52 聖痕
春の宵のサンクトペテルスブルグの街を父子連れが行く。
亜麻色の髪の背の高い父親を仰ぎ見るように、同じ亜麻色の髪の小さな息子が父親の差し出した手にぶら下がりながら、仲睦まじげに運河沿いの通りを行く。
《エカテリンブルグ通商》
父子が向かった先は、とある雑居ビルの一フロアにある貿易会社―、といってもそれは名ばかりで実はボリシェビキの一支部の事務所だった。
煤けたエッチングで社名が書かれたガラス戸を押して中へ入る。
「お疲れ―」
事務所内で作業をしている面々に声をかけ、アレクセイは息子に、奥の席で今は非常勤として繁忙期のみの勤務に就いている妻ユリウスの姿を指し示す。
「ムッター!!」
母親の元へミーチャが走り寄る。
「ミーチャ!アレクセイ!!」
デスクで仕事に没頭していたユリウスが、息子の声に顔を上げて、顔を綻ばせる。
「ムッター。お家帰ろう?」
ミーチャが母親のドレスのスカートに纏わりつく。
そんな息子をユリウスはしゃがんで優しく抱きしめる。
「あ、ミーチャ。お風呂行ったんだね。いい匂いがする」
息子の柔らかな小さな体を抱きしめ亜麻色の髪に顔を埋める。
「さあ、ユリア。もう今日は上がりましょ」
息子の訪問を潮に、作業していた面々が取り掛かっていた仕事を片づけ始める。
「お?ミーチャかぁ!大きくなったなぁ」
事務所に残っていた党員たちが、ミーチャに近寄り頭を撫でたり、頬をつついて行く。
この事務所の人間の誰にとっても、この子供は赤ん坊の頃から見知っており、まるで親戚の子供のような親近感を持っているのだった。
皆に構われミーチャが面映ゆそうな顔をする。
「ミハイル―、ちょっといいか?」
支部の人間らがミーチャとユリウスを取り囲んでいるのを確認して、アレクセイがミハイルを外へと連れ出す。
作品名:52 聖痕 作家名:orangelatte