「FRAME」 ――邂逅録2 弧愁編
「FRAME」 ――邂逅録2 弧愁編
「空が、青いな」
そう言って、エミヤは笑っていた。
その横顔を見た時、よくわからない高揚と胸苦しさを感じていた。
「いつも、空を見るのか?」
士郎が訊けばエミヤは少し考え、首を捻る。
「なんだよ? そんなに考え込むことか?」
笑いを含んで言えば、エミヤはムッとしている。
「そうだったかどうかを、思い出そうとしていただけだ」
コーヒーを注いだステンレス製のカップを差し出すと、不機嫌に言いながら受け取ったエミヤは、一口飲んで息をつく。
木の幹にもたれるように座るエミヤに、どうかしたか、と不思議に思って訊くと、エミヤは士郎の視線から逃れるように目を逸らした。
士郎も、ずず、とコーヒーをすすりながら隣に腰を下ろして、エミヤの言葉を待つ。
「記憶は……ない。召喚される時にリセットされるのでな」
「え……」
驚きとともに、ざわざわと胸に広がる虚無感に士郎は戸惑う。
「なに、座に戻れば……、どうした、衛宮士郎?」
士郎に視線を戻したエミヤが少し驚いた顔をしている。
「あ、ああ、いや、覚えてないんだな、って、思って……」
「聖杯戦争の記憶はあるのだがな、他は全てない。“仕事”に必要のないことは、座の本体が蓄積しているだけで、召喚されるとキレイにリセットされる」
「なんか、それって……」
言葉を失くす士郎に、エミヤは肩を竦めた。
「端末のようなものだ」
「端末?」
「ああ。本体のサーバーに膨大な量の情報を保管して、端末には必要最低限の情報を入れ、動きを軽くする。どこぞのネットワークのような」
エミヤは笑っていたが、士郎は少しも笑えなかった。
そんなことを言って笑うのは、おかしい。
そんなものだと自身を嗤うエミヤが、ひどく悲しい存在に思えてしまう。
何も言えなくなる士郎に、エミヤは苦笑いを浮かべていた。
「そんな顔をするな。お前が間違いではないと言ったのだぞ」
「そ、それはっ、アンタの歩いてきた道のことだろ! そんな、機械じみた例えとかのことじゃない!」
言い募る士郎の頭に、ぽす、とゴツゴツした手が載せられた。戦い続けた、いや、今も戦い続ける手だ。強く、逞しく、確固たる意志を持った、士郎が理想とする頑強な手。
その手を感じるだけでエミヤの辿ってきた道が、今も歩き続ける道がわかる。
(こんなに真っ直ぐに闘っているのに、端末だとか……、冗談じゃない!)
そういう存在だ、とエミヤ自身が納得していても、士郎にはどうしても彼が悲しい存在に思えてしまう。
だが、そんなことを勝手に思うのは、エミヤにとって失礼な話だと、自分の思いを誤魔化すように士郎はムッとしてエミヤを上目で見る。
「何してんだよ?」
頭に載せられた手に、そのままガシガシと荒く撫でられる。士郎を見返すエミヤは、別段、表情があるわけでもない。
エミヤの意図がわからず、されるがままでいると、ふ、とエミヤは柔らかく笑った。
「リセットと言っても完全に消えるのとは少し違う。既視感を覚えることもあるのだ。ということは、経験したことを私はどこかで覚えている。それが本体からの影響か、なんらかの欠陥かはわからないがな。だからこそ、空を見上げると、青いのだな、と安堵する。その理由はわからずとも、その感慨を私は覚えている。私はそれでいいと思っている……」
「だけどっ、」
頭をその肩に引き寄せられ、エミヤに声を塞がれた。
「それで、いいと、思うが……、ああ、なんだ、その、こんなことに憤られたのは初めてでな、どう答えたらいいものかわからないが、お前にそんな顔をされると、記憶くらい、あってもいいのではないかと、思ってしまう……」
ためらいがちに言葉を紡ぐ姿など初めてだった。士郎の知るエミヤは、つらつらと厭味を吐き、正しさを口にし、いつも士郎に口ごたえをする隙すら与えぬ男だった。
「アーチャー……」
自分の言葉にこういう反応をすると思ってもいなかった士郎は驚きを隠せない。そして、素直にうれしいと思った。自分の言葉が、エミヤになんらかの波紋を投げかけている、とわかる。
聖杯戦争の時には、何を語り合うこともなく、互いの信条をぶつけ合っただけで、お互いに理解はしていたが、こんなふうに、どこかわかり合えたような感覚に陥ることなどなかった。
今、五年ぶりに会った未来の姿であるエミヤは、自身の過去である士郎を消そうとも思っておらず、ただ真摯に自らの選んだ道である“仕事”に打ち込んでいる。
士郎はそれでいいと思う。やっていることは、やはり辛いことが多いだろうが、それでもどこか、今、目の前にいるエミヤは、達観している。吹っ切れた感じが士郎には見て取れるのだ。
エミヤの手が離れて顔を起こすと鈍色の瞳と目が合う。
「がんばってんだな、アーチャー。遠坂に会ったらさ、伝えておくよ、アーチャーはがんばってるぞって」
「衛宮士郎、やはり言っておくべきだと思うので、言っておくが……」
少し困惑したような顔でエミヤは言い澱む。
「なんだよ?」
「アーチャーというのは、聖杯戦争のクラス名であって、私はエミヤだ。したがって、アーチャーと呼ばれるのは、やはり間違いだと指摘したい」
「……い、今さらかよ。さ、最初に言えばよかっただろ! 俺、何回かアーチャーって、呼んじまっただろ!」
「以後でかまわないので、私のことは、エミヤと――」
「わ、わかったって!」
士郎は、しつこい、と少し顔を赤くして声を荒げた。
たくさん話をした。エミヤには聖杯戦争以外の記憶が無いため、もっぱら話題は士郎のことばかりだったが、時計塔で学んだことや、このSAVEに入った経緯や、魔術のことも周りの気配を気にしながら話した。
エミヤは時折、厭味や小言を加えながらも、終始頷いて、穏やかに士郎の話を聞いていた。
やがて日が暮れはじめる。
準備の整った今夜、人質救出と不穏分子殲滅のために戦闘がはじまる。
「アー……、エ、エミヤ、還る前に、顔、見せてくれよ?」
「了解した」
士郎が拳を胸元に上げると、エミヤは拳を当ててきた。
「さあ、“仕事”の時間だ」
立ち上がったエミヤに、
「だな」
と、士郎も答えて立ち上がる。
これから、ひと仕事を終えなければならない。
「後でな」
士郎の声に、ふ、と笑ったエミヤは、生成りの外套を翻した。
“仕事”は終わり、別れの時が近づき、士郎は打ち上げで盛り上がる仲間の許から、ひとり離れた。
夜明けを待つ空は薄墨色が広がっている。
「空が青いって……」
エミヤが空を見上げてその青さを確認するのは、癖なのかもしれない。
何度も見上げる空の色が変わっていないことを、覚えのない青い空を見て安心しているのかもしれない。
繰り返される守護者としての役割を淡々とこなしていく上で、苦しさに喘いで見上げた空がきっと綺麗だと思ったのではないか。
召喚されたエミヤは覚えていないのだろうが、ずっとその想いや気持ちは、その胸の内に残っている。
記憶という付随する情報は一切、切り落とされてしまっていても、胸に残った熾火のような燻りを、エミヤは持っている。
「だから、見上げてしまうんだろうな……」
「空が、青いな」
そう言って、エミヤは笑っていた。
その横顔を見た時、よくわからない高揚と胸苦しさを感じていた。
「いつも、空を見るのか?」
士郎が訊けばエミヤは少し考え、首を捻る。
「なんだよ? そんなに考え込むことか?」
笑いを含んで言えば、エミヤはムッとしている。
「そうだったかどうかを、思い出そうとしていただけだ」
コーヒーを注いだステンレス製のカップを差し出すと、不機嫌に言いながら受け取ったエミヤは、一口飲んで息をつく。
木の幹にもたれるように座るエミヤに、どうかしたか、と不思議に思って訊くと、エミヤは士郎の視線から逃れるように目を逸らした。
士郎も、ずず、とコーヒーをすすりながら隣に腰を下ろして、エミヤの言葉を待つ。
「記憶は……ない。召喚される時にリセットされるのでな」
「え……」
驚きとともに、ざわざわと胸に広がる虚無感に士郎は戸惑う。
「なに、座に戻れば……、どうした、衛宮士郎?」
士郎に視線を戻したエミヤが少し驚いた顔をしている。
「あ、ああ、いや、覚えてないんだな、って、思って……」
「聖杯戦争の記憶はあるのだがな、他は全てない。“仕事”に必要のないことは、座の本体が蓄積しているだけで、召喚されるとキレイにリセットされる」
「なんか、それって……」
言葉を失くす士郎に、エミヤは肩を竦めた。
「端末のようなものだ」
「端末?」
「ああ。本体のサーバーに膨大な量の情報を保管して、端末には必要最低限の情報を入れ、動きを軽くする。どこぞのネットワークのような」
エミヤは笑っていたが、士郎は少しも笑えなかった。
そんなことを言って笑うのは、おかしい。
そんなものだと自身を嗤うエミヤが、ひどく悲しい存在に思えてしまう。
何も言えなくなる士郎に、エミヤは苦笑いを浮かべていた。
「そんな顔をするな。お前が間違いではないと言ったのだぞ」
「そ、それはっ、アンタの歩いてきた道のことだろ! そんな、機械じみた例えとかのことじゃない!」
言い募る士郎の頭に、ぽす、とゴツゴツした手が載せられた。戦い続けた、いや、今も戦い続ける手だ。強く、逞しく、確固たる意志を持った、士郎が理想とする頑強な手。
その手を感じるだけでエミヤの辿ってきた道が、今も歩き続ける道がわかる。
(こんなに真っ直ぐに闘っているのに、端末だとか……、冗談じゃない!)
そういう存在だ、とエミヤ自身が納得していても、士郎にはどうしても彼が悲しい存在に思えてしまう。
だが、そんなことを勝手に思うのは、エミヤにとって失礼な話だと、自分の思いを誤魔化すように士郎はムッとしてエミヤを上目で見る。
「何してんだよ?」
頭に載せられた手に、そのままガシガシと荒く撫でられる。士郎を見返すエミヤは、別段、表情があるわけでもない。
エミヤの意図がわからず、されるがままでいると、ふ、とエミヤは柔らかく笑った。
「リセットと言っても完全に消えるのとは少し違う。既視感を覚えることもあるのだ。ということは、経験したことを私はどこかで覚えている。それが本体からの影響か、なんらかの欠陥かはわからないがな。だからこそ、空を見上げると、青いのだな、と安堵する。その理由はわからずとも、その感慨を私は覚えている。私はそれでいいと思っている……」
「だけどっ、」
頭をその肩に引き寄せられ、エミヤに声を塞がれた。
「それで、いいと、思うが……、ああ、なんだ、その、こんなことに憤られたのは初めてでな、どう答えたらいいものかわからないが、お前にそんな顔をされると、記憶くらい、あってもいいのではないかと、思ってしまう……」
ためらいがちに言葉を紡ぐ姿など初めてだった。士郎の知るエミヤは、つらつらと厭味を吐き、正しさを口にし、いつも士郎に口ごたえをする隙すら与えぬ男だった。
「アーチャー……」
自分の言葉にこういう反応をすると思ってもいなかった士郎は驚きを隠せない。そして、素直にうれしいと思った。自分の言葉が、エミヤになんらかの波紋を投げかけている、とわかる。
聖杯戦争の時には、何を語り合うこともなく、互いの信条をぶつけ合っただけで、お互いに理解はしていたが、こんなふうに、どこかわかり合えたような感覚に陥ることなどなかった。
今、五年ぶりに会った未来の姿であるエミヤは、自身の過去である士郎を消そうとも思っておらず、ただ真摯に自らの選んだ道である“仕事”に打ち込んでいる。
士郎はそれでいいと思う。やっていることは、やはり辛いことが多いだろうが、それでもどこか、今、目の前にいるエミヤは、達観している。吹っ切れた感じが士郎には見て取れるのだ。
エミヤの手が離れて顔を起こすと鈍色の瞳と目が合う。
「がんばってんだな、アーチャー。遠坂に会ったらさ、伝えておくよ、アーチャーはがんばってるぞって」
「衛宮士郎、やはり言っておくべきだと思うので、言っておくが……」
少し困惑したような顔でエミヤは言い澱む。
「なんだよ?」
「アーチャーというのは、聖杯戦争のクラス名であって、私はエミヤだ。したがって、アーチャーと呼ばれるのは、やはり間違いだと指摘したい」
「……い、今さらかよ。さ、最初に言えばよかっただろ! 俺、何回かアーチャーって、呼んじまっただろ!」
「以後でかまわないので、私のことは、エミヤと――」
「わ、わかったって!」
士郎は、しつこい、と少し顔を赤くして声を荒げた。
たくさん話をした。エミヤには聖杯戦争以外の記憶が無いため、もっぱら話題は士郎のことばかりだったが、時計塔で学んだことや、このSAVEに入った経緯や、魔術のことも周りの気配を気にしながら話した。
エミヤは時折、厭味や小言を加えながらも、終始頷いて、穏やかに士郎の話を聞いていた。
やがて日が暮れはじめる。
準備の整った今夜、人質救出と不穏分子殲滅のために戦闘がはじまる。
「アー……、エ、エミヤ、還る前に、顔、見せてくれよ?」
「了解した」
士郎が拳を胸元に上げると、エミヤは拳を当ててきた。
「さあ、“仕事”の時間だ」
立ち上がったエミヤに、
「だな」
と、士郎も答えて立ち上がる。
これから、ひと仕事を終えなければならない。
「後でな」
士郎の声に、ふ、と笑ったエミヤは、生成りの外套を翻した。
“仕事”は終わり、別れの時が近づき、士郎は打ち上げで盛り上がる仲間の許から、ひとり離れた。
夜明けを待つ空は薄墨色が広がっている。
「空が青いって……」
エミヤが空を見上げてその青さを確認するのは、癖なのかもしれない。
何度も見上げる空の色が変わっていないことを、覚えのない青い空を見て安心しているのかもしれない。
繰り返される守護者としての役割を淡々とこなしていく上で、苦しさに喘いで見上げた空がきっと綺麗だと思ったのではないか。
召喚されたエミヤは覚えていないのだろうが、ずっとその想いや気持ちは、その胸の内に残っている。
記憶という付随する情報は一切、切り落とされてしまっていても、胸に残った熾火のような燻りを、エミヤは持っている。
「だから、見上げてしまうんだろうな……」
作品名:「FRAME」 ――邂逅録2 弧愁編 作家名:さやけ