わたしにとって、あなたにとって
その日大規模な流星群の出現で聖地の人々の目を楽しませたある夜のこと、炎の守護聖オスカーは鏡のように磨かれた聖殿の廊下を一人歩いていた。
とっくに執務時間は過ぎていたが、彼の愛する女王補佐官ロザリアからのたっての頼みゆえに遅くまで執務室に居残っていたのだ。
(ロザリアの言葉通りなら、そろそろのはずだが……)
聖殿を出たところで足音がしないよう植え込みの陰に隠れ、ひっそりとその時を待つ。
やがてかつかつと小さな靴音が響き、階段をそっと下りて来る人影を視界に捉えた。
闇夜に紛れるようなダークカラーのワンピースに身を包んでいたのは、この宇宙を統べる至高の存在、256代女王アンジェリークその人だ。
(私服とはいえこんな時間に、護衛もつけずに出歩くとは!)
不可思議なことが堂々とまかり通るこの聖地において、宇宙の至高が夜な夜な一人でほっつき歩く。確かに異常事態だ。
ロザリアから「陛下が毎晩無断外出をしている」と相談を持ちかけられたのは、つい先日のことだ。
オスカーからすればかつて恋仲で有名だったルヴァの元にでも通っているのではないかと思っていたが、どうも様子がおかしいのだという。
「お相手がもし守護聖だったら、さすがに女王陛下を一人で出歩かせるわけがないわ。相手のほうから出向くか送迎をするんじゃなくて?」
そんなロザリアの言葉に一理あると思い直し、護衛も兼ねて調査に乗り出して現在に至る。
「それに……陛下が即位なされてからは、あの二人の間には……なんていうんですの、甘い空気がなくなったというのか……どこか壁があるように見えるのよ」
それはオスカーも感じていたことだった。
女王と守護聖としては申し分のない二人だったが、恋人としての「情熱」はどこかへ消えてしまったように見えていた。
常日頃から穏やかな笑みを絶やさない二人は現在、密やかに視線を交わし合うことすらない。
「ルヴァとはどうなったのか訊ねても、続いているって言って笑っているのよ。そうしたらここ最近、夜にふらっといなくなる時間が増えて……部屋の前で待ち構えたら、お手洗いに行って来た、だなんて見え透いた嘘をついて」
「どうして嘘だと思ったんだ。本当に行って来たかも知れないじゃないか」
「……この聖殿内で、髪に葉っぱなんてくっつきます?」
「それは……んん……クロっぽい、な……確かに」
「でしょう? でもわたくし、それ以上何も言えなくて。何だかとても幸せそうに笑うんですもの……」
酷く心配そうに瞳を揺らがせて、麗しい女王補佐官は眉を下げ呟いた。
「何か妙な胸騒ぎがするのよ……」
思いつめたようなまなざしをしたロザリアに軽くくちづけて、オスカーは甘い微笑みを浮かべた。
「他でもない君の頼みだからな、この件は俺に任せてくれ。必ず解決してみせるさ」
(……とは言ったものの)
遥か前を歩く女王陛下の足取りは軽やかで、何かに取り憑かれているようなそぶりも見えない。
だがその行き先には一抹の不安がよぎる。
(こっちは森の湖へ続く道だが……こんな時間に何の用だ? やはり誰かと逢引でもしてるんじゃないのか。何も男はルヴァだけと決まったわけでもないんだからな)
実はルヴァとの関係は既に清算されていて、これから逢うのは別の男なのでは────と、一応そこまで考えたが「あの」アンジェリーク・リモージュである。
少々ぶっ飛んだところはあるが、実に真面目で一途なところはルヴァと良く似ている。
そんな二人が恋人との関係を綺麗に清算し、その他大勢の前で普通に振舞っていられるだけの恋愛スキルがあるとは到底思えない。
ルヴァは表向き取り繕うこともできるだろうが、あの女王に至ってはあっさりと顔に出てしまうのではないだろうか。
少なくとも、彼女の一番近くにいる補佐官が勘付く程度には。
そんなことをつらつらと考えている内に、前を歩くアンジェリークとの距離がかなり近付いてしまっていて、彼女が湖のほとりに立つ人影へと手を振っているのが分かった。
静かな湖面には、流星群が賑やかに通り過ぎた後には少々寂しく思えてしまう星々が映り込む。
闇夜に目が慣れたとはいえ結構な暗さで人物の顔までは分からない。が、そのシルエットとアンジェリークの声だけでオスカーはほっと胸を撫で下ろした。
「……ルヴァさま!」
敬称つきで呼ぶその声は、彼女がまだ女王候補として育成をしていた頃を髣髴とさせた。
湖面を眺めていた様子のルヴァが振り返り、彼のトレードマークのターバンがふわりとたなびく。
そのままアンジェリークはルヴァの腕の中へと飛び込んで、ぎゅうと抱きついている。
「……今日も来ちゃった」
「毎日来て下さって嬉しいですよー。逢いたかったです、アンジェ」
ルヴァはそう言って愛おしむようにアンジェリークをかき抱き、二人の顔が寄せられる。
長々と続くくちづけを前にして、オスカーは僅かに眉を寄せた。
(何だ……? 何かが、おかしいような)
本来ならば仲睦まじい二人は人目を忍んで逢瀬を重ね愛を育んでいた、めでたし、のはずだ。
それなのに────何かが引っかかる。何がどう、とはっきりしたわけではないが。
(ロザリアが言っていた胸騒ぎとは……このことか)
違和感はその後更に増えることとなった。
寄り添い合って座り、暫く彼の腕の中で髪を撫でられていたアンジェリークがゆっくりと立ち上がった。
「じゃあ……また明日来ますね」
「ええ……お待ちしていますよ。気をつけて帰って下さいね」
はい、と頷いたアンジェリークが踵を返したので、オスカーはその場をそっと離れた。
ルヴァはただ名残惜しそうに見送るだけでそこに突っ立っている。
(恋人を送ろうともしないとは……男の風上にも置けんな。だがいくら恋愛事に疎いとは言え、あの律儀な男がこんなことをするか?)
来たときと同じようにアンジェリークの後をつけ、彼女が聖殿へと無事に戻ったのを見計らったところでオスカーはようやく自分の私邸へと帰り着いた。
とっくに執務時間は過ぎていたが、彼の愛する女王補佐官ロザリアからのたっての頼みゆえに遅くまで執務室に居残っていたのだ。
(ロザリアの言葉通りなら、そろそろのはずだが……)
聖殿を出たところで足音がしないよう植え込みの陰に隠れ、ひっそりとその時を待つ。
やがてかつかつと小さな靴音が響き、階段をそっと下りて来る人影を視界に捉えた。
闇夜に紛れるようなダークカラーのワンピースに身を包んでいたのは、この宇宙を統べる至高の存在、256代女王アンジェリークその人だ。
(私服とはいえこんな時間に、護衛もつけずに出歩くとは!)
不可思議なことが堂々とまかり通るこの聖地において、宇宙の至高が夜な夜な一人でほっつき歩く。確かに異常事態だ。
ロザリアから「陛下が毎晩無断外出をしている」と相談を持ちかけられたのは、つい先日のことだ。
オスカーからすればかつて恋仲で有名だったルヴァの元にでも通っているのではないかと思っていたが、どうも様子がおかしいのだという。
「お相手がもし守護聖だったら、さすがに女王陛下を一人で出歩かせるわけがないわ。相手のほうから出向くか送迎をするんじゃなくて?」
そんなロザリアの言葉に一理あると思い直し、護衛も兼ねて調査に乗り出して現在に至る。
「それに……陛下が即位なされてからは、あの二人の間には……なんていうんですの、甘い空気がなくなったというのか……どこか壁があるように見えるのよ」
それはオスカーも感じていたことだった。
女王と守護聖としては申し分のない二人だったが、恋人としての「情熱」はどこかへ消えてしまったように見えていた。
常日頃から穏やかな笑みを絶やさない二人は現在、密やかに視線を交わし合うことすらない。
「ルヴァとはどうなったのか訊ねても、続いているって言って笑っているのよ。そうしたらここ最近、夜にふらっといなくなる時間が増えて……部屋の前で待ち構えたら、お手洗いに行って来た、だなんて見え透いた嘘をついて」
「どうして嘘だと思ったんだ。本当に行って来たかも知れないじゃないか」
「……この聖殿内で、髪に葉っぱなんてくっつきます?」
「それは……んん……クロっぽい、な……確かに」
「でしょう? でもわたくし、それ以上何も言えなくて。何だかとても幸せそうに笑うんですもの……」
酷く心配そうに瞳を揺らがせて、麗しい女王補佐官は眉を下げ呟いた。
「何か妙な胸騒ぎがするのよ……」
思いつめたようなまなざしをしたロザリアに軽くくちづけて、オスカーは甘い微笑みを浮かべた。
「他でもない君の頼みだからな、この件は俺に任せてくれ。必ず解決してみせるさ」
(……とは言ったものの)
遥か前を歩く女王陛下の足取りは軽やかで、何かに取り憑かれているようなそぶりも見えない。
だがその行き先には一抹の不安がよぎる。
(こっちは森の湖へ続く道だが……こんな時間に何の用だ? やはり誰かと逢引でもしてるんじゃないのか。何も男はルヴァだけと決まったわけでもないんだからな)
実はルヴァとの関係は既に清算されていて、これから逢うのは別の男なのでは────と、一応そこまで考えたが「あの」アンジェリーク・リモージュである。
少々ぶっ飛んだところはあるが、実に真面目で一途なところはルヴァと良く似ている。
そんな二人が恋人との関係を綺麗に清算し、その他大勢の前で普通に振舞っていられるだけの恋愛スキルがあるとは到底思えない。
ルヴァは表向き取り繕うこともできるだろうが、あの女王に至ってはあっさりと顔に出てしまうのではないだろうか。
少なくとも、彼女の一番近くにいる補佐官が勘付く程度には。
そんなことをつらつらと考えている内に、前を歩くアンジェリークとの距離がかなり近付いてしまっていて、彼女が湖のほとりに立つ人影へと手を振っているのが分かった。
静かな湖面には、流星群が賑やかに通り過ぎた後には少々寂しく思えてしまう星々が映り込む。
闇夜に目が慣れたとはいえ結構な暗さで人物の顔までは分からない。が、そのシルエットとアンジェリークの声だけでオスカーはほっと胸を撫で下ろした。
「……ルヴァさま!」
敬称つきで呼ぶその声は、彼女がまだ女王候補として育成をしていた頃を髣髴とさせた。
湖面を眺めていた様子のルヴァが振り返り、彼のトレードマークのターバンがふわりとたなびく。
そのままアンジェリークはルヴァの腕の中へと飛び込んで、ぎゅうと抱きついている。
「……今日も来ちゃった」
「毎日来て下さって嬉しいですよー。逢いたかったです、アンジェ」
ルヴァはそう言って愛おしむようにアンジェリークをかき抱き、二人の顔が寄せられる。
長々と続くくちづけを前にして、オスカーは僅かに眉を寄せた。
(何だ……? 何かが、おかしいような)
本来ならば仲睦まじい二人は人目を忍んで逢瀬を重ね愛を育んでいた、めでたし、のはずだ。
それなのに────何かが引っかかる。何がどう、とはっきりしたわけではないが。
(ロザリアが言っていた胸騒ぎとは……このことか)
違和感はその後更に増えることとなった。
寄り添い合って座り、暫く彼の腕の中で髪を撫でられていたアンジェリークがゆっくりと立ち上がった。
「じゃあ……また明日来ますね」
「ええ……お待ちしていますよ。気をつけて帰って下さいね」
はい、と頷いたアンジェリークが踵を返したので、オスカーはその場をそっと離れた。
ルヴァはただ名残惜しそうに見送るだけでそこに突っ立っている。
(恋人を送ろうともしないとは……男の風上にも置けんな。だがいくら恋愛事に疎いとは言え、あの律儀な男がこんなことをするか?)
来たときと同じようにアンジェリークの後をつけ、彼女が聖殿へと無事に戻ったのを見計らったところでオスカーはようやく自分の私邸へと帰り着いた。
作品名:わたしにとって、あなたにとって 作家名:しょうきち