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四畳半に、ちゃぶ台ひとつ

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「姐さん……いや兄さん! 大変だァ!」
「兄貴が、兄貴がぁ」
 昼下がりのことだ。愛想は悪いが味は良いと評判のレストラン『バラティエ』では、店長のゼフと副料理長、もとい唯一の従業員であるサンジが殺伐と皿を洗っている真っ最中だった。そこに飛び込んできたのは、純白のテーブルクロスやぶくぶくと泡を立てる洗剤にはそぐわない、派手な柄シャツの男二人組である。二人の名は、ヨサクとジョニー。ここいらをいつもブラブラしているチンピラだ。
「いいか、俺を兄さんと呼ぶな。姐さんとも呼ぶな」
 苦々しげに煙草のフィルターを噛みながら、サンジがキッチンから出てきた。細身の金髪。一見したところではホストか風俗のスカウトマンか、という感じだが、よく見れば顔付きがなんとなくくたびれていて、目元だけ見れば日々の生活に疲れた主婦のようにも見える。
「そんなことより兄さん、兄貴が……」
「なんだ。またあの飲んだくれか」
 わあわあと騒いでいるヨサクとジョニーの前に、白い前掛けで手を拭いながら立ったのはオーナー・ゼフ。ピンと伸びたよさ毛の向こうから、剣呑な目付きで二人を睨みつけた。
「今度はなんだ。酔って肥溜めにでも突っ込んだか。それとも警察署に襲撃でもかけたか」
「あっ、惜しい」
「なんだとォ」
 ぎろり、と二人をこれまた睨みつけたサンジの眼光に、チンピラたちがひぃと竦んだ。コックコートを着ているくせに、その振る舞いはそんじょそこらのチンピラよりもチンピラらしい。
「それがその、パチンコで大負けして」
「金がねえってんで、オヤジ狩りならぬヤクザ狩り……」
「で、ボコボコにされたヤクザが警察署に飛び込みまして」
「被害者容疑者、揃ってガシャン」
 ガシャン、と言いながら、ヨサクが両手を前に突き出した。一瞬の沈黙の後、ハァ……とサンジが深いため息を吐く。
「てめえらが付いててどうしていつもこういうことになるんだ? 下っ端甲斐のねえ奴らだぜ」
「俺らも止めたんす! でも止まんねえんす!」
「ホラ見てコレ! 鼻血ダラッダラ!」
 ダラッダラ、という言葉も確かに、確かにヨサクもジョニーも揃って鼻の穴から赤い滝を垂れ流している。ジョニーに至っては、微妙に鼻っ柱が歪んでいるほどだ。
「サンジ、てめえもいい加減にしやがれ。お前が甘やかすからあいつも付け上がんだ」
「うるせえクソジジイ。甘やかしちゃいねえ、俺があいつの面倒見てんのはアレだ、公共の福祉ってやつだ」
「なァにが公共の福祉だ。要するにてめえはヒモを一匹抱え込んでるってことじゃァねえか」
「うるせえうるせえ! 拾った犬は最後まで面倒見んのが、飼い主の責任ってやつだろうがよ!」
「何言ってやがんだ、5歳以上も年上の男を相手に……」
 呆れ顔のゼフを睨みつけてクソ、と吐き捨て、コックコートをテーブルに叩き付けると、サンジは店を飛び出した。そのままの勢いで、道端を掃いていた親爺を、蕎麦屋の出前を、テレクラのポン引きを押しのけ、警察署への道を爆走する。道行く人々も慣れたもので、「ああまたか」という表情を浮かべては、風になびく金髪を見送るばかりだ。
 あいつはさァ、俺が拾ってやったんだ。路地裏にさ、血まみれの腹ペコで倒れてやがってさ。仏心を出して拾っちまったのが運の尽きだな。それからすっかり居ついちまった。犬と同じだ。
 酔うたびにサンジは、帰ってこない男に悪態を吐きながらそう管を巻く。実際のところ、捨て犬、ヒモ、ゴク潰し、そんな言葉の似合う男を養っているサンジに向けられる人々の視線は生ぬるく優しい。そんな視線を向けられながら、もう捨てちまえよそんな奴、そう言われるたびに、サンジはいつもこう返す。
「だって俺があいつ捨てたらさ、世間様に迷惑が掛かんだろ……」
 そう言って、なにやら神妙な目付きで、酒に映った揺らめく自分の顔を眺めるのだ。
「やっぱアレ、デキてんだよなァ、ゾロの兄貴と」
「馬鹿野郎。野暮なこと言うんじゃねえ」
 サンジが開けっ放していった扉を見つめながら、ヨサクとジョニーはぼんやりと呟き合った。ぴくり、とゼフのこめかみが神経質に動く。
「馬鹿野郎はてめえらだ! さっさと出てけチンピラども!」
 お玉や鍋や包丁やらに追いかけられながら逃げ出すチンピラ二人組も、通りの人々には見慣れた光景だ。

「どーもスイマセン。ほらてめえも謝れ!」
「……」
 不貞腐れているのかそれとも寝起きでいまいち頭が回っていないのか、サンジに押されてもゾロの緑色の頭はぴくりとも動かない。天井あたりをじっと見つめ、不動のままふてぶてしく仁王立ちする様に、むしろ二人の様子を遠巻きに眺めている警官たちが感心しているほどだ。
 ギリギリと歯を鳴らしながらも、サンジは思い切り、ほぼ二つ折りになるくらい深く頭を下げた。
「ったくよォ! ゴク潰し! 飲んだくれ! ろくでなし! すんません、帰ったらよーく言い聞かせますんで」
「いやまァ……相手はここいらの店を恐喝して周ってたヤクザってことで、お咎めなしだから、ね。顔上げてサンジ君」
「ほんっといっつもいっつも……」
 いいからいいから、と、すっかり顔なじみになったマル暴のゲンさんは、物騒な面構えに似合わず温厚そうな声でサンジを宥めた。
「君も毎回悪いね。引取りに来てもらっちゃって」
「まあ、こいつ身寄りねえんで。俺が来てやんねえと」
「頑張るねェ……あ、今度レストランにメシ食いに行くから」
「ッス! サービスするんで」
「いや、いいよいいよ」
 すんません、ほんっとすんません、と、ぐいぐいゾロの微動だにしない頭を押し続けつつ、なぜかサンジの方が廊下を歩く警察官たちにペコペコして立ち去っていく。
「あれ、あの子また来たの? 確かまだ18かそこらって話じゃないかい。で、ろくでなしの方はいい年だろ? 見な、まるで年が逆だよ。よくやるねェ」
 珍妙な二人の背中を見送りながら、背後から掛かった声にゲンさんは振り向いた。ベルメール、と呼ばれたその女性警察官は、うっすらと目を細めて上下に忙しなく動くサンジの金髪を眺めている。
「ありゃデキてるね」
「え……え!?」
「なんだい。そうでなきゃ、毎回毎回他人を迎えになんて来るもんか」
「お、男同士だぞ。それにサンジ君、ほら、今だって鼻の下伸ばしてこっち見て……アッ、まさかサンジ君、俺のことが!?」
「馬鹿、違うよ、そういうことじゃないの。にしたって……ありゃ、完全にホレてるわ」
 カルチャーショックに襲われながらも、ゲンさんは哀れみのたっぷり篭もった生ぬるい視線でサンジを見つめた。
「不憫な……サンジ君、あんなのに惚れちまって」
 しかし、ベルメールはゲンさんの言葉に、なに言ってんだいさっきから、と目を見開いた。そんなこと考えもしなかった、と言わんばかりの表情だ。
「逆さ。夢中になってんのはあのろくでなしのほうだろ?」
「ええ!?」
「ニブいねェ。どう見たってベタボレじゃないか」
 だからあんたいつまでたっても結婚できないんだよ、と笑うベルメールを「余計なお世話だ!」と怒鳴りつけながらも、ゲンさんは再び、ええ……? と首を傾げる。
 ペコペコ、ペコペコ、とサンジは頭を下げ続け、横に立っているゾロは警官たちに思い切りガンを飛ばしていた。