Theobroma ――南の島で2
髪を握りしめた手に触れると、さらに頭を落としていく。
「アーチャー? どこか、苦しいのか?」
背中をさすって、握りしめられた拳を撫でる。
「……くる……しい……っ……」
「アーチャー、やっぱり、どこかっ、わ!」
アーチャーに抱き寄せられて驚く。
「あ、あの、アーチャー?」
俺の胸元に顔を埋めたアーチャーは、痛いほど腕で締めつけてくる。
「えっと……」
膝立ちのまま、白銀の髪を恐る恐る撫でた。背中のタンクトップをアーチャーの手が握りしめる。
「シロウ……」
「ん。どした?」
「……シロウ…………」
なでなで、と頭を撫でる。
日本に来た時から、アーチャーはエミヤサンって呼ぶようになったのに、久しぶりに名前を呼ばれて、鼓動が跳ねる。
「…………スキ……」
「え……」
すき?
隙? 鋤? 空き? 数寄? 犂? 漉?
いろんなスキという言葉が頭を駆け巡る。
島の言葉じゃない。
日本語、だよな?
どうして?
アーチャーは、日本語なんて、全然知らないはずで……。
「シロウが好きだ。傍にいてほしい。オレに言った言葉は、もう今の気持ちではなくても、オレは好きだ。だから、ここにいてくれ、島にいてほしい、オレの傍になど無理だから、せめて、島に、いて……くれ……」
「あ……の……」
なんて言えばいいんだろう。
そんなの困るって、言えばいいのかな?
(困るって、何が?)
困るわけがない。
アーチャーに好きって言われて、心臓が、破裂しそうなくらい、バクバクしてるのに、夢じゃないのかと思うくらい、泣きそうなのに……。
「シ……ロ……」
俺の胸元で顔を上げたアーチャーの驚く顔が滲んでいく。
「あ……、あ、シ、シロウ、嫌、だったな、す、すまない」
慌ててアーチャーは腕をほどいた。
「ち、ちが……っ」
ああ、俺、泣いちゃったんだな……。
「シロウ……すまない……オレは……」
謝りながら頬を拭ってくれる優しい働き者の手が、俺、すごく好きだ。
「す、すまなかった、シロウ、許されるなんて、そんな、簡単なことじゃなかった、オレは、シロウを、」
「俺……好きだよ……アーチャーが……」
驚きに見開かれたその目には鈍色の瞳。
月光を取りこんで輝いている。
「シロウ? 本当に?」
「ん」
頷くと、涙がアーチャーの頬に落ちてしまった。
「シロウ……」
その声は、すごく安心したって感じに聞こえた。
また俺の胸に顔を埋めて、今度は優しく腕を回してくる。
「シロウ、シロウ……」
「アーチャー、なんだか、子供みたいだぞ……」
アーチャーの頭を撫でながら、もう一方の腕をアーチャーの背に回した。
「なんで……、日本語……? 誰に?」
「トーサカリンに、訊いた。どういう意味なのか、と。あの時、シロウが言った言葉がずっと知りたくて」
遠坂のやつ、何を教えてるんだよ……。
「どうして、あの時、俺が言った日本語なんか、覚えてたんだよ……」
「忘れられなかった、シロウの声が、キスが……。トーサカリンにシロウのトラウマのことを聞いて、オレは、あの時の自分を殺したくなった……」
「おしゃべりだな……、遠坂は……」
ため息を吐くと、胸元でアーチャーが俺を見上げる。
「シロウ、傍にいてほしい、ずっと。それから、どうしてオレに優しいのか、教えてほしい」
真っ直ぐに見つめてくるアーチャーの頬に触れる。俺が落とした水滴がアーチャーの頬を濡らしてしまった。
(ダメだな……)
隠そうと思ってたのに、こんな気持ち、ダメだって、わかってるのに……。
アーチャーの頬を撫でて、額にキスを落とす。
「シロウ?」
「うん」
「シ……」
鼻筋に唇で軽く触れて、頬に落ちた雫を吸い取る。アーチャーの口の端に唇が触れて、目が合う。
俺を映した鈍色の瞳が、目の前で揺れている。
鼻先が擦れて、触れ合うだけの唇を舌先で舐められて、唇を上、下と挟まれて、アーチャーの腕が少し強く身体を包んできて、身体が熱くなって、少し怖くなって、身体を引こうとしたら、噛みつかれるみたいに深く口づけられた。
アーチャーの唇が、舌が、身体が、熱い。
溶けてしまいそうだ、チョコレートみたいに……。
ずっと触れたかったんだこの熱に。
俺は、こんなにも、どうしようもなくアーチャーに触れたかったんだと、思い知った。
「ぁ、んっ、ふ、アー……チャ、お、お、れ、いる、よ、」
「ん」
「アー、チャーの、そば、に」
キスの合間に必死に伝えようとする。
「シロウ……?」
「だって、ここ、俺、の、し、ま、だもん」
ぷちゅ、と音を立てて離れた唇に少しほっとして、荒くなった息を整える。
「アー、チャー……」
ぺろ、と顎に伝った唾液を舐められる。
「そうだったな……」
ほっとしたように笑ったアーチャーの笑顔がなんだか切なくて、ぎゅ、とその頭を抱きしめてしまった。
「シロウ?」
たくさん我慢してたんじゃないかって思う。
家族を失って、ひとり生き残って、この島で生きることを許されて。育ててくれたダーダさんとか、島の人たちの優しさとかを、アーチャーは勿体ないとか思ったのかな……。
「アーチャーにみんなが優しくするのは、みんながアーチャーを愛してるからだよ」
きっとこの答えをアーチャーは訊けなかったんだろう。もしかしたら、聞く機会を逃したのかもしれない。
訊けないままで、わからないままで、この島に居ていいのかもわからなくて、この島のために何ができるのかって、助けてくれた島の人たちに何ができるのかって、きっと、アーチャーはずっと考えてて……。
「シロウが優しいのも?」
子供みたいな目をして訊くアーチャーに頷く。
そう、みんなアーチャーを愛してるんだ。
「うん、愛してるからだよ」
驚いたような顔をしていたアーチャーが、うれしそうに笑った。
Theobroma ――南の島で2 了(2016/11/30)
作品名:Theobroma ――南の島で2 作家名:さやけ