投影する。
 ひく、と男の左目尻が引き攣るのが見えた。
 前の魔術師たちとの小競り合いで、髪で隠れた右目は見えていないと確信がある。エミヤは剣を構えもせずに立つ男――衛宮士郎の右側に回り込んだ。
「手薄だと、思ったか?」
 笑いを含んだ声に、エミヤは動きを止めた。ごり、と眉間に硬く冷たい物が当たる。
 信じられない思いで、目の前に立つ士郎を見る。
「何をぶち込まれたい?」
 ニィ、と笑う士郎がエミヤに向かい、少し首を傾けた。
「なんでもいいぞ? ダミーでも、ペイントでも、お望みなら、鉛でも。無限に出してやる」
 エミヤは目を剥いた。
 あまりにも変わり果てた士郎の言動に、戸惑うほかない。
(だが、止めなければ……!)
 凛が必死になって願ったことを無碍にはできない。やはり彼女はエミヤにとって特別な存在だった。
「衛宮士郎、馬鹿なことはやめろ。お前のやっていることは――」
「鉛がいいらしいな」
 不気味に笑っていた顔が、すっと表情を失くす。
 かち。
 エミヤの言葉を遮った士郎は、撃鉄を上げた。同時に、トレースオン、と微かな声が聞こえる。
 その言葉すら呪わしい。
 エミヤは思わずにはいられない。
 己と同じ言葉で鉛弾を投影するなど、と苦々しく歯噛みする。
 士郎の指が引き金を引く寸前、エミヤの剣が銃を破壊した。
「チッ」
 舌打ちとともに距離を取ろうとした士郎は、がく、と不自然に動きを止めた。
「な……」
 エミヤは声を呑む。士郎は自ら止まったのではなく、止められている。
 背中からその身を貫き、士郎の胸の中心から槍の穂先が現れ、そのまま地面に突き立った。
 その一瞬の出来事をまるでスローモーションのように感じながら、エミヤは手も出せずに見ていただけだった。
「か、はっ……」
 血を吐いた士郎の身体は、槍で地に縫い付けられている。槍は魔術師の一人が放った物のようで、魔力が感じられた。確実に士郎の身体を貫くように術をかけられた物なのだろう。
 苦しげに槍の柄を握って顔を上げ、中空を見上げた隻眼の琥珀色は、砂埃の向こうの青空を映していた。
「エミ……ヤ……」
 士郎の唇が震えながら動く。
 咄嗟に士郎を立ったまま縫い付けた槍を剣で薙ぐ。
 何も考えてなどいなかった。
 支えを失い、くずおれた身体を受け止め、膝をついた士郎の両肩をエミヤは支えていた。
「なぜ、こんなことを!」
 士郎は答えない。ただ、彷徨う琥珀の瞳が、どうしようもなく悲しい色をしていた。
 エミヤは憤ることしかできない。
 どうしてこんな目にあっているのか、どうして衛宮士郎が人類の敵になどなっているのか、と。
「せかい、の、けいやく、ってさ……ざん、こく……だな……」
「衛宮士郎?」
「っ、……なあ……」
 呼吸を続けようとしているのか、肩が揺れている。だが、もう、呼吸などできていないだろう。
「……そらは……あおい、か……?」
 訊かれてエミヤは顔を上げる。砂埃の先には微かに青空が見えた。
「ああ、青いぞ、衛宮し……」
 顔を下ろして、口を閉ざす。士郎の身体はすでに機能を止めていた。
 ぐったりとした身体をそっと横たえる。
「なぜだ、衛宮士郎……、魔術師すら敵にし、最期まで何に抗っていた……」
 エミヤにはわからない。
 あの聖杯戦争で己を救ったとも言える少年の成れの果てが、こんな姿だとは信じ難い。
 虹彩を失っていく瞳が最期まで見ていたものはなんだったのか。
 琥珀色の瞳を保ちながら逝った士郎を、エミヤは微かに羨ましいと思いながら、救えなかった後悔が、じわり、と胸に広がるのを、どうすることもできなかった。


「すまない……」
「いいえ……」
 俯いた凛の口から呟きがこぼれる。
「いいの、あなたのせいじゃないわ、アーチャー……」
 乾いた風が、彼女の黒髪を揺らしている。
「私もあいつを救えなかったもの……。あなたを見れば、あいつも思い出すかもしれないって、思ったの……。自分の理想を、あいつに、思い出して……ほしかったの……」
 嗚咽を押し殺した震える声が痛々しい。
「凛……、君を、助けられなかったな……」
 大丈夫、と凛は首を振りながら顔を上げた。
「悪いのは、あいつよ。あのバカ弟子……」
 頬を滑った雫を拭って、エミヤは凛を抱き寄せた。
「すまない、凛」
 後味の悪い、苦い想いを噛みしめる。
 どうしてだ、と疑問しか浮かばない。
 なぜ、衛宮士郎はこんなことをしたのかと憤るだけだ。
「アーチャー、こんなことのために、喚び出してごめんなさい」
 エミヤの胸元を押して、凛は顔を上げ、半歩下がる。
「いや……」
「契約、解除するわね」
 エミヤを引き留めておく理由がない凛は、契約を解除すると告げる。勝手をしてごめんなさい、と謝りながら。
「……凛、その……、大丈夫か?」
 凛はやや目を丸くして、やがて微笑んだ。
「ええ。知ってるでしょ、私、魔術師だもの」
 すっきりと笑った彼女は、もう通常の彼女だ。涙も見せない。
「……ああ。そうだったな」
 エミヤは頷き、凛との契約は解除された。



「…………」
 目を開けると、乾いた土が見えた。
「戻ったのか……」
 苦々しい想いに、エミヤは片手を額に当てた。
「なぜだ、衛宮士郎……」
 凛の泣き顔が、いまだ瞼に残っている。
 座に戻るとすぐに記憶を整理するのが常なのだが、いつも以上に冷静になれず、エミヤは、ごろり、と砂礫の上に寝転んだ。
 苦い記憶は何度も繰り返している。吐き気を覚えながら記憶を整理したこともある。
 だが、こんな虚しさは初めてだった。
「何も……できなかった……」
 凛に衛宮士郎を助けてくれと言われたが、救えなかった。
 ため息がこぼれる。手の甲を目元に載せた。
 エミヤは結局、凛の希望を叶えられなかった。士郎を救うことはできなかったのだ。