52 聖痕
「どうした?アレクセイ」
―なんだ?そんな顔して…。さてはあまりに久々だったから…粗相でもしたか?
深刻な顔をしたアレクセイに階段の踊り場まで連れ出されたミハイルが軽口をたたく。
「バカ…そんなんじゃねぇよ。…ユリアの腕の傷なんだが…」
質問はミハイルが予測した通りのものだった。
「ああ。あれか。ユリアから聞いたんだろ?」
「まあな。四年前に市街で起きた暴動に巻き込まれて…流れ弾で負傷した と」
「ああ。その通りだ。それで?」
「それで?…って。…あいつ他にも危ない目にあっていたんじゃないのか?―俺が不在にしていた6年間あいつは…」
「あいつは…なんだ?何かお前に言えないような事でもあったのか…と、俺に聞こうと思ったのか?」
ミハイルに強い視線を向けられ、思わずアレクセイが目を逸らす。
「…いや。そんなわけじゃないが…。― そうだよな。俺が勝手にモスクワ蜂起に参戦した挙句に、シベリア送りになって…散々手前勝手なことをしていた間に、留守を必死で守ってくれたあいつの事を勘ぐったりする資格は…俺には全くないんだよな。…ハハ。全くお門違いもいいところだ。…忘れてくれ、ミハイル」
「ユリアは四年前の秋の初めに、暴動に巻き込まれて大怪我を負った。怪我はあの弾傷以外にも肋骨の骨折や頭の強打、全身打撲と、結構な重傷だったらしい。道端で意識を失ったあいつを…とある貴族が保護したそうだ。あれだけ美しい女だ。きっと傷が癒えたら寵姫として囲ってしまおう…とでも思ったのだろう。二か月程行方が分からなくなっていた。たださっきも言ったようにユリアの怪我は重傷で、しかも頭を打った後遺症で暫く記憶障害を起こしていたらしい。…まあそれは一時的なものだったようで、外傷が癒え記憶も戻った彼女は…、外聞を気にしたその家の人間が密かに開放してくれて、無事に元の―、俺たちの世界へ戻って来た。彼女は「アレクセイに顔向けできないことは一切していない」と涙ながらに訴えていたぞ。あいつは嘘はつかない。だから…お前も信じてやれ。これが彼女の腕の弾傷の全容だ」
― へんな噂でお前の耳に入るよりは、俺が全部話した方がいいと思ったから、俺の知っていることは全てお前に話しておく。
「その…貴族の名前は…?」
アレクセイの質問に、ミハイルが肩を竦めて両手で天を仰いだ。
「巧妙に隠していたらしい。―ユリアにしても外国人だ。貴族様の住んでいるようなお屋敷地区の事なんて知る筈もない。結局その物好きな貴族がどこ家の誰かは…分からずさ」
「そうか…。ありがとう。ミハイル。…包み隠さず話してくれて」
アレクセイがミハイルに頭を下げる。
「分かってるだろうが…ユリアを…責めるなよ?」
ミハイルが項垂れたアレクセイの肩を叩く。
「ああ…」
― 事務所へ戻ろう。
ミハイルがアレクセイの肩を組み、二人は再び事務所内へと戻って行った。
作品名:52 聖痕 作家名:orangelatte