2 面影
髪と言えば昨日の事だった―。
その日の朝、いつものようにアルラウネがユリウスの朝の身支度を手伝い(もう大体の事は彼女一人で出来たが、流石に髪を結うのはアルラウネが手助けをしていた)、彼女の大分長くなってきた髪を少し大人びたアップヘアに結い上げた時だった。
鏡に映った自分の姿を見たユリウスが―、不意にポロリと流した涙。
「どうしたの?」
一瞬固まったように鏡の自分を凝視した後に、彼女の頰を涙が伝い落ちる。
アルラウネにその涙を見られたユリウスがハッと我に返り、その顔に慌てて笑顔を浮かべる。
「な、何でもない!ちょっと…目にゴミが入っちゃったの!」
「そう?見せてごらんなさい?」
アルラウネがユリウスの頰に手を当てて、涙の流れ落ちた碧の瞳を覗きこもうとする。
「もう大丈夫だよ!さっき…涙と一緒に流れ落ちたみたい」
― びっくりさせちゃってゴメンなさい。…何だか…髪をアップにするとぼくでもいっぱしの貴婦人に見えるね。
涙から気をそらすように、ユリウスがおどけてみせる。
「ぼく ではなくて、わたし でしょ?…それに、あなたは立派に貴婦人よ」
アルラウネがこの若く愛らしい義妹とも言える目の前の女性の結い上げた髪にそっと手を添えた。
「…ありがとう」
アルラウネにそう言われたユリウスは、少しはにかんだような眩しい笑顔を浮かべた。
朝食後、ユリウスが食堂を退室したのを確認して、今朝の涙の事をアレクセイに報告する。
食堂の窓から本を抱えて庭に出て行くユリウスの姿を見ながらアレクセイはその事に暫し考えを巡らせ、口を開く。
「あいつ…きっと髪を結い上げた自分の姿に…母親の面影を見ちまったんじゃないかな…。あいつの母ちゃん…あいつとそっくりな面差しをしていて、ああやって髪を結うと本当に瓜二つだから…」
改めて二人は、彼女が捨て去ろうとしているものの大きさに思い至る。
全てを捨てる覚悟を決めたとは言え、まだ15才の少女だ。
「ねぇ、アレクセイ…。本当に彼女…」
「言うな!…あいつだって覚悟は決めたんだ…」
アレクセイがアルラウネの言葉の続きを遮る。
「…そうね。そうだったわね。今更彼女にその事を蒸し返すのも…酷だわね。彼女にも…これからの事だけを…前だけを見てもらいましょう」
庭のベンチに腰掛けて読書に勤しむ義妹の金の頭を窓から見つめながらアルラウネもそう呟いた。
それは、アレクセイに向けられた言葉であり、それと同時に、自分自身にも向けられた言葉だった。
作品名:2 面影 作家名:orangelatte