朧さんと奈落の新キャラシリーズ
永遠の別れ
俺が餓鬼を助けて以来、餓鬼はまた俺に話し掛けるようになったし、俺の傍にいるようになった。といっても元の関係に戻った訳ではなく、俺と餓鬼の間にはぎこちない空気が流れていた。
そうして月日が流れ、大人になった餓鬼は冷静さと落ち着きを身に付け、ぎこちない空気はピリピリとした空気に変わった。
餓鬼が首領になって、俺と餓鬼の距離は離れた。しかし変わらず餓鬼は俺を見つめていた。
今日も視線を感じて、俺は餓鬼を見ないまま口を開く。
「首領さん、俺に何か用か?」
少しの沈黙の後、餓鬼は答える。
「用などない。ただ、お前がまた何かを企んでいるのではないかと思っただけだ」
「……何も企んでねぇよ」
大人になった餓鬼は、食えない男に変わった。
餓鬼が奈落を利用しようとしていることを俺は知っていた。しかし俺は餓鬼を見逃し続けていた。
「最近は、人を騙しておらぬようだが」
「……嗚呼。誰かさんのせいでその気が起きなくなっちまってな」
あの日以来、俺は一度も人を騙すことはなかった。人を騙す気が起きなくなったし、めんどくせぇと感じるようになったからだ。
「…………」
俺と餓鬼の間に沈黙が流れる。
やがて餓鬼が静かに告げた。
「今も、お前を許すことは出来ぬ」
「…………」
「……だが、お前のことは一目置いている」
餓鬼はそう告げて去っていった。
(……一目置いている、ねぇ)
餓鬼が大人になっても俺を見つめているのはそれが理由だろうか。
俺は息を吐き出し、目を閉じた。
さらに月日は流れ、江戸は戦場と化し、餓鬼は左目を負傷し、左腕を失った。
ボロボロになっていく餓鬼を、俺はただ見ていることしか出来なかった。
餓鬼が何かを抱えていることは分かっていた。しかし一度餓鬼を傷付けた俺は、そこに踏み込むことが出来なかった。
医務室で眠っている餓鬼を、俺は無言で見下ろした。
疲労が滲む餓鬼の寝顔を見て、眉を寄せる。
「……馬鹿野郎」
自然と右手が餓鬼の頭に伸びて、はっとして手を止めて、その手を握り締める。
あの日以来、俺が餓鬼の頭を撫ぜることはなくなった。大嫌いな子供に触るなど、虫酸が走るからだ。……しかし、今、俺は。
右手を震わせると、餓鬼の瞼が開かれた。餓鬼は俺を見て――俺の右手を見て、目を見開いて――ふっと微笑んだ。
「……柩。俺の頭を撫でてくれないか」
俺は押し黙って――餓鬼の頭に手を伸ばして、ゆっくりとその頭を撫ぜた。
懐かしい感触に、何故だか泣きたい気持ちになって、左拳を握り締めることで耐えていると、餓鬼は目を細めて、小さく呟いた。
――。
餓鬼が呟いた言葉に目を見開く。
俺の右手の震えが大きくなり、俺はそれを悟られないように無造作に餓鬼の頭を撫ぜ続けた。
戦火は肥大化し、餓鬼は酪陽に赴いた。
餓鬼が其処で命を落としたと知ったのは、餓鬼の頭を撫ぜてからそう間もない時だった。
俺は思い立ってある場所を訪れた。
ある場所――今は寂れた廃墟に着いて、餓鬼を殺し損ねた時のことを思い出す。
「あの時俺が見逃してやったのに、死んじまったのか」
――……これからよろしくお願いします、柩さん。
――柩兄上、この本面白いですよ。
――柩兄上と本の話が出来て嬉しいです。
――……俺は、柩さんを許せないけれど……でも、柩さんと過ごした日々は忘れません。
――柩さんって……悪い人じゃないですよね。本当は、貴方は……。
――分かりますよ。貴方が本当は……自分の傍にいてくれる人を求めていることは。
――誰かが傍にいて欲しいなら、そう言えばいいじゃないですか。俺が……貴方の傍にいますから。
――俺も、同じですから。俺も、誰かが傍にいて欲しいと思っている……。
――……柩さん、帰りましょう。
――今も、お前を許すことは出来ぬ。
――……だが、お前のことは一目置いている。
――柩兄上。
餓鬼との思い出が蘇り、きつく目を閉じると、生ぬるいものが頬を流れ落ちるのが分かった。
「ばか、やろう……」
生ぬるいものは次々と溢れだし、ぽつぽつと滴り落ちる。
誰もいない廃墟で、俺は泣き続けた。
涙は、止まる様子を見せなかった。
作品名:朧さんと奈落の新キャラシリーズ 作家名:如月 苺