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姫様の砂糖菓子

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面倒な『お勉強』が終わり、教育係に礼儀正しく一礼。しかし彼の姿が廊下の曲がり角向こうに消えるや否や、ルキナはすぐさま反対側の廊下へ駆けだした。
 世話役の侍女の目に入ったら確実にお説教だろうが、この時間は休憩中である事をルキナは既に把握している。ついでに、廊下の端々に直立不動の警備兵達が自分に甘い事もよく知っている。
 賢いお姫様だと苦笑交じりに呟く声が聞こえたような気がして、ルキナは走りながら胸を張った。その呟きの主に会うため、彼女は行儀悪く渡り廊下を走っているのだ。
 目的の扉へたどり着き、少女は軽く呼吸を整えると小さく扉を叩いた。
 叩いて、耳を澄ます。微かに鈴の音が聞こえ、ルキナは満面の笑みを浮かべた。それはつまり、今は部屋に入ってもよろしいという合図なのだ。笑みを引っ込めすました表情を作ると、彼女は少々重い扉をおもむろに押し開けた。
「こんにちは、おじさま」
「ああ、こんにちは」
 抑揚の乏しい返事はいつもの事で、ルキナはそっと扉を閉めた。部屋に入る時はかならずノックして応えを待つ事、入室の際は挨拶をする事、扉は音を立てて閉めない事。それらはこの部屋の主である愛想の無い男と交わした決まり事だ。だが、他の場面でも有用な決まり事でもあった。
 どうやら書簡の束を始末していたらしい彼は、机の脇にそれらをどけると軽く椅子を引いた。これもまたいつも繰り返される光景で、ルキナは側に駆け寄ると男の膝に飛び乗った。
 そのままのけぞり上を見上げると、自然と彼女を見下ろす褐色の瞳と視線がぶつかる。常は目深にフードを被った彼の顔を見る機会は、こうして膝に座り上を見上げた時にほぼ限られている。声だけで無く表情も愛想の乏しい男がルキナの体を軽く支え、そして二人の会話が始まるのだ。
「今日は何を教わったのですか」
「算数と綴り方。算数は少し楽しいけど、綴り方は退屈」
「おや。早く色々物語の本を読めるようになりたいと仰っていませんでしたか、姫様」
「でも、同じ言葉ばかり何度も紙に書かされるんですもの。もう覚えてるのに、忘れないようにもっと、って」
 ああ、と口の中で呟き、彼は小さく頷いた。どうやらルキナの意見を理解してくれたらしい。とはいえ、理解したからといって簡単に賛同してはくれない。彼の賛同を取り付けるには、幼いなりに一定の理由と意見を示さなければならないのだ。
 今日のところ、ルキナは彼を説き伏せる事ができるほどの材料を持たない。だから、単純にむくれる事にした。
「どうしてあんな退屈な事をしなくちゃダメなのかしら」
「……昔からよくある勉強方法ですから」
「でも、やっぱり退屈なの。おじさまが勉強も教えてくれたらいいのに」
「それはできません」
 きっぱりと言い切り、彼は机の脇に立てかけてあった分厚い本を取り上げた。むくれ続けるルキナの膝上にそれを拡げ、めくり当てたページにはしおり代わりの紙片が挟まれている。
 少々長くて難しい、しかし楽しい物語本だった。古い時代の英雄譚が土台らしいが、歴史の知識など無くても十分楽しめる内容だ。ただ、大人向けで言葉遣いが難しい。当然、ルキナの語彙と読解力では半分も理解できない。
 だからこうして読んでもらうのだ。ついでに難しい言葉の意味も教えてもらえたりもする。だが、いつも読んでもらえる訳では無く、まず彼が比較的手空きの時である事、ちゃんとルキナが真面目に勉強もする事、その二つが条件になった。
 その取り決めができた日から、ルキナにとって勉強の時間は楽しみになった。勉強そのものよりその後の読書が楽しみなのだが、姫様が勉学に熱心と周囲の受けも良い。もし彼が忙しくとも、後日ちゃんと時間を作ってくれる。
 そうして二人で読んだ本が何冊目になるか、もう覚えていない。昔は簡単な絵本だった気がするが、ルキナの語彙が増えたと判断すると、彼は次々と文字量の多い本を取り出した。
 基本的にルキナが黙読し、分からない場所があると質問する。すると、彼がぼそぼそとその部分を朗読し、意味や解釈をその後に付け加えてくれるのだ。そして新しい言葉をたくさん覚えると、彼はまた少し難しい、けれど面白い本を用意してくれる。
 今日もまたしおり代わりの紙を取り上げ、連なる言葉の羅列にルキナは目を落とした。自室に置かれた鮮やかな絵本や絵物語も悪くないが、淡々と連なる言葉によって表現される世界を想像するのがとても楽しい。
 少女の知らぬ間に卓上の手燭が近くまで引き寄せられ、少し埃っぽい室内に時折ぼそぼそと低い呟きが響く。静かで、しかし奇妙に落ち着く。
 呟きが響いている間、ルキナは活字の海から顔を上げ、背を反らせて声の主を見上げるのだ。普段はフードに隠れて見えぬ赤褐色の髪がふわふわと宙に漂い、少女の顔を真っ直ぐ見つめる男はやはり無愛想なのだった。
 心地良い時間はあっという間に過ぎ去り、遠くで鐘の音が響いている。城下から聞こえる時告げの鐘は、読書時間の終わりを告げる合図にもなっていた。
 もうちょっとだけ、と我が侭を口にする暇も与えず、男はさっさとしおり紙を本に載せ、ぱたりと表を閉じてしまった。
「もうちょっとで次の章だったのに」
「また今度です」
「おじさまって結構ケチよね」
 返事は無い。元通り机の脇に本を立てかけ、その代わり彼は側机の引き出しから小さな箱を取り出した。綺麗な細工が施された小箱の中には色々な飴や砂糖菓子が入っており、その中から一つだけ食べてもいい事になっているのだ。どうやらそれらは城下の下町経由で箱に収まるらしく、ルキナにとっては物珍しい庶民の味だった。


 ルキナと彼が交流する場は、ほぼ彼の執務室に限られている。
 もっと子供の頃は、時にはルキナの自室だった事もある。本来子守とは何の関係も無い彼がルキナと関わりを持ち始めた理由は実に単純で、父の元へ駆け寄ると大抵側に彼がいたのだ。
 そして、気がついた時にはそれはもうごく自然な光景だった。どうやら、物心つく以前から、彼は父の側に必ず存在する人物としてルキナにすり込まれていたものらしい。まともに会話する事は全くなかったが、途中父に用事ができると、席を外している間ルキナを膝の上に乗せるのは自然と彼の役目になる。
 お互い言葉少なく、と言うよりも全く無く、しかし彼は父相手にはそれなりに口を開いた。よく耳にする丁寧な言葉遣いではなく、愛想もないしぶっきらぼうで抑揚も少なく、彼はフードの内側からぼそぼそと喋る。
 恐怖感は無かったが、陰気な印象は拭えなかった。実際、その頃の彼は父が不在中ルキナを支える単なる椅子だった。
 しかし、少しは会話をした方がいいのではないだろうか。そんな事を考えたのは、丁度妹が生まれた頃だった。これまた理由は単純で、父母に勧められ妹を抱き上げた彼が、おくるみを覗き込み『はじめまして』などと呟いたのを聞いてしまったからだ。
 どうやら彼は、必要あらば大人以外にも言葉を発する事ができるらしい! そして、妹の前で年長らしい威厳を見せる必要もある。幼い矜恃と勢いも手伝い、ルキナが初めて膝上で仰け反ったのはそれから数日後の事だった。
「あ、あの」
「何ですか、姫様」
作品名:姫様の砂糖菓子 作家名:下町