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愛よりも恋よりも深く

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 高木なりの親切なのだろう、平次が新一の親友だと信じて疑っていない彼は、自分に何かあると服部君に相談してみたら…と話し掛けてくれたりしている。新一と同等に渡り合えるのが、この西の名探偵なんだとずっと信じているのだ。
「…別に気にしてなんか」
「嘘つけ。落ち込んどったやろ。俺が入ってくるんも気づかんかったぐらい注意散漫やったくせに」
 平次はあっさりと新一の言葉をはね除ける。
 向こうが隣に腰を下ろし、新一の顔を覗き込んできた。困った様な、そしてどことなく慰める様な優しい眼差しを向けられて、さっきの落ち込みが再び舞い戻ってきてしまう。
「……それ、読んでもいいぜ」
 服部の手にある調査書。言葉で説明するのは疲れると、新一は平次に目で告げる。
「せやな。その方が早いわ」
 中から出された用紙に平次が視線を走らせていく。それをぼんやりと眺めながら、新一はそっと目を閉じた。
 恋人に妹を殺された依頼人。
 そして、依頼人もまた恋人の手で殺されかけた。
 犯行の動機は恋人である男の出世欲が生み出したもので、上司の娘との見合いが決まり依頼人と別れようとしていたが、それを断られてカッとなったらしい。
 最初は依頼人だけを殺そうと思っていたのが、どこからかそれが依頼人の妹にばれてしまい、妹は警察に告発すると言い出した。ばらされたくなかったら、金を用意して欲しいと何度か脅されて精神的に
追いつめられた犯人は、依頼人を殺そうとしたトリックでその妹を殺した。
「…ちょっと待てや。殺された妹は犯行を止めようとはせーへんかったんか?」
「ああ。姉とは昔から性格が合わなかったから、疎ましいって思ってたらしいぜ。でも、依頼人の方は反発していても姉妹なのには変わりないって、結構気に掛けてたみたいだけどな」
「なんか、酷やな」
「…そうだな」
 身内は自分が殺されそうになっているのに、それを止めなかった。そして、恋人は私欲の為に自分を殺そうとした。
 二重の裏切りを知った時のショックは、多分新一が想像していたよりも大きかったんだろう。自分が信頼を寄せていた相手から受けた痛みに耐えきれなく、その現実から依頼人は逃げようとした……。
「けど、それで死ぬなんて、弱い奴のする事や」
 きっぱりとした口調。
 迷いのないそれに、新一は弾かれた様に顔を上げた。
 平次の瞳が新一に向けられる。
「工藤は、自分が追いつめたて思てるんかもしれんけど、それは間違いやで。確かに、この依頼人の前に真実を提示したやろうけど、それは探偵なら当たり前やろ。それとも、依頼人にとって辛い現実やからって、偽ったもの捏造して伝えるんか?」
「んな事、するわけねーだろっ」
 辛いから真実を伏せる。そんな馬鹿げた真似をするぐらいなら、探偵なんて最初からやってはいない。
「やろ。やったら、工藤は自分の出来る範囲の事したんやから、何も背負わんでもええねんて。ただ、この人が弱かっただけの事や。それに、まだこの人は死んどらん。生きてるんやで、工藤」
 傷ついたとしても、生きている。
 生きていれば、また新しい一歩を踏み出せる。
 傷つけた事ばかり考えていて、その相手が生きているという現実を見つめていない事に気づく。負の感情ばかりが蓄積され、いつの間にかそれに取り込まれてしまっていた。
 傷つけたのなら、その傷を癒す為に手を貸せばいいのだ。同情や自己満足じゃなく、ただ純粋に生きて欲しいと願う気持ちが新一を突き動かす。
「この人、まだ入院しとるんか?」
「…ああ、確か一週間ぐらいは安静に…とか言ってたから」
「ほんなら、明日にでも見舞い行こか」
「でも、俺が行ったらあの人取り乱すかもしんねーし……」
 微かに躊躇すれば、平次が軽く新一の頭を拳で小突いた。
「何言うてんねん。お前は命の恩人やねんで。恩人が見舞いにいって悪い事なんかあらへんわ。それに、もしそうなったとしても、俺がおるやろ」
 相手の優しい笑みが、新一の冷たく凍えていた心をゆっくりと温め溶かしていく。
(…そうだな、お前がいるもんな)
 それでも、簡単に素直になれない。こういう時、自分のひねくれた性格がつくづく恨めしくなってしまう。
「まぁ、いないよりはマシかもな」
「ほんま、素直やないねんから」
 調査書を封筒に仕舞い、平次は呆れた声を出した。あんま辛気くさい顔せんとけよ…と、らしい慰めに今度こそ新一は笑みを見せる事に成功する。 
 会いたいとメールに忍ばせた想い。
 それを汲み取って自分の元にきてくれた平次が、自分にとってなくてはならない存在になっていると確信する。
 どのカテゴリーにも上手く振り分けられないこの想いを、なんて表現すればいいんだろうか。
 友情とは違う気がする。
 恋情や愛情よりもさらに深い熱を孕んでいるそれに触れるのが怖くて、新一はそっと目を逸らした。
 今はまだこの関係が心地よいから……。
「ほんなら、飯にしよか。工藤の事やし、一人でグルグル悩んでてどうせ何も食べてへんのやろ」
 図星をさされる。同時に、さっきまではなかった筈の空腹感が新一を襲い、小さく息をついた。
「……オムライスが食いてぇ」
「それは俺に作れと言うてるんですか工藤さん……」
「よくおわかりで、服部さん」
 にっこりと今度は綺麗に微笑んでみせる。
 途端に手で顔を覆い、平次はがくりとあからさまに肩を落とす。
「…かなわんわ」
「じゃ、俺はコーヒーいれるから。せいぜい色んな方法で俺を慰めてくれよ」
 ソファから立ち上がり、新一はキッチンへと向かう。残された平次は、
「こうなったらとことん美味いやつ作ったるでっ」
 なんて意気込んだ声をあげて、あれやったら…とか、これやったら早よできるし…なんてブツブツ言いながら自分の頭の中にあるレシピを捲り始めていた。
 その声を背中で聞きながら、新一はクスクスと微かに声をたてて笑う。
(サンキュ、服部)
 もう大丈夫だ。平次の温もりや優しさが傍にある限り、自分は立っていられる。
 甘えだと自覚してるけれど、いずれはちゃんとはっきりさせるから。……だから、それまで待っていて欲しいと我が儘を心の中で呟く。
 新一は平次が気に入って置いていった珈琲を取り出し、これから訪れる穏やかな時間に安堵の息を漏らした。







   ◇  ◇  ◇  ◇  ◇






 愛よりも、恋よりも深い絆。
 繋がっている事に安心する。


 今はまだ言えないけれど。
 きっと。
 ……きっと言える日がくるはずだから。
作品名:愛よりも恋よりも深く 作家名:サエコ