「FRAME」 ――邂逅録4 彷徨編
この人が、遠坂凛……。
つい、ぼんやりしてしまう。二十代半ばで、すでに魔術師としてトップクラスの実力を持つ彼女は、僕ら若手の事務方にとっては憧れの女性だ。
なんで、こんなところに、と思ったけど、そうだった、衛宮士郎は彼女と同級生だった。
うらやましい!
なんの苦労もせずに彼女とともに学生時代を過ごしていたなんて、全く以て、うらやましすぎる。
「アーチャー」
遠坂女史に促されて、部屋に足を踏み入れたのは、上下とも黒っぽいラフな衣服に身を包んだ長身の男。初見は黒。黒っぽい服を着ている上に、醸し出す空気感が黒い。
これが……、衛宮士郎?
データベースの容姿と全く違うことに、思わず、あんた誰? と訊いてしまいそうになる。
白髪に褐色の肌と屈強そうな体躯、身長はドア枠の上部にあまり余裕がないから、百九十くらいあるように見える。
こいつが極悪人? まあ、確かに、何か不穏な感じはする。
僕は、こいつの粗を探そうとしていた? いやいや、僕なんか、片手で捻りつぶしそうなんだけど……。
「凛、ソファは無いのか?」
部屋を見渡した黒い服の衛宮士郎は、遠坂女史にぶっきらぼうに訊いている。
「仕方ないでしょ、贅沢は言えないわよ」
あれ? 今、呼び捨てにした?
遠坂女史を名前呼び?
どういう関係なんだ、衛宮士郎と遠坂女史は。
「これでは休ませることができない」
「もう! 少しの間だけなんだから、椅子を並べて寝かせておけばいいでしょ?」
「そういうわけにはいかない」
二人のまるで緊迫感のない会話に監察官も僕も唖然としたまま、何も言えない。
「あのー、すみません、ベンチみたいな椅子って、ないですよねぇ?」
遠坂女史が僕に訊く。
「あ、あああ、えっと、そ、そうですね、たぶん」
いきなり声を掛けられて、声が上ずった。恥ずかしい。
「だ、そうよ」
「わかった。このままでいい」
「ええ、仕方がないわね」
遠坂女史が頷くと、衛宮士郎は椅子を壁に寄せていき、腰を下ろした。
ん? あれ?
衛宮士郎は、何かを大事そうに抱えている。真っ赤な布に包まれた大きな物だ。
それは、なんだか、人のような……?
等身大の人形? まさかね……。
「ん……」
衛宮士郎が抱えるものが、もぞり、と動き、音を発した。いや、声?
「目が覚めたか?」
優しく訊ねる低い声。赤い布をそっと褐色の手が退けると、頭髪のようなものが現れた。
「アーチャー、お水」
遠坂女史がそう言って、衛宮士郎に近づく。その腕の中には赤い布で包まれた、人らしき者がいる。薄く瞼を開けたので、人形ではないとわかった。
じっと衛宮士郎を見つめている。衛宮士郎もじっと腕の中の人を見ている。完全に二人の世界だ。なんだか、そこだけ完全に孤立している……。
「衛宮士郎、水だ、飲めるか?」
衛宮士郎が、腕の中の人に訊いた。
え? 衛宮士郎?
あれ? あんたが、衛宮士郎じゃないの?
僕は疑問符だらけで首を捻りながら、赤い布に包まれた人の容姿を確認する。
赤茶けた髪、データで見た衛宮士郎と似た顔立ち……。
あ、こっちが衛宮士郎か。
監察官を見ると、僕と同じような感想を持っているみたいだった。
抱えられている方が衛宮士郎だとすれば、抱えている方は誰だろう?
知り合いの魔術師、とか?
遠坂女史からミネラルウォーターを受け取ったものの、また眠ったから、とそのボトルを返している黒い服の男。
本当にこの男は遠坂女史とどういう関係なのだろう?
「おい、起こせ」
監察官がやっとのことで声を出している。だけど、黒い服の男は監察官を、ちら、と見ただけで、起こそうとしない。
「おい、聞こえているだろう、そいつを起こせ!」
「大きな声を出すな」
そう言って黒い服の男は、衛宮士郎を頭まで赤い布ですっぽりと覆ってしまった。
「おい! お前は、何者だ!」
声を荒げる監察官に、黒い服の男は眉間にシワを刻む。
なんだか、雰囲気がヤバくなってきたんじゃないだろうか?
ますます雰囲気が黒っぽくなっていくように見える……。
「体調が優れない。起こす必要などないだろう」
「な、何をっ!」
「あ、あー、そんなに、怒らないでください。彼は衛宮士郎の使い魔です。今は少し、ピリピリしているので、あまり、刺激はしない方がいいですよ」
遠坂女史が弁明している、というより、宥めているのか、脅しているのか……。
そんなことよりも、黒い男は、使い魔? これが? まるで人間じゃないか!
衛宮士郎は、こんな使い魔を使役できるのか?
「アーチャーもカリカリしないで、立場を考えなさいよ」
遠坂女史がその使い魔を窘めている。使い魔は肩を竦めているだけだ。
遠坂女史に、その態度。使い魔のくせに生意気な……。
いきり立つ監察官を完全に無視して、使い魔は腕の中の衛宮士郎を抱え直した。
「待っているだけだろう。ならば眠っていても問題はないはずだ」
そりゃそうだ。
わざわざ起こさなくても、魔術協会が手を回しているから、入国審査なんてあってないようなものなんだし、衛宮士郎のパスポートさえ返してくれれば、空港に長居することもない。
納得したくないけれど、その使い魔の言うことは正しい。
監察官は何も言えず、不機嫌に椅子に腰を下ろした。
調査対象は、赤い布に包まれて使い魔の腕の中で眠っている……。
それが、初めて見た衛宮士郎の姿だった。
この人は、ずいぶんと艶がある。
衛宮士郎という男を観察していて気づいたのは、そんなわけのわからない感想だった。
僕はいたってノーマルだ。男にときめくことなんてあったためしはない。だいたい、美人と称される者の多い魔術師をピンキリで見てきたんだ。容姿に引っかかる、なんてことはない。
けれど、妙に惹かれるものがある。
なんだというのだろう?
僕より三つ下というのに落ち着いていて、僕らよりも二十は年上の監察官とも対等に渡り合っている。そういうところだろうか?
けれど、この衛宮士郎という男は、聴取中に、過去の仲間をこき落とされても、遺体の一部の写真を見せられても、眉一つ動かさない鉄面皮で、どこか僕たちを見下している感じがする。
冷たい人間なのか?
それでも、極悪人、という感じではない。
実際、彼が人を殺したという証拠はなかった。テログループに属していたが、人を殺す場に彼の姿はなかった、というのが今のところの事実だ。
二人の監察官は、それについて自白させようと躍起なようだけど、このままじゃ証拠も何も、裏付けもままならない。
衛宮士郎は、訊かれたことにはきちんと答え、知っていることは素直に話し、知らないことは本当に知らないようだ。
これくらいは僕にもわかる。何しろ、辻褄が合っているから。
一つ嘘を吐けば、事実がどこかで噛みあわなくなってくる。噛みあわない事実に嘘を重ねて、さらに大きな嘘に辿り着く。隠し事のある人の証言は、だいたいそういうふうになる。
だけど、衛宮士郎の話す内容は、一つも噛みあわない部分がないから、突っ込みようもない。
これは、今上げられているような罪状で監視下に置くのは無理だと、僕の経験から判断できた。
作品名:「FRAME」 ――邂逅録4 彷徨編 作家名:さやけ