瑕 16 太古の森
瑕 16 ――太古の森
久しぶりの食事当番を終えたオレたちは、中庭の広縁で休憩していた。
しばらく池のほとりで士郎はヒルコと遊んでいたが、今はオレにもたれたまま午睡に入ってしまっている。
ヒルコは風の神と遊んでいるようだ。
水音は妙に気が安らぐ。ただ流れていく音も、ヒルコの立てる飛沫の音も。
「ん……」
体勢が辛くなってきたのか、士郎が身じろぐ。
士郎の身体を横にしてやり、そっと髪を梳く。
スサノオの磐座は、ゆったりとした時を刻んでいる。
「親子のようじゃな」
不意に聞こえた声に顔を上げる。
「ナキ? 親子、とは?」
「蛭児さまと衛宮士郎さまとそなたとが」
確かにヒルコはオレを“おもう”と呼ぶが、オレになついている感じではない。士郎と親子のように見える、というのは頷けるが、そこにオレが含まれるのはやや首を捻る。
「衛宮士郎さまはお休みになられたのだな、上掛けを持ってくるとしよう」
「あ、ああ、頼む」
ナキの言に何も返せずにいるオレを気にするふうもなく、ナキはすぐに踵を返した。
「そなたが父で、しろうが母じゃな」
突然オモダルが現れて、波打つ池を眺めながら言う。
もう慣れたが、この神は、いつも突然だ。
オモダルは、ナキの言葉を継いだようなことを言って何やらひとり頷いている。
「オレは父などではない」
「しろうが母であれば、そなたが父であろう?」
カシコネまで現れ、からからと笑う。
この二神は相変わらずオレに絡んでくる。
「幸せそうで、何よりじゃ」
その声に驚き振り返ると、スサノオが立っていた。
あくび交じりに言ったスサノオは、たいていオレたちが幸福であれば文句はないようだ。
「スサノオまで何を言って……」
くだらないことを、と言いかけたオレの声は萎んでいく。いつの間にか、この磐座の神々や神使が中庭の縁側や広縁に集まっていた。
「神苑が見事復活じゃのう」
「蛭児さまがあのようにお元気になられるとは、喜ばしい」
あちこちで頷きあう神々や神使たち。
「阿よ、蓮でも咲かせてみましょうか?」
コノハナサクヤがにっこりと笑う。
「あ、ああ、士郎がきれいだろうと言っていた」
「そうなのですか! では、さっそく」
嬉々としてコノハナサクヤは蓮を咲かせる準備に入るようだ。
ぞろぞろと集まった神々や神使たちに呆気に取られていると、
「雨が降るやもしれぬな」
スサノオは静かに言った。
「雨?」
振り仰いで訊き返す。
「蛭児は水神ではないが、多少は水の力を持っておる。そのうち霧雨でも降らせるようになるであろう」
「そう、なのか……」
少し驚いた。乳児だと思っていたが、やはり神の子なのだと納得する。
「よし、ここで宴じゃ!」
スサノオの提案に、一同、応じている。
「お、おい、ちょっと待て、何をいきなり……」
「神苑の復活を祝う。功労者は衛宮士郎じゃな」
「…………はあ、わかった。そういうことなら。士――」
「かまわぬ。寝かせてやれ」
士郎を起こそうとしたオレをスサノオは制した。
「いや、だが、士郎が功労者と……」
「みな、呑みたいだけじゃ」
スサノオの苦笑いに納得して頷く。オレたちはただ、ダシに使われているだけだ。
「そうか。ならば、好きにさせてもらおう」
中庭に集い、磐座の面々の宴がすぐに始まった。
神酒を酌み交わし、池のほとりに下りた神使がヒルコと遊び、陽気な神々と神使が宴会に興じている。
「花見の時期でもないのだが……」
少々呆れながら、オレの脚を枕にした士郎の髪を撫でると、
「なに、この状況……」
賑やかさに目覚めたのか、士郎が宴真っ盛りの連中に目を丸くしている。
「神苑復活の祝宴、らしい」
盃を傾けつつ士郎に教えてやると、起こそうとした身体を脱力させ、ため息交じりにオレの脚に逆戻りだ。
「……っ、ふは、も……、わけ、わかんねーな、神様って!」
笑う士郎にオレもつられた。
「しろう、しろう!」
オモダルが嬉々として盃を手に士郎に酌をする。
「あまり飲ませるな」
「よいではないか」
止めるオレにもカシコネが酒を勧めてくる。
「なんなんだ、貴様らは……」
呆れながら盃を傾けると、オモダルが、にこり、と笑う。
「しろうは、美しいな!」
「っ!」
酒を噴きそうになった。
「っけほ!」
おかしなところに酒が入った。
「おや、神使、いかがした?」
カシコネがオレを窺うが、噎せて声が出ない。
いきなり何を言うのか、あのガキは!
士郎に向かって、いったい、どういう了見で……。
「は? なに言ってんだ? オモダル、視力、だいじょぶか? もしかして、だいぶ酔ってる?」
顔を顰めた士郎は、オモダルを心配している。
(ああ、そうか。士郎は、こういうところは、極端に鈍いのだったな……)
オモダルは、やや期待外れだ、という顔をしてカシコネに目を向けた。
「しろう、そなた、本当に、美しいぞ」
「は? カシコネも、飲み過ぎ?」
怪訝な顔で訊く士郎に、カシコネも残念そうに息を吐く。
連れだって二神は去っていった。
(なんだったのか、あいつらは……)
まだ少し噎せていると、士郎が背中をさすってくれた。
オモダル・カシコネが去ったあと、あいつらだけではなく、神々も神使も通りがかりや、酒を注いだり、つまみを持って来たりしながら、美しい、美しい、と士郎に言う。
(いったい、なんだ、この状況は……)
孫を見るような顔で言う神、一世一代の告白タイムのように言う神使、照れ隠しにぶっきらぼうに言う神使、口説く気満々で甘い雰囲気を醸し出す神、様々に趣向を凝らして、士郎に美しいと吐いていくのだ。
端で見ているオレには、何がなんだかわからない。
士郎もわけがわからない様子だ。
いったい誰の差し金かと考える間もなくすぐに答えはわかった。だが、こんなことをする理由がわからない。
(オモダルの奴は、何を考えているのか……)
少々頭が痛くなってきた。
「衛宮士郎、そなた、やはり美しいのう」
スサノオまでがオモダルに加担している。
いったいどういうことなのか……。
「なんだよ、スサノオまで? 俺のしてきたこと、知ってるだろ?」
苦笑する士郎に、スサノオは父のように目を細めた。
「そなたが必死に阿を想う姿は、何よりも美しい人の姿であった。今も変わらず、その想いを体現しておるな」
「戦場で血にまみれてたってのに、キレイなわけないだろー」
辛い時期のことを士郎は笑って話す。
もう傷は癒えたのだろうか。
あれ程に苦しんだ日々を、過去のものとして整理がついたのだろうか。
スサノオと話し込む士郎を見ながら、そんなことを思った。
「神使」
オモダルに呼ばれ、振り返ると、元凶が側に来てしゃがみ込んでいる。
「貴様、いったい何が目的だ」
小声で言って睨む。オモダルはオレに睨まれることなど気にも留めず、声を潜めて顔を寄せろと手招きする。
「怒るな神使。しろうのすべてを占めるものを見極めたいのじゃ」
「は?」
「そなたの占めるものはわかるのじゃが、しろうの内面が見えぬ」
「内面?」
久しぶりの食事当番を終えたオレたちは、中庭の広縁で休憩していた。
しばらく池のほとりで士郎はヒルコと遊んでいたが、今はオレにもたれたまま午睡に入ってしまっている。
ヒルコは風の神と遊んでいるようだ。
水音は妙に気が安らぐ。ただ流れていく音も、ヒルコの立てる飛沫の音も。
「ん……」
体勢が辛くなってきたのか、士郎が身じろぐ。
士郎の身体を横にしてやり、そっと髪を梳く。
スサノオの磐座は、ゆったりとした時を刻んでいる。
「親子のようじゃな」
不意に聞こえた声に顔を上げる。
「ナキ? 親子、とは?」
「蛭児さまと衛宮士郎さまとそなたとが」
確かにヒルコはオレを“おもう”と呼ぶが、オレになついている感じではない。士郎と親子のように見える、というのは頷けるが、そこにオレが含まれるのはやや首を捻る。
「衛宮士郎さまはお休みになられたのだな、上掛けを持ってくるとしよう」
「あ、ああ、頼む」
ナキの言に何も返せずにいるオレを気にするふうもなく、ナキはすぐに踵を返した。
「そなたが父で、しろうが母じゃな」
突然オモダルが現れて、波打つ池を眺めながら言う。
もう慣れたが、この神は、いつも突然だ。
オモダルは、ナキの言葉を継いだようなことを言って何やらひとり頷いている。
「オレは父などではない」
「しろうが母であれば、そなたが父であろう?」
カシコネまで現れ、からからと笑う。
この二神は相変わらずオレに絡んでくる。
「幸せそうで、何よりじゃ」
その声に驚き振り返ると、スサノオが立っていた。
あくび交じりに言ったスサノオは、たいていオレたちが幸福であれば文句はないようだ。
「スサノオまで何を言って……」
くだらないことを、と言いかけたオレの声は萎んでいく。いつの間にか、この磐座の神々や神使が中庭の縁側や広縁に集まっていた。
「神苑が見事復活じゃのう」
「蛭児さまがあのようにお元気になられるとは、喜ばしい」
あちこちで頷きあう神々や神使たち。
「阿よ、蓮でも咲かせてみましょうか?」
コノハナサクヤがにっこりと笑う。
「あ、ああ、士郎がきれいだろうと言っていた」
「そうなのですか! では、さっそく」
嬉々としてコノハナサクヤは蓮を咲かせる準備に入るようだ。
ぞろぞろと集まった神々や神使たちに呆気に取られていると、
「雨が降るやもしれぬな」
スサノオは静かに言った。
「雨?」
振り仰いで訊き返す。
「蛭児は水神ではないが、多少は水の力を持っておる。そのうち霧雨でも降らせるようになるであろう」
「そう、なのか……」
少し驚いた。乳児だと思っていたが、やはり神の子なのだと納得する。
「よし、ここで宴じゃ!」
スサノオの提案に、一同、応じている。
「お、おい、ちょっと待て、何をいきなり……」
「神苑の復活を祝う。功労者は衛宮士郎じゃな」
「…………はあ、わかった。そういうことなら。士――」
「かまわぬ。寝かせてやれ」
士郎を起こそうとしたオレをスサノオは制した。
「いや、だが、士郎が功労者と……」
「みな、呑みたいだけじゃ」
スサノオの苦笑いに納得して頷く。オレたちはただ、ダシに使われているだけだ。
「そうか。ならば、好きにさせてもらおう」
中庭に集い、磐座の面々の宴がすぐに始まった。
神酒を酌み交わし、池のほとりに下りた神使がヒルコと遊び、陽気な神々と神使が宴会に興じている。
「花見の時期でもないのだが……」
少々呆れながら、オレの脚を枕にした士郎の髪を撫でると、
「なに、この状況……」
賑やかさに目覚めたのか、士郎が宴真っ盛りの連中に目を丸くしている。
「神苑復活の祝宴、らしい」
盃を傾けつつ士郎に教えてやると、起こそうとした身体を脱力させ、ため息交じりにオレの脚に逆戻りだ。
「……っ、ふは、も……、わけ、わかんねーな、神様って!」
笑う士郎にオレもつられた。
「しろう、しろう!」
オモダルが嬉々として盃を手に士郎に酌をする。
「あまり飲ませるな」
「よいではないか」
止めるオレにもカシコネが酒を勧めてくる。
「なんなんだ、貴様らは……」
呆れながら盃を傾けると、オモダルが、にこり、と笑う。
「しろうは、美しいな!」
「っ!」
酒を噴きそうになった。
「っけほ!」
おかしなところに酒が入った。
「おや、神使、いかがした?」
カシコネがオレを窺うが、噎せて声が出ない。
いきなり何を言うのか、あのガキは!
士郎に向かって、いったい、どういう了見で……。
「は? なに言ってんだ? オモダル、視力、だいじょぶか? もしかして、だいぶ酔ってる?」
顔を顰めた士郎は、オモダルを心配している。
(ああ、そうか。士郎は、こういうところは、極端に鈍いのだったな……)
オモダルは、やや期待外れだ、という顔をしてカシコネに目を向けた。
「しろう、そなた、本当に、美しいぞ」
「は? カシコネも、飲み過ぎ?」
怪訝な顔で訊く士郎に、カシコネも残念そうに息を吐く。
連れだって二神は去っていった。
(なんだったのか、あいつらは……)
まだ少し噎せていると、士郎が背中をさすってくれた。
オモダル・カシコネが去ったあと、あいつらだけではなく、神々も神使も通りがかりや、酒を注いだり、つまみを持って来たりしながら、美しい、美しい、と士郎に言う。
(いったい、なんだ、この状況は……)
孫を見るような顔で言う神、一世一代の告白タイムのように言う神使、照れ隠しにぶっきらぼうに言う神使、口説く気満々で甘い雰囲気を醸し出す神、様々に趣向を凝らして、士郎に美しいと吐いていくのだ。
端で見ているオレには、何がなんだかわからない。
士郎もわけがわからない様子だ。
いったい誰の差し金かと考える間もなくすぐに答えはわかった。だが、こんなことをする理由がわからない。
(オモダルの奴は、何を考えているのか……)
少々頭が痛くなってきた。
「衛宮士郎、そなた、やはり美しいのう」
スサノオまでがオモダルに加担している。
いったいどういうことなのか……。
「なんだよ、スサノオまで? 俺のしてきたこと、知ってるだろ?」
苦笑する士郎に、スサノオは父のように目を細めた。
「そなたが必死に阿を想う姿は、何よりも美しい人の姿であった。今も変わらず、その想いを体現しておるな」
「戦場で血にまみれてたってのに、キレイなわけないだろー」
辛い時期のことを士郎は笑って話す。
もう傷は癒えたのだろうか。
あれ程に苦しんだ日々を、過去のものとして整理がついたのだろうか。
スサノオと話し込む士郎を見ながら、そんなことを思った。
「神使」
オモダルに呼ばれ、振り返ると、元凶が側に来てしゃがみ込んでいる。
「貴様、いったい何が目的だ」
小声で言って睨む。オモダルはオレに睨まれることなど気にも留めず、声を潜めて顔を寄せろと手招きする。
「怒るな神使。しろうのすべてを占めるものを見極めたいのじゃ」
「は?」
「そなたの占めるものはわかるのじゃが、しろうの内面が見えぬ」
「内面?」