Theobroma ――南の島で2
もうそれで俺は終わりにしようって言ったけど、やっぱり、彼らはどこか引っかかりを感じているみたいだ。
(アーチャーもそうなんだろうな……)
いまだに食事は作ってくれるけど、持ってきてくれるだけですぐに帰ってしまう。
前みたいに一緒に食べるわけじゃない。
「あのー、さ……」
「んー?」
清掃の終わった焙煎機を組み立てながらサグの言葉を待つ。
「アーチャーのこと、許してやってくれよな」
ネジを締める手が止まった。
「あいつも、乗った口だから、同罪だってわかってんだけど、あいつは、おれたちに付き合ってくれただけだから……」
「付き合った?」
サグは申し訳なさそうに俺を窺う。
「最初はやる気だったと思うんだ。だけど、途中から、たぶん、仕方なくおれたちに合わせてくれてたと思う」
「え……」
「あいつ、島の奴らとは、ちょっと、見た目違うだろ?」
確かにアーチャーは、島の人と比べると容姿が少し違う。背が高すぎるし、顔つきがどことなく端正だ。
「アーチャーは、一人だって前に言ったよな」
「うん……」
「アーチャーはさ……」
サグは、訥々と話しはじめた。
島の沖合いで船が難破して漂流しているところを島の漁船に救われたんだそうだ。アーチャーは前の村長であるダーダという人に引き取られたらしい。
引き取られた当初、アーチャーはぼんやりとしていて、ロクに口もきけなかったという。色のあった髪が次第に色を失っていったのは、その事故の心的影響だろうと、本国の病院で診断されたそうだ。
ダーダという人は早くに奥さんを亡くしていて、息子さんがいたらしいけど、島を出て帰って来なかったらしい。
独り身のダーダさんはとてもアーチャーを可愛がったんだそうだ。それに島の人たちも自分たちの子と分け隔てなくアーチャーには接した。
海に恐怖心を持つアーチャーをトマの親父さんが鍛え、兄弟のいない寂しさをサグの家族と仲間が支え、島の人たちみんながアーチャーという孤独な子どもを育み、愛したんだと思う。
「島の人柄見りゃわかると思うけど、つまはじきとか、厄介者扱いなんてなかったんだ。けどさ、アーチャーには、どこかで遠慮と、負けねーぞって、意地があったと思うんだ……。
そんで、十五になる前に親代わりのダーダが死んで、あいつ、ますます変わったんだ。ダーダが亡くなる少し前から本国で勉強して、バイトして、そのまま本国のホテルで働いて……。だけど、今までの若い奴らみたいに、出てったきりじゃなくて、月に一回か二回は島に帰ってきて、おれたちにいろんなこと、教えてくれた」
「そう……なんだ……」
「あいつ、自分のこと、優先しないんだ。だからさ、だから、シロウといた時のあいつ、なんか、うまく言えねーんだけど、別人みたいだった」
「え……」
「どっか構えてて、どっか達観してて、頭いいし、行動力あるし、おれら若い奴らのリーダーみたいで、いつもつるんでるけど、あいつのこと、ホントにわかってる奴、実は、いねーの。だけど、シロウといるあいつ、楽しそうだったんだ。だからさ、あいつのこと、頼むな……」
驚きで言葉が浮かばなかった。
「あいつ、口では否定してたけど、きっと、シロウは特別なんだよ」
「え?」
「見てたらわかるって。だって、シロウが島追い出される時、あんな必死になってた。アーチャーのあんな顔、おれら見たことねーし」
あの時、俺はアーチャーの顔を見ることができなかった。
好きだと言って、キスなんかして、合わせる顔がなかったんだ。
二度と会わないと思って、顔見たら泣きそうになるから、ひと目も見ないで船に乗った。
船に乗って、船内の窓から港を見ていた。あの時は港に立つアーチャーが見えたのが最後だと思っていたのに……。
「ありがと、サグ。大切なこと、教えてくれて」
「そう?」
「うん」
「おれさ、アーチャーとは幼馴染みだからさ、あいつが笑ってるの、うれしいんだ」
「そうだな、俺も、アーチャーが笑ってるの、うれしいよ」
気が合うな、とサグと笑いながら焙煎機の清掃を終わらせた。
「アーチャーは、恩返しのつもりだったのかなぁ……」
島をどうにか発展させるために、本国でいろいろ学んで……。
島のことを考えてるのは、やっぱり助けてもらって、育ててもらってって……。
いや、そういうことも含めているんだろうけど、根底にあるのは、俺と同じで、この島が好きってことなんじゃないかな。
「知らないこと、ばっかりだなぁ……」
夜の浜辺で久しぶりに波の音を聞いていた。
眠れないのは、アーチャーの話を聞いたからだ。
アーチャーにはたくさん抱え込んできたものがある。
まあ、誰だっていろんなこと抱えて生きてるものだろうけど……。
それでも俺は、アーチャーの生い立ちを聞いて胸が苦しくなった。
自分を受け入れてくれた島に、養父に、感謝してもしきれないものを感じて、それをどうやって返せばいいのかって、アーチャーは悩んで……。
アーチャーが俺を追い出そうとしたのも、やっぱり島のためだった。
「アーチャーには、島がすべてなんだな……」
島の害になるものを排除し、島の利益となることならなんだってやる。
アーチャーは島のために生きている。この島が自分のすべてだと頑なに思い込んでいる。島のためにならその命さえ投げ出してしまいそうな危うさがある。
「そんなの、ダメだ……」
まるでこの島に、魂を人質に取られているようだ。
逃げたくても、逃げられない。
いや、逃げたいだとか、そんなことにさえも気づいていない。
「少しでも、俺が力になってあげられればいいんだけどな……」
だけど、話すこともなくなった俺が、何をどうすればいいんだろう?
「は……」
波は繰り返し、繰り返し、打ち寄せては引いていく。
ここで、アーチャーに好きだと言った。アーチャーには理解できない日本語で。
最後だと思ったから、言わずにいられなかった。
もう二度と会わないと思ったから言ったのに、アーチャーが会いに来るなんて、それに、結局、迎えに来てもらったみたいな感じになるなんて、思ってもいなかった。
「シロウ……」
驚いて、その声に振り返る。
同じように驚いた顔のアーチャーがいる。
「あ……、えと……」
言葉に詰まる。
アーチャーのことを考えていて、その本人が目の前にいて、って、前にもこんなことがあった。
「……眠れない、とか?」
何を言おうかと思案しても、そんなことしか言えなかった。
「……ああ、寝つけ……なくてな」
アーチャーは、フイと顔を逸らして、口元を手で覆った。
(あ……、邪魔……かな……)
寝つけないんだし、一人でいたいだろう。
「じゃ、じゃあ、俺は、これで。おやすみ」
「え? あ、っ……、ああ、おやすみ」
アーチャーの脇を過ぎる。
「――」
「え?」
今、なんて?
足が止まる。
振り返ると、アーチャーはしゃがみ込んでしまった。
「アーチャー?」
頭を抱えた両手が白銀の髪を握りしめている。
「アーチャー、どうしたんだ? どこか――」
「なん……でも……」
頭を振って、なんでもない、と言う。
「でも、なんか、様子が変だ」
作品名:Theobroma ――南の島で2 作家名:さやけ