36 別れ
再びユリウスが意識を取り戻す。
寝ている間に鎮静剤を打たれたのか、頭の芯がどこかぼうっとして身体が重い。
そのまま両手で顔を覆い、ベッドの天蓋を仰ぐ。
顔を覆った両手の間から涙が幾筋も流れ落ち、枕に広がる金髪を濡らす。
そのまま、ユリウスは声を殺しながら静かに静かにすすり泣き続けた。
「ユリア…。あなたには息子さんがいたのね。…知らなかったわ。知らなかったとはいえ…あなたの息子さんには寂しい思いをさせてしまったわね」
「…私を…記憶を失って何もわからない私を…あの人は…レオニードは…そんな私を陰で嘲笑っていたの?何故敵のわたしに…あんな態度で接したの?…だましていて面白かった?」
ぞっとするような冷たい声だった。
「違うわ!…それは違うわ!!ユリア。…確かにあなたと兄の立場は敵同士かもしれないけれど…。あの、兄があなたに見せた優しさは…愛情は…偽りのない本物の感情よ。…それは…多分あなたが一番わかっているはず…」
思わずヴェーラの声が大きくなる。
そのヴェーラの弁明を身じろぎもせず両手で顔を覆ったまま聞いていたユリウスは…、顔を覆ったまま大きく頷いた。
二人の間に重たい沈黙が流れる。
その沈黙をユリアが破る。
「私を、家へ帰してください。…待っている人がいるんです。息子が私を待っているんです。…どうか…お願いします」
上体を起こして涙に濡れた瞳をヴェーラに向けて懇願する。
「…分かったわ。リューバ、辻馬車を呼んできてくれる?」
―あなたが記憶を取り戻した以上…あなたがここを出るというのを止める権利は私達にはありません。…さあ、兄が戻る前に、ここを出てお帰りなさい。
ヴェーラは優しいけれど少し切なげな笑顔をユリウスに見せると、彼女の身支度を手伝った。
「これを…」
邸の前にとめられた辻馬車の前でヴェーラがユリウスに…踏まれてやや型崩れしたバッグを手渡した。それは―あの日ユリウスが持っていたハンドバッグだった。
「あなたがちゃんと抱えていたから…取られることなく中の身分証もお財布も鍵も無事だったわ。あなたの家の近くまで…リューバを護衛につけます。…立場は違うけれど…あなたの幸せを祈っているわ」
そう言ってヴェーラはユリウスの肩を抱き寄せると彼女の白い頬にキスをした。
「あなたも…。そして…レオニードにも…心からありがとうと…伝えて下さい」
ユリウスもヴェーラの肩を抱き返しその白い頬にキスを返した。
ユリウスを乗せた辻馬車が通りの角を曲がって見えなくなるまで、ヴェーラはその馬車を見送り続けた。
作品名:36 別れ 作家名:orangelatte