ダカーポ2 snowy tale
第5話
久し振りに我が家の敷居をまたぐ。1週間は帰ってない気がするな。ま、それもこれも杏と一緒に卒業公演の準備をしているからだ。
「や、兄さん。お腹空いたんだけど」
「初めまして、桜内義之です」
「に・い・さ・ん?」
リビングに入ると、どういう訳か兄さんと慕ってくれる面識の無い女の子が座っている。そして、なぜかジト目。初対面の人を睨むなんていけないと思います。日本男児たるもの、ここは毅然とした態度で。
「お・な・か・す・い・た」
「……カレーでいいか?」
「やったね!」
なんか、凄く昔にこんなやり取りをした気がする。
「ふふ、いいわね。アツアツで」
「あー……あはは、私、お邪魔だった?」
まさか杏まで来るとは思っていなかったのだろう。由夢は明らかに動揺した様子で帰り支度を始めてしまう。
「ここは由夢ちゃんの家でもあるじゃない。折角の家族団らんを邪魔する訳にはいかないわ。義之、今日のところは帰るわね」
「え、いいですよ、雪村先輩! 私が帰りますって!」
「そう? なら、仲良く3人でご飯を頂きましょう。義之もそれでいいかしら?」
「あぁ……って、結局はそうなるだな」
ここで由夢だけ帰すのは気が引けるし、かといって杏を帰すくらいなら一緒に行きたいし、正直助かった。カレーくらいで解決するなら喜んで作るさ。
買ってきた材料を置いて、包丁を出して。
「わぁ、雪村先輩! それ、ひょっとして台本ですか?」
「そうよ。もっとも、まだ完成には程遠いけどね。由夢ちゃんはここでテレビでも観ていて。私は義之の部屋で作業するから」
「待て、待て待て待てぃ!」
それは流石に見逃せない。断固反対の姿勢を取らねば。
「どうして俺の許可なく俺の部屋に行くんだよ?」
「私、義之の彼女。おっけー?」
「おっけーだけど、それとこれとは違うだろ! 親しき仲にも礼儀はあるんだ!」
「ほほぉ……」
杏と由夢が目を合わせる。その瞬間、悪魔のやり取りを見た気がした。
「ベッドの下と、本棚の上から二番目、右から三冊目の辞典カバーの中です」
「了解。戦果を期待していて」
由夢の奴、知ってやがる。本拠地ならまだしも、なぜ秘密基地までも的確に見抜いているというのだ。どう転んでも絶望的だ、絶対に阻止する。
杏を抱っこして自室へ全力疾走する。ふふ、抱えてしまえば身動きなど取れまい。
「きゃー、攫われるー」
「縁起でもないこと言うな! 通報されたどうするんだよ!」
「その時は責任取ってね、あ・な・た」
耳元でそんなことを囁く奴がいるか。体がとろけてしまって、思わず手が緩んでしまう。
「隙あり」
「逃がすか!」
だが、杏はすばしっこい。あっという間に駆けて行って、俺の部屋のドアに手をかける。
「やらせるか、間に合え!」
「ふふ、既にこちらの勝利は確定しているわ」
健闘虚しく、杏が先行して部屋へ入ってしまう。だが、まだだ。見ろ、杏の奴、模様替えした俺の部屋に戸惑って立ち止まっていやがる。
「捕まえた! いいか、絶対に変なところを引っかき回すなよ? そんなことをされたら……されたら……」
「あ、久し振り、弟くん」
どういう訳か、そこには音ねぇがいました。その手には辞典に偽装した秘密基地に潜ませた英雄たちが握り締められています。
「お姉ちゃん、弟くんをびっくりさせようと思って帰って来たんだけど……そうしたら、ドイツ語辞典なんてあるじゃない? 弟くんも遂に世界へ羽ばたくのかぁ、って手に取ったら……これ、何?」
それまでの笑顔が一転。人形のような無表情へ代わり、押し黙っていると般若へ変貌する。
「私、ちょっと作業があるので失礼します」
「お、俺もカレー作らなくちゃ……由夢が腹空かせているし」
「弟くんは駄目」
杏に助力の視線を送ると、なぜか小さく微笑まれる。
「夕食、作って待っている」
「それは俺の生命線……じゃなかった、仕事……」
「良かったね、弟くん。良い彼女さんを持って。さ、これで心おきなくお話ができるね」
何ということでしょう。夜はまだ始まったばかりだ。
作品名:ダカーポ2 snowy tale 作家名:るちぇ。