粃 ――シイナ――
彼女の家訓だか、言い伝えだかは、本当だったようだ……。
それでも彼女は笑っていた。
床に就き、起き上がることもできず、縁側に出たいと我が儘を言い……。
いつも私の腕の中で、穏やかに笑っていた。
「誓いの通りだ」
彼女は言った。
最期の瞬間まで傍にいてくれる、と、やはり笑っていた。
「シイナ……」
冷たくなった両手を胸の上で重ね、その手を撫でる。
赤銅色の髪は、あの頃よりも伸びていた。
そっと髪を梳く。
「二十歳になったら、君が欲しいと言おうと思っていたのだがな……」
小さく笑みが漏れる。
「酷いな君は……。私のたっての願いすら、言わせてくれないとは……」
ともに過ごした日々は、君らしく生きることができただろうか?
不器用で、他人のことばかりを優先して、そのくせ、他の誰にも言わない我が儘を私だけに言う。
私はそんな君が、愛おしくて仕方がなかった。
「もう、時が……ない」
もう少し、君の顔を見ていたい。
もう少し、触れていたい。
「シイナ、君が間違いではないと言った道を、歩いていくよ、これからも……」
差し伸べることができなくなった手を、どうしたものかな……。
いつも君に伸ばしていた手が、手持ち無沙汰で仕方がないんだ。
だが、独りでも進まねばならない、君が認めてくれた、私の道を。
「シイナ、ありがとう。それから、愛しているよ……」
そっと口づける。
笑みを湛えたままの唇は冷たく、ぴくり、とも動くことはなかった。
衛宮邸に呼び鈴が響く。
今日は彼女の誕生日。
みなで祝おうと約束した、三月の末。
英霊の姿は薄れていく。
その手が触れていた冷たい頬に、ひとしずく、小さな水滴を残して。
粃 ――シイナ―― 了(2016/10/26)