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姫様の砂糖菓子

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 返事は一瞬で返ってきて、ルキナは逆に目を白黒させる羽目になった。そして、初めて彼の顔をまともに見上げた。くすんだ赤毛に、特に珍しくも無い褐色の瞳。抑揚乏しい声音に相応しく、やたらと静かで動かない表情がじっとルキナを見下ろしている。
「あの、……わたし、あなたを何とよべばいいのかしら」
 数度瞬き、彼の視線が一瞬ルキナの顔以外の場所を泳いだ。そうですね、とぼそぼそ口元が動く。確か、父は彼の事をルフレと呼んでいた。きっとそれが彼の名前なのだろうが、娘であるルキナが彼をそのまま呼び捨てて良いものかどうか。そもそも、彼がルキナへ向ける言葉遣い自体、クロムに向ける言葉とは少し違うように思う。ならばこちらも少しは変えるべきだろう。
「あの」
「はい、どうされましたか」
「あなたのことを、ルフレいがいのお名前でよぶなら、何といえばいいのかしら?」
「……ルフレ以外」
「ええ、そうよ」
「なら、変わりの言葉ですね。小父さん、とか」
「おじ……?」
「そのままだとあまり品がよろしくない。おじさま、といった所でしょうか。……これでよろしいですか? 姫様」
「え、ええ。わかったわ、……おじさま」
 切っ掛けができれば後は実に単純なもので、二人はそのままぼそぼそ会話を続ける事になった。ルフレ改めおじさまは確かにつっけんどんで愛想に乏しいが、語りかければちゃんと返事をくれる。言い方が難しくよく分からない事もあるが、首を傾げているとちゃんと言い直してくれる。侍女や警備兵、それに父などと交わす会話と違い、外套の内側に籠もった会話は何やら秘密めいていて少し楽しい。
 そして、絵本の話題が出たのだ。
「このあいだ、絵本をいただいたのですけど。わたし、ちゃんとよめないのです」
「お勉強はされているのでしょう?」
「そうですけど、まだよめない言葉がおおいから」
「では、私が読んで差し上げましょうか」
 え、とさらに顔を逸らして彼を見上げると、変わらぬ静かな表情のまま、彼はルキナの髪をさらりと撫でた。
「幸い、明日の午後は少し時間に余裕があります。お部屋に伺えるよう、今ならクロムの許可も取れますが」
「あ……じゃあ、お部屋で待っています。……あの、おじさま」
「はい」
「いっしょに、よめなかった言葉もおしえて下さいますか?」
「はい」
 素っ気なく頷き、彼がルキナの絵本読み聞かせ担当になったのはその次の日から、もっと読みたいとめずらしく我が侭を言う娘に折れたクロムが、絵本ごとルキナをおじさまの執務室に運び込んだのがその数日後。
 そして今に至るのだった。砂糖菓子が登場したのは、さて、いつ頃だったろうか。結構最初の頃、まだ絵本に出てくる単語の意味を彼に訊いていた時期だったろうか。


 季節が巡り、中庭の立木が赤や黄色に色付き始めると、『おじさま』の部屋は少々様変わりする。部屋の一角が綺麗に整頓され、なんとそこに大きな暖炉が隠されていた事が判明したり、机の横に大きな籠が置かれ、中に大量の膝掛け毛布が入っていたり、机の下に妙な箱が置かれたり。箱の中に温めた石が中に入っているという事は後で部屋の主本人が教えてくれた。
 つまり、彼は人より寒がりなのだった。ルキナは比較的寒さに強く、周囲が風邪をひくのではと心配するほどの薄着で短い模擬刀を振り回していたりする。大らかに褒めてくれるのは大好きな父で、寒がりのおじさまはどうかというと、そもそも風の冷たい季節になるとめったに城内の演習場に出てこない。執務室と城下郊外にある自宅を着ぶくれた猫背で往復しているのさ、などと、父は彼に対して実に口が悪かった。案外、娘が妙になついている親友に軽く嫉妬していたのかもしれない。
 元々口数があまり多くないおじさまは、寒くなるとさらに必要な事しか喋らなくなる。最初は機嫌を損ねたかと尻込みしていたけれど、ルキナの態度に気づいた彼は、実は寒いのが苦手なんですとあっさり白状し、机の下に置かれた箱の正体もその時教えてくれた。
 彼の膝元にしゃがみ込んで謎の箱をじっくり眺めるルキナに向け、それに、と彼は低く言葉を続けた。
「姫様は温かいので、助かります」
「私が温かいの?」
「ええ、そうです」
 差し伸べられた手に触れると、ひんやりした感触が指先に伝わってきた。なるほど、膝の上にルキナを乗せれば、彼もまた温まる事ができるという訳だ。
 実際には、ルキナを膝の上に乗せる際、彼は少女の身体も籠の中の膝掛けでくるんでから抱き上げる。お互い厚手の毛布に阻まれ、ルキナの体温がどこまで彼に伝わっているかは少々怪しい。
 だが、彼はルキナと時折過ごす読書の時間を嫌がってはいない。それが分かっただけで十分なのだ。
 寒くなると良い事もあり、過ごしやすい気候の時分より、彼は少しだけルキナに甘くなる。もっと、とせがめばもう少しだけですよ、とさらに数ページ本を読み進めさせてくれたりするし、小箱の中の砂糖菓子も二つ食べさせてくれる事もある。
 その日、箱の中に入っていたのは小さな花の形をした少し風変わりな砂糖菓子だった。口に入れるのが惜しいくらいだが、食べてみたいという欲求もある。
 逡巡の後、結局神妙な顔で花を口へ放り込んだ。その様子をながめながら、彼女を抱えた男は閉じた本を机の脇へ押しやる。今日、ちょうど一冊読み終わったのだ。
「おじさま。このお話、続きはあるの?」
「……あります。でも、今手元にはありません」
「じゃあ、読めないの?」
「今度、城へ届けてもらう事になっています。……ああ、でも」
 少女の柔らかい髪を軽くなでつけ、彼は珍しくルキナの前で表情を動かした。眉根を寄せ、明らかに何やら思案している表情すら、ルキナにとっては珍しい。
「おじさま、どうしたの? あっ、ひょっとしたら寒いのでしょう? 何でしたら、私の膝掛けも使うといいですよ」
 最後の口調は彼の真似だった。それに気づいたのか、これまた珍しく彼の目元が微かに和む。
「大丈夫です。……実は、来週からしばらくこの城を留守にするので」
「おじさまが、この部屋にしばらくいらっしゃらないという事?」
「ええ、そうです」
「……どれぐらい?」
「さて……相手の出方にもよりますが。できるだけ早くに戻れるよういたしましょう、私はさておきクロムまで不在では姫様も寂しい事でしょうから」
「え、お父様も留守になさるの?」
 今度こそ本格的にしょげかえったルキナの髪をもう一度撫で、愛想の無い軍師はずり落ちかけたルキナの毛布をゆっくりたぐり寄せた。
「すぐ隣の国ですから、うまくいけばすぐ戻って来る事もできるでしょう」
「おじさまが何とかしてくれるの?」
「最善は尽くします」
「戻ってきたら、続きの本を読んで下さるの?」
 そうですね、と口の中で呟き、ふと彼の視線が彷徨う。蓋が半端に開いたままの小箱に目を留め、彼は小さく頷いた。
「先程の花菓子も、また買ってきましょう」
「本当に? 約束よ?」
「はい、お約束しましょう」
 いつもと同じめりはりのない口調でそう呟き、彼はルキナを抱き上げた。膝掛けがばさりと床に落ち、毛布にくるまったルキナの視界がふわりと上昇する。
「おじさま?」
作品名:姫様の砂糖菓子 作家名:下町