「FRAME」 ――邂逅録4 彷徨編
「FRAME」 ――邂逅録4 彷徨編
『――― 調査報告書〈File 9900000050〉―――(仮)××年○月△日 調査対象 衛宮士郎』
そこまで入力して、僕の指は止まった。
99から始まるファイルナンバーは、特殊事項に使われる頭の番号だ。下一桁からの数字が通しナンバーとなる。だから、これは五十件目。
特殊記事、特殊事例、イレギュラー……、な案件の五十番目。
調査報告書の分類で、最も件数の少ないファイル項目。けれど、その報告書のページ数は、平均二千ページを超える。それに加えて添付資料が山ほど付き、少ない件数などものともしない紙の量だ。
今回の報告書に、何を記載するか……。
僕は悩んだ。
真実を全て記せば膨大な量に、事実だけを記せば、過去最低のページ数に。あまりにも落差の大きい事項だ。どこをどうかいつまめばいいか、正直、判断に困る。
「は……」
ため息がこぼれた。
どう、報告書にまとめ上げようか、と僕は思案してしまう。
こんなことは初めてだった。
魔術協会は古い組織だ。脈々と血筋と儀式を伝え、生き長らえてきた魔術師たちを束ねる一組織なのだから、当たり前と言えば当たり前。
“監察部 調査課 主任調査員”
これが僕の肩書きだ。
監察課と調査課から成る監察部という部署は比較的近代に設立されている。
前身となるいくつかの協会内の組織を統合したというのが実際のところで、監察部、などという軽々しい部署名になったのが、ここ最近というだけだ。
そんな長い歴史を持つ魔術協会の古い調査報告書は、文献と呼んでもおかしくないような見た目と内容で、魔術師だけが目にできるものの、人類の史書としてもかなりの一級品揃いだと僕は思っている。
さらに調査報告書の歴史のなかでも、99ナンバーは、稀少で通しナンバーからもわかるように、今までで、たった四十九件しかない。そして、今回が五十件目。キリがいい。記念すべき、とでも言えるのだろうか?
いや、そんな軽々しい気分でもない。僕が担当した中でも、この案件は、相当な複雑さを秘めている。過去の案件が複雑ではなかったと一概には言えないが、僕の担当した中では最も複雑なものだ。
事実と真実の落差があまりにも大きすぎる。それに、そこには、人の感情というものが、山ほど入り組んでいる。
悩ましい、本当に。
僕は仕事に私情を挟まない主義だ。いや、仕事なのだから、私情とか言っている場合じゃない。
けれど、この案件は、多分に感情が混在している。しかも、複数の強い想い、というものが……。
そういうことも含めてこの案件は、僕の調査員としてのこれからにも大きく影響を及ぼした、特別で特筆すべきものだった。
調査課の主な仕事は、魔術協会の中枢で各部署からの調査報告をまとめ、上層部への報告書を作る、という、いたって単純な作業。
単純な作業だが、簡単な作業ではない。
現場から提出される報告書や添付資料を、手元の資料と照らし合わせ、調査、精査し、不備を訂正し、粗を探して、何度も現場とやり取りを繰り返して裏付けを取り、初めて上層への報告書の草案を叩き上げる。
それが僕の仕事だ。
所謂、事務方。僕は完っ全なる事務方の人間。
僕が調査課に入った理由は事務的なスキルが高かったのと、魔術師としての才能の無さと、真実を知りたいという探求心が異様に強かったためだ。
調査員という者は、現場の人間からは煙たがられる存在だが、僕たち調査課の作り上げた報告書や資料を元に現場は動いているので、文句を言いつつも、現場は歯向かうことができないのが現状。魔術協会内で重宝されるような魔力を持たない存在であっても、僕たちは魔術師と対等に渡りあっている。
僕は魔術師の家系に生まれたが、魔術師になるほどの魔力を持ち合わせていない。協会の一員ではあるけれど、花形とも言える魔術師ではない。なれなかったのだ。
だからだろうか、その調査対象に食い入るように見入ったのは……。
年齢は僕より三つ下。同じ日本人で男。しかもイレギュラーで、もぐりの魔術師の養子だというのに、聖杯戦争の覇者。
魔術師は何より家系が重要だ。血の濃さで魔力が決まると言っていい。
なのに、その調査途中の人物は、血筋という血筋は無く、しかも十七になるまで、まともな魔術の教えを受けたこともなかったのだ。
驚きとともに湧き起こる衝撃と、微かな嫉妬。
僕にはなくて、彼にあるもの。
会ったことのない、その“衛宮士郎”という人物に僕は様々な感情を混在させた興味を持った。
けれど、彼は犯罪者だ。どこかのよからぬ組織の幹部らしい。
「僕には関係ないか」
興味は湧いたけれど、それまでだ。きっと一生出会うことなんてない奴だ。僕とは全く別世界の人間だと、その時は思っていた。
機会は不意に訪れた。
手が足りないということと、僕が日本人だということで、その役に抜擢された。
その役、とは、例の、衛宮士郎を調査する、という役。
思わず拳を握った。
現段階での報告書を見たところ、彼は相当な悪事を働いていて、ようやく魔術師に捕えられたらしい。報告書に添付されている数年前の顔写真を見たところ、童顔で人が好さそうで、純朴そうな印象を持った。
今はどんな凶悪な顔をしているのか。どのみち、たいした志も無くおかしな組織にいたというだけだろう。
時計塔で学んでおきながら、世界中から命を狙われるようなことをしでかした恥知らずの顔を拝んで、あわよくば、化けの皮を剥がしてやる。
僕は意気揚々と日本へ向かった。
魔術協会の日本支部で調査対象の概要を時差ボケの頭に叩き込み、二人の監察官とともに、いざ、極悪人の顔を拝んでやろうと、空港の小さな会議室のような一室で興奮をどうにか抑えつつ待っていた。
今は魔術協会の根回しで、テロ組織の幹部と言われた衛宮士郎は別人だった、という報道がされているが、曲がりなりにも一度は世界中から手配されていた人物だ。
扱いは超VIPと同等らしく、一般の入国者とは別口のため、入国手続きが済むまでの間、この部屋で衛宮士郎は待たされるらしい。なので僕たちもここで合流するという運びになった。
僕たちは警備、刑務、そして監視者を兼ねている。衛宮士郎が何もしなくても、不穏な輩が何かを仕掛けてくるかもしれない、という可能性もあった。
だから護衛という役割もあるのだけれど、僕は事務方で魔術なんて使えない。二人の監察官を見ても、やはり事務方に見える。
ここで暴漢に襲われでもしたらどうするんだろう。衛宮士郎に守ってもらうのだろうか?
いやいや、あり得ないだろう……。自身を捕えた者を守るなんて、どこのお人好しだ。
そんなことをつらつら考えていると、ドアがノックされる。
いよいよか、と緊張しながら僕が答えると、勢いよくドアが開いた。
驚きつつも、ドアを開けた見目麗しい女性に釘付けになる。
長い黒髪は艶やかで、強い意志を感じさせる瞳も美しい。
「遠坂凛です。連れてきました」
と、遠坂、凛っ?
ドア口に立ち、軽く頭を下げたその女性は、そう名乗って背後を振り返りつつ、数歩下がって戸口を空けた。
『――― 調査報告書〈File 9900000050〉―――(仮)××年○月△日 調査対象 衛宮士郎』
そこまで入力して、僕の指は止まった。
99から始まるファイルナンバーは、特殊事項に使われる頭の番号だ。下一桁からの数字が通しナンバーとなる。だから、これは五十件目。
特殊記事、特殊事例、イレギュラー……、な案件の五十番目。
調査報告書の分類で、最も件数の少ないファイル項目。けれど、その報告書のページ数は、平均二千ページを超える。それに加えて添付資料が山ほど付き、少ない件数などものともしない紙の量だ。
今回の報告書に、何を記載するか……。
僕は悩んだ。
真実を全て記せば膨大な量に、事実だけを記せば、過去最低のページ数に。あまりにも落差の大きい事項だ。どこをどうかいつまめばいいか、正直、判断に困る。
「は……」
ため息がこぼれた。
どう、報告書にまとめ上げようか、と僕は思案してしまう。
こんなことは初めてだった。
魔術協会は古い組織だ。脈々と血筋と儀式を伝え、生き長らえてきた魔術師たちを束ねる一組織なのだから、当たり前と言えば当たり前。
“監察部 調査課 主任調査員”
これが僕の肩書きだ。
監察課と調査課から成る監察部という部署は比較的近代に設立されている。
前身となるいくつかの協会内の組織を統合したというのが実際のところで、監察部、などという軽々しい部署名になったのが、ここ最近というだけだ。
そんな長い歴史を持つ魔術協会の古い調査報告書は、文献と呼んでもおかしくないような見た目と内容で、魔術師だけが目にできるものの、人類の史書としてもかなりの一級品揃いだと僕は思っている。
さらに調査報告書の歴史のなかでも、99ナンバーは、稀少で通しナンバーからもわかるように、今までで、たった四十九件しかない。そして、今回が五十件目。キリがいい。記念すべき、とでも言えるのだろうか?
いや、そんな軽々しい気分でもない。僕が担当した中でも、この案件は、相当な複雑さを秘めている。過去の案件が複雑ではなかったと一概には言えないが、僕の担当した中では最も複雑なものだ。
事実と真実の落差があまりにも大きすぎる。それに、そこには、人の感情というものが、山ほど入り組んでいる。
悩ましい、本当に。
僕は仕事に私情を挟まない主義だ。いや、仕事なのだから、私情とか言っている場合じゃない。
けれど、この案件は、多分に感情が混在している。しかも、複数の強い想い、というものが……。
そういうことも含めてこの案件は、僕の調査員としてのこれからにも大きく影響を及ぼした、特別で特筆すべきものだった。
調査課の主な仕事は、魔術協会の中枢で各部署からの調査報告をまとめ、上層部への報告書を作る、という、いたって単純な作業。
単純な作業だが、簡単な作業ではない。
現場から提出される報告書や添付資料を、手元の資料と照らし合わせ、調査、精査し、不備を訂正し、粗を探して、何度も現場とやり取りを繰り返して裏付けを取り、初めて上層への報告書の草案を叩き上げる。
それが僕の仕事だ。
所謂、事務方。僕は完っ全なる事務方の人間。
僕が調査課に入った理由は事務的なスキルが高かったのと、魔術師としての才能の無さと、真実を知りたいという探求心が異様に強かったためだ。
調査員という者は、現場の人間からは煙たがられる存在だが、僕たち調査課の作り上げた報告書や資料を元に現場は動いているので、文句を言いつつも、現場は歯向かうことができないのが現状。魔術協会内で重宝されるような魔力を持たない存在であっても、僕たちは魔術師と対等に渡りあっている。
僕は魔術師の家系に生まれたが、魔術師になるほどの魔力を持ち合わせていない。協会の一員ではあるけれど、花形とも言える魔術師ではない。なれなかったのだ。
だからだろうか、その調査対象に食い入るように見入ったのは……。
年齢は僕より三つ下。同じ日本人で男。しかもイレギュラーで、もぐりの魔術師の養子だというのに、聖杯戦争の覇者。
魔術師は何より家系が重要だ。血の濃さで魔力が決まると言っていい。
なのに、その調査途中の人物は、血筋という血筋は無く、しかも十七になるまで、まともな魔術の教えを受けたこともなかったのだ。
驚きとともに湧き起こる衝撃と、微かな嫉妬。
僕にはなくて、彼にあるもの。
会ったことのない、その“衛宮士郎”という人物に僕は様々な感情を混在させた興味を持った。
けれど、彼は犯罪者だ。どこかのよからぬ組織の幹部らしい。
「僕には関係ないか」
興味は湧いたけれど、それまでだ。きっと一生出会うことなんてない奴だ。僕とは全く別世界の人間だと、その時は思っていた。
機会は不意に訪れた。
手が足りないということと、僕が日本人だということで、その役に抜擢された。
その役、とは、例の、衛宮士郎を調査する、という役。
思わず拳を握った。
現段階での報告書を見たところ、彼は相当な悪事を働いていて、ようやく魔術師に捕えられたらしい。報告書に添付されている数年前の顔写真を見たところ、童顔で人が好さそうで、純朴そうな印象を持った。
今はどんな凶悪な顔をしているのか。どのみち、たいした志も無くおかしな組織にいたというだけだろう。
時計塔で学んでおきながら、世界中から命を狙われるようなことをしでかした恥知らずの顔を拝んで、あわよくば、化けの皮を剥がしてやる。
僕は意気揚々と日本へ向かった。
魔術協会の日本支部で調査対象の概要を時差ボケの頭に叩き込み、二人の監察官とともに、いざ、極悪人の顔を拝んでやろうと、空港の小さな会議室のような一室で興奮をどうにか抑えつつ待っていた。
今は魔術協会の根回しで、テロ組織の幹部と言われた衛宮士郎は別人だった、という報道がされているが、曲がりなりにも一度は世界中から手配されていた人物だ。
扱いは超VIPと同等らしく、一般の入国者とは別口のため、入国手続きが済むまでの間、この部屋で衛宮士郎は待たされるらしい。なので僕たちもここで合流するという運びになった。
僕たちは警備、刑務、そして監視者を兼ねている。衛宮士郎が何もしなくても、不穏な輩が何かを仕掛けてくるかもしれない、という可能性もあった。
だから護衛という役割もあるのだけれど、僕は事務方で魔術なんて使えない。二人の監察官を見ても、やはり事務方に見える。
ここで暴漢に襲われでもしたらどうするんだろう。衛宮士郎に守ってもらうのだろうか?
いやいや、あり得ないだろう……。自身を捕えた者を守るなんて、どこのお人好しだ。
そんなことをつらつら考えていると、ドアがノックされる。
いよいよか、と緊張しながら僕が答えると、勢いよくドアが開いた。
驚きつつも、ドアを開けた見目麗しい女性に釘付けになる。
長い黒髪は艶やかで、強い意志を感じさせる瞳も美しい。
「遠坂凛です。連れてきました」
と、遠坂、凛っ?
ドア口に立ち、軽く頭を下げたその女性は、そう名乗って背後を振り返りつつ、数歩下がって戸口を空けた。
作品名:「FRAME」 ――邂逅録4 彷徨編 作家名:さやけ