彼岸島短文詰め
明篤への3つの恋のお題:泣いちゃいそうだよ/どうしたら振り向いてくれる?/思わず触れてしまいそうになった
【泣いちゃいそうだよ】
幼い頃見上げていた顔が、今はほとんど同じ高さだった。
「明?」
いつもの取り澄ました顔が不安げに歪んでいるのに気付き、心臓が跳ね上がる。口の中が乾いて、舌が張り付いてしまったかのように、言葉が出てこなかった。表の店の喧騒がやけに遠く感じた。
今すぐ壁に押し付けた肩を離して、冗談だと笑うべきだ。
「兄貴…」
自分のものでないようなかすれた声を聞きながら、引き寄せられるように顔を近づけた。
ふざけるなと篤が体を押しのけ、その場を去ってくれれば良かった。
拘束しているこちらの方が何故か泣きそうなったのを必死で堪えて、僅かに震えていた体を、抵抗のないまま、引き寄せてキスをした。
【どうしたら振り向いてくれる?】
ただ、好きだった。周りは、親でさえ自分と優秀な兄を比べるけれど、別に気にした事などなかった。だってそんな比較をする無神経な人間より、篤の方が好きだった。
篤だって弟である自分を好きだ。どんな話にも耳を傾けてくれて、いつでも味方で居てくれる。
お互い成長してからは子供の頃のようには頻繁に話さなくなったけれど、それでも二人の間に、幼い頃からから変わる所なんて何もない。ずっとこのままの関係でいられるのだと思っていた。
傍らの女性に微笑む篤の顔を見るまで。
知らない誰かを好きになって、結婚をして、いつかは新しい家族を作り離れてしまう。そんな当たり前のことを思ってもみなかったことに愕然とした。ずっと好きだった。それが何と呼ばれるものなのか、考えてみたこともなかった。
他の誰かじゃない、自分だけに笑いかけて欲しい。どうしたら振り向いて、こっちを見てくれる?
血の繋がった兄に向けるには、間違っているだろう感情の名を、知る事だけが怖かった。
【思わず触れてしまいそうになった】
「兄貴」
後ろから声を掛けられて、篤は荷物を纏める手を止めた。
「明日だっけ?」
「ああ」
振り向かずに短く答える。あの日から明とは家族の前以外で言葉を交わしていない。
「何時」
「六時には出るよ」
「まだ寝ないの?」
「これが終わったら寝る」
「そう」
意外にも普通に会話出来ているのに篤は内心ほっとしていた。考えてみれば、あんなものは度が過ぎてしまった悪ふざけであったのかもしれない。このまま無視してしまえば、お互いすぐに忘れてしまうような。
「お前もいくら明日休みだからって、もう遅いんだから早く―――」
「兄貴」
話の途中で、突然肩を掴まれた。
驚いて振り向くと、明が怒ったような顔で見つめていた。あの時と同じ、互いの体が触れる程不自然に近い距離だった。
「…何で何も言わないんだよ」
篤は困惑しながら、睨んでいる弟の顔を見た。
「何でって……何を」
口にしてから、何を言って欲しいのだと、意図せず逃げ場のない言い方になってしまったのに気付きはっとしたが、先に視線をそらしたのは明の方だった。
「ごめん」
一言言うと、すぐに身体は離れていった。
「おやすみ」
そう言い残し明は部屋を出て行った。
応えられるはずもないのに、引き留めてどうしようというのか?
離れていく身体を追って、考えるよりも早く思わず触れてしまいそうになった手を、篤はいつまでも見つめた。