53 レディ・リューバ
ロシア貴族の武門の名門、ウェイ家の長女リューバの許嫁、ドルジェが急死した。
まだ14歳の若さだった。
死因は落馬と伝えられたが、草原の覇者をルーツに持つウェイ家の一族の御曹司が、あろうことか馬から落ちて死ぬというのはいかにも不自然な事だった。
そして実際、ドルジェは誰もがその死因を訝しく思うぐらいに、若年ながら乗馬の名手として知られていた。
新たにリューバの婚約者の候補として挙がったのは、やはり、ウェイ家の傍流のアランだった。
アランはウェイ一族の流れに繋がる家ではあったが、ロシアに帰化した時からさかんにロシアへ同化したために、今では満州族のアイデンティティはほぼ失われ、風貌もロシア人との混血をこの200年の間さかんに行ったために、もはやスラブ人に近いものであった。
ロシア宮廷に熱心に出入りしているこのアランも、見た目物腰は最早ロシア宮廷貴族と可変わりなく同族の中でも栄えた一族であるとはいえ、同じ一族からは「ウェイ一族であるにも関わらず満足に野営も出来ない男」と軽くみられる向きがあった。
ドルジェを失った悲しみに暮れる13歳のリューバの元に、足繫くアランが通ってくる。
真冬なのにもかかわらず両手いっぱいの白い薔薇の花束を携え、このまだ年若い総領家の美少女の前に優雅にひれ伏し、白い手に口づけを落す。
「リューバ…。私の白い花。ウェイ一族の人間でありながら落馬で死ぬような間抜けな男のために、その目を涙で腫らすようなことはお止めなさい。私があなたを一生守って…何不自由のない贅沢な暮らしをさせてあげよう。あぁ、リューバ…可愛い人…」
彼が抱えて来た温室育ちの薔薇のような、華やかだけどどこか薄っぺらくて空疎なこの男がリューバはどうしても好きになれなかった。
―守られて不自由のない贅沢な暮らし…?私はそのようなものは望んでいない…。
手の甲に擦り付けられた男のくせに妙に滑らかな頬の感触と、強い香水の香りにリューバの背中に粟がそそけ立つ。
アランの手を邪険に払いのけ、ふいとそっぽを向き、その新たな婚約者候補の前を立ち去った。
嫌悪感を露わにし立ち去るリューバの背中に、苛立たし気なアランの声が負いかぶさって来る。
「そうやって私を嫌悪したところで―、ドルジェはお前の元には戻って来ない!!…それにお前には…世継ぎを残してウェイ家を繁栄させねばならぬ義務があるから…どっちみち私を拒むこと等できないのだ!」
―強情な娘め…。
そんな捨て台詞を吐いたアランを、ドアに手をかけたリューバが振り返り、燃えるような憎悪を込めた黒い瞳で睨みつけた。
―お前が…ドルジェを暗殺したことぐらい…誰もが知っている。あぁ…だけど…、それを証明する手立てがないのが…口惜しい。
サロンを出るとリューバは、祖母の部屋へと向かった。
― コンコン。
「誰です?」
「…リューバです。お祖母様…、入ってもよろしいですか?」
「お入りなさい」
リューバが部屋に入って来ると祖母は無言で彼女を手招いた。
窓辺に立っていた老婦人は、傍へやって来た孫娘の長い真っすぐな黒髪を無言で撫で続けた。
孫と祖母は暫く無言でお互いの温もりを確かめ合う。
やがてリューバが口を開いた。
「おばあ様…。私はどうしたらよいでしょう」
―あの男と夫婦になる以外に私がこの家を―この一族を統べる道は、残されていないのでしょうか?あの男は…。
口惜しさのあまりリューバはそこから先は言葉が続かなかった。
唇を噛みしめ肩を震わせて祖母の胸に顔を埋め無言で涙する。
そんな孫の背中を撫でてやりながら、誰とはなしに祖母は語り始めた。
「このウェイ一族が―、ユスーポフ家の軍門に下った時に…、時の族長だった人間が、軍門に下る条件として《ユスーポフ家の強い子種をわが一族に与えられたし》と求めたと…伝えられている。事実ウェイ家がロシアへ帰化して200年…。この一族の女の何人かが…あの家から強い子種を貰い、生まれた毅い男は…ある者は惣領となり、ある者は惣領を助け、立派にこの一族を盛り立てて来た。―我々本家の女に課せられた使命は…、強い世継ぎを残すことで、決して同族と婚姻関係を結ぶことでは…断じてないのですよ」
―強い子種を授けてくれる男であれば―、異教徒であったって構わないのです。
祖母の語りに、リューバは顔を上げて祖母を見上げる。
そんな孫娘に―、祖母は無言で、しかし力強く頷いた。
まだ14歳の若さだった。
死因は落馬と伝えられたが、草原の覇者をルーツに持つウェイ家の一族の御曹司が、あろうことか馬から落ちて死ぬというのはいかにも不自然な事だった。
そして実際、ドルジェは誰もがその死因を訝しく思うぐらいに、若年ながら乗馬の名手として知られていた。
新たにリューバの婚約者の候補として挙がったのは、やはり、ウェイ家の傍流のアランだった。
アランはウェイ一族の流れに繋がる家ではあったが、ロシアに帰化した時からさかんにロシアへ同化したために、今では満州族のアイデンティティはほぼ失われ、風貌もロシア人との混血をこの200年の間さかんに行ったために、もはやスラブ人に近いものであった。
ロシア宮廷に熱心に出入りしているこのアランも、見た目物腰は最早ロシア宮廷貴族と可変わりなく同族の中でも栄えた一族であるとはいえ、同じ一族からは「ウェイ一族であるにも関わらず満足に野営も出来ない男」と軽くみられる向きがあった。
ドルジェを失った悲しみに暮れる13歳のリューバの元に、足繫くアランが通ってくる。
真冬なのにもかかわらず両手いっぱいの白い薔薇の花束を携え、このまだ年若い総領家の美少女の前に優雅にひれ伏し、白い手に口づけを落す。
「リューバ…。私の白い花。ウェイ一族の人間でありながら落馬で死ぬような間抜けな男のために、その目を涙で腫らすようなことはお止めなさい。私があなたを一生守って…何不自由のない贅沢な暮らしをさせてあげよう。あぁ、リューバ…可愛い人…」
彼が抱えて来た温室育ちの薔薇のような、華やかだけどどこか薄っぺらくて空疎なこの男がリューバはどうしても好きになれなかった。
―守られて不自由のない贅沢な暮らし…?私はそのようなものは望んでいない…。
手の甲に擦り付けられた男のくせに妙に滑らかな頬の感触と、強い香水の香りにリューバの背中に粟がそそけ立つ。
アランの手を邪険に払いのけ、ふいとそっぽを向き、その新たな婚約者候補の前を立ち去った。
嫌悪感を露わにし立ち去るリューバの背中に、苛立たし気なアランの声が負いかぶさって来る。
「そうやって私を嫌悪したところで―、ドルジェはお前の元には戻って来ない!!…それにお前には…世継ぎを残してウェイ家を繁栄させねばならぬ義務があるから…どっちみち私を拒むこと等できないのだ!」
―強情な娘め…。
そんな捨て台詞を吐いたアランを、ドアに手をかけたリューバが振り返り、燃えるような憎悪を込めた黒い瞳で睨みつけた。
―お前が…ドルジェを暗殺したことぐらい…誰もが知っている。あぁ…だけど…、それを証明する手立てがないのが…口惜しい。
サロンを出るとリューバは、祖母の部屋へと向かった。
― コンコン。
「誰です?」
「…リューバです。お祖母様…、入ってもよろしいですか?」
「お入りなさい」
リューバが部屋に入って来ると祖母は無言で彼女を手招いた。
窓辺に立っていた老婦人は、傍へやって来た孫娘の長い真っすぐな黒髪を無言で撫で続けた。
孫と祖母は暫く無言でお互いの温もりを確かめ合う。
やがてリューバが口を開いた。
「おばあ様…。私はどうしたらよいでしょう」
―あの男と夫婦になる以外に私がこの家を―この一族を統べる道は、残されていないのでしょうか?あの男は…。
口惜しさのあまりリューバはそこから先は言葉が続かなかった。
唇を噛みしめ肩を震わせて祖母の胸に顔を埋め無言で涙する。
そんな孫の背中を撫でてやりながら、誰とはなしに祖母は語り始めた。
「このウェイ一族が―、ユスーポフ家の軍門に下った時に…、時の族長だった人間が、軍門に下る条件として《ユスーポフ家の強い子種をわが一族に与えられたし》と求めたと…伝えられている。事実ウェイ家がロシアへ帰化して200年…。この一族の女の何人かが…あの家から強い子種を貰い、生まれた毅い男は…ある者は惣領となり、ある者は惣領を助け、立派にこの一族を盛り立てて来た。―我々本家の女に課せられた使命は…、強い世継ぎを残すことで、決して同族と婚姻関係を結ぶことでは…断じてないのですよ」
―強い子種を授けてくれる男であれば―、異教徒であったって構わないのです。
祖母の語りに、リューバは顔を上げて祖母を見上げる。
そんな孫娘に―、祖母は無言で、しかし力強く頷いた。
作品名:53 レディ・リューバ 作家名:orangelatte