sleeping my boy
Sleeping my boy
あれはいつの事だっただろう。
一ノ瀬さんが確か、こんな事を言っていた。
『君といれば、いつかそれも、無くなるのかもしれませんね』
真夜中のコール。それは少し意外なタイミング。
夜遅く、時計の針が十二時を差そうとしていた時、テーブルの上に置いていた携帯電話の着信音が鳴った。
音也君?
真っ先にそう思ったけど、普段の音也君は、仕事が入っている時以外は、夜はきちんと寝るタイプで、深夜に電話をかけるなんて事は、めったにない。
けれどこんな時間に電話を鳴らす相手を他に思いつかなくて、携帯のディスプレイを見たら、やっぱり音也君だった。
「はい、春歌です」
「ごめんね、こんな遅くに。もう寝てた?」
「ううん、まだ起きてたから大丈夫です。それより、どうしたんですか? こんな時間に」
何かあったのかな。私は心配になる。
明日は、音也君の久々のオフ。
私も、今受けている仕事の納期まで少し余裕があるから、一緒に過ごす約束をしていて。
だから少し、悪い予感がした。
急に仕事が入ったなら、そっちの方が優先だから。
私は緊張しながら、音也君が話し出すのを待った。
けれど、音也君は黙ったままで、それが私をさらに落ち着かなくさせた。
「音也君?」
「あ、ごめん。ちょっとぼんやりしちゃって」
何だか様子がいつもと違うのを感じる。
「あの、何かあったんですか」
不安な気持ちを抑えながら訊ねると、音也君はゆっくりと話し始めた。
「そうじゃないんだ。えっと、あのさ。仕事終わって…今帰ってきたとこで、食事は外でしてきたから、あとはもう、シャワー浴びて寝るだけなんだけど…その前にちょっとだけ、春歌の声が聞きたくなったんだ」
話す声が、少し疲れていた。
いつもみたいに、弾ける様な元気がない。
「こんなに近くにいて、明日になれば会えるのに、一度そう思ったら我慢できなくなってさ。おかしいよね。なんかごめん」
無理に明るく振る舞おうとしているのがわかって、よけいに切なくなった。そんなふうに謝ったりして欲しくない。
「音也君。遠慮しないで、私にできる事があったら言って下さい。あと疲れている時は無理しないで。私は、どんな時でも音也君の味方です」
一人で我慢しないで、頼って欲しい。
音也君には笑っていて欲しいから。
少しでも力になりたい。
「ありがとう、春歌。あのさ…本当は今すぐにでも君に会いたいんだ。でも、そんなのダメだよね」
残念そうに言われて、私は少し考える。
時間は遅いけど、明日はオフだし。
何より音也君がそう言うなら。
「あの、少しだけなら…」
「えっ、ホントに?」
「はい」
「ホントにホント? だってこんな時間だし…君だって疲れてるんじゃない?」
「大丈夫です。それに私も、音也君の顔が見られたら嬉しいです」
嘘でも強がりでもなくて、私の率直な気持ちだった。
「そっか。君がそう言ってくれるなら…ねえ、今から春歌の部屋に行ってもいい?」
音也君に言われて、私は自分の部屋を見渡した。
ずっと作業に夢中で全然気が付かなかったけれど、部屋の中は結構散らかっているし、そもそも、寝るつもりで一度パジャマに着替えた後に、ふと思いついたアイディアを譜面に起こしていたところ。今音也君に来られたら、かなり恥ずかしい事に…!
「そ、それはダメです! あの、私が音也君の部屋にお邪魔したらダメですか?」
「ええっ! 俺の部屋っ?」
今度は音也君が驚いた。
「うーん、それはちょっとマズい様な…あ、まあでもこれって結局、どっちもどっちなのかなぁ…」
電話越しに悩んでいる音也君の声が聞こえる。
元気になってもらうためなのに、何だかかえって困らせてしまったみたいで、私は申し訳なくなった。
「あの、ごめんなさい、やっぱりよくないですよね」
「春歌…」
「お仕事でお疲れのところにお邪魔するなんて。音也君だって気を遣いますよね。気が付かなくてごめんなさい」
少しの沈黙。
「あー…それは全然気にしなくていいってゆーか、たぶん俺の考えてる事と君の考えてる事でものすごく違いがあると思うんだけど…」
「え?」
「な、何でもない! その、君がイヤじゃなければいいんだ。俺がしっかりしてればいいんだし。うん」
「音也君?」
「いや、こっちの話! 大丈夫、わかったよ。俺は平気だから、良かったらおいで。鍵、開けとくからさ」
声に明るさが戻って、私はほっとする。
「はい、あのでも、少し身支度をしてから行くので、時間がかかるかも。よかったらシャワー浴びてて下さい」
「えっ、あ、そっか。シャワーって、さっき俺が言ったんだっけ…。うん、わかった…」
「待ってて下さいね」
何か自信なくなってきた、と困った様な声が電話から聞こえてきて、どうしたんですかと訊ねてみたけど、音也君は、何でもないよと言うだけで、いったい何がどうしたのか、頑なに教えてくれなかった。
少し前まで、早乙女学園の生徒だった私たち。
学園の寮では。私は親友のトモちゃんと、音也君は一ノ瀬さんと同じ部屋で共同生活をしていた。
卒業オーディションに合格して、シャイニング事務所の所属になった私たちは、事務所の寮に移る事になって。
今度は相部屋ではなく、一人一部屋。広くて家具も揃っていて、とても立派な部屋だけれど、一人で暮らすにはちょっと広過ぎる気もする。
それでも私は、部屋にいる時間が多くて、だいぶこの環境に慣れてきたけど、音也君はそうじゃないのかも。
もっとも学園の寮で同室だった一ノ瀬さんは、多忙で留守がちだったそうだけれど、それでも同じ空間で生活していれば、人の気配みたいなものはあるから、きっと今とは違う。
仕事を終えて帰る、誰もいない部屋。
それはもしかしたら私が思っているよりもずっと、音也君を心細くさせているのかもしれなかった。
(あの男は見た目ほど、能天気ではないという事です)
誰かがそう言っていたのを、ふと思い出した。
…そう、他でもない、ルームメイトの一ノ瀬さんだった。
あれはいつの事だっただろう。
一ノ瀬さんが確か、こんな事を言っていた。
『君といれば、いつかそれも、無くなるのかもしれませんね』
真夜中のコール。それは少し意外なタイミング。
夜遅く、時計の針が十二時を差そうとしていた時、テーブルの上に置いていた携帯電話の着信音が鳴った。
音也君?
真っ先にそう思ったけど、普段の音也君は、仕事が入っている時以外は、夜はきちんと寝るタイプで、深夜に電話をかけるなんて事は、めったにない。
けれどこんな時間に電話を鳴らす相手を他に思いつかなくて、携帯のディスプレイを見たら、やっぱり音也君だった。
「はい、春歌です」
「ごめんね、こんな遅くに。もう寝てた?」
「ううん、まだ起きてたから大丈夫です。それより、どうしたんですか? こんな時間に」
何かあったのかな。私は心配になる。
明日は、音也君の久々のオフ。
私も、今受けている仕事の納期まで少し余裕があるから、一緒に過ごす約束をしていて。
だから少し、悪い予感がした。
急に仕事が入ったなら、そっちの方が優先だから。
私は緊張しながら、音也君が話し出すのを待った。
けれど、音也君は黙ったままで、それが私をさらに落ち着かなくさせた。
「音也君?」
「あ、ごめん。ちょっとぼんやりしちゃって」
何だか様子がいつもと違うのを感じる。
「あの、何かあったんですか」
不安な気持ちを抑えながら訊ねると、音也君はゆっくりと話し始めた。
「そうじゃないんだ。えっと、あのさ。仕事終わって…今帰ってきたとこで、食事は外でしてきたから、あとはもう、シャワー浴びて寝るだけなんだけど…その前にちょっとだけ、春歌の声が聞きたくなったんだ」
話す声が、少し疲れていた。
いつもみたいに、弾ける様な元気がない。
「こんなに近くにいて、明日になれば会えるのに、一度そう思ったら我慢できなくなってさ。おかしいよね。なんかごめん」
無理に明るく振る舞おうとしているのがわかって、よけいに切なくなった。そんなふうに謝ったりして欲しくない。
「音也君。遠慮しないで、私にできる事があったら言って下さい。あと疲れている時は無理しないで。私は、どんな時でも音也君の味方です」
一人で我慢しないで、頼って欲しい。
音也君には笑っていて欲しいから。
少しでも力になりたい。
「ありがとう、春歌。あのさ…本当は今すぐにでも君に会いたいんだ。でも、そんなのダメだよね」
残念そうに言われて、私は少し考える。
時間は遅いけど、明日はオフだし。
何より音也君がそう言うなら。
「あの、少しだけなら…」
「えっ、ホントに?」
「はい」
「ホントにホント? だってこんな時間だし…君だって疲れてるんじゃない?」
「大丈夫です。それに私も、音也君の顔が見られたら嬉しいです」
嘘でも強がりでもなくて、私の率直な気持ちだった。
「そっか。君がそう言ってくれるなら…ねえ、今から春歌の部屋に行ってもいい?」
音也君に言われて、私は自分の部屋を見渡した。
ずっと作業に夢中で全然気が付かなかったけれど、部屋の中は結構散らかっているし、そもそも、寝るつもりで一度パジャマに着替えた後に、ふと思いついたアイディアを譜面に起こしていたところ。今音也君に来られたら、かなり恥ずかしい事に…!
「そ、それはダメです! あの、私が音也君の部屋にお邪魔したらダメですか?」
「ええっ! 俺の部屋っ?」
今度は音也君が驚いた。
「うーん、それはちょっとマズい様な…あ、まあでもこれって結局、どっちもどっちなのかなぁ…」
電話越しに悩んでいる音也君の声が聞こえる。
元気になってもらうためなのに、何だかかえって困らせてしまったみたいで、私は申し訳なくなった。
「あの、ごめんなさい、やっぱりよくないですよね」
「春歌…」
「お仕事でお疲れのところにお邪魔するなんて。音也君だって気を遣いますよね。気が付かなくてごめんなさい」
少しの沈黙。
「あー…それは全然気にしなくていいってゆーか、たぶん俺の考えてる事と君の考えてる事でものすごく違いがあると思うんだけど…」
「え?」
「な、何でもない! その、君がイヤじゃなければいいんだ。俺がしっかりしてればいいんだし。うん」
「音也君?」
「いや、こっちの話! 大丈夫、わかったよ。俺は平気だから、良かったらおいで。鍵、開けとくからさ」
声に明るさが戻って、私はほっとする。
「はい、あのでも、少し身支度をしてから行くので、時間がかかるかも。よかったらシャワー浴びてて下さい」
「えっ、あ、そっか。シャワーって、さっき俺が言ったんだっけ…。うん、わかった…」
「待ってて下さいね」
何か自信なくなってきた、と困った様な声が電話から聞こえてきて、どうしたんですかと訊ねてみたけど、音也君は、何でもないよと言うだけで、いったい何がどうしたのか、頑なに教えてくれなかった。
少し前まで、早乙女学園の生徒だった私たち。
学園の寮では。私は親友のトモちゃんと、音也君は一ノ瀬さんと同じ部屋で共同生活をしていた。
卒業オーディションに合格して、シャイニング事務所の所属になった私たちは、事務所の寮に移る事になって。
今度は相部屋ではなく、一人一部屋。広くて家具も揃っていて、とても立派な部屋だけれど、一人で暮らすにはちょっと広過ぎる気もする。
それでも私は、部屋にいる時間が多くて、だいぶこの環境に慣れてきたけど、音也君はそうじゃないのかも。
もっとも学園の寮で同室だった一ノ瀬さんは、多忙で留守がちだったそうだけれど、それでも同じ空間で生活していれば、人の気配みたいなものはあるから、きっと今とは違う。
仕事を終えて帰る、誰もいない部屋。
それはもしかしたら私が思っているよりもずっと、音也君を心細くさせているのかもしれなかった。
(あの男は見た目ほど、能天気ではないという事です)
誰かがそう言っていたのを、ふと思い出した。
…そう、他でもない、ルームメイトの一ノ瀬さんだった。
作品名:sleeping my boy 作家名:透野サツキ