66 災厄Ⅰ
「下ろしなさい!」
「コラ!婆さん暴れるなよ!…こっちゃ急いでるんだ!」
庭に脱出した一行が、厩へと向かう。
「ドウドウ…。おー!マルコー。久しぶりだなぁ」
リューバが久々に再会した幼馴染みの愛馬の首を叩いて邂逅を喜ぶと、手早く鞍を乗せた。
「サーニャ!ミハイロヴナ夫人をお連れしろ」
厩の近くに潜んで控えていた同じくアジア系の男装の娘にリューバが命じる。
「御意」
サーニャと呼ばれたその娘がマルコーに跨ると、ヴァシリーサを背負っていた男が、彼女をマルコーの背に乗せる。
「安全な場所に馬車を待たせておりますので…それまで我慢して下さい」
ヴァシリーサの背後に跨ったサーニャが慇懃にヴァシリーサに一言断ると、マルコーの横腹を蹴り、ミハイロフ邸を去って行く。
「爺さん、俺らも行くぜ!ちょっと走れるか?」
「は…はい」
マルコーの背に乗って無事ミハイロフ邸を出たヴァシリーサとサーニャを見届け、残りの一行が厩を後にする。
「こんな…抜け道があったのですねえ」
リューバ一行に連れられたオークネフが屋敷の庭の使われていない抜け道に驚いたように当たりを見回す。
「まぁな。…昔アリョーシャに招かれて…遊びに来た時に教えて貰ったんだ。…まさかそれがこんな事で役立つとはな」
「あの時に…ご一緒にいらした…あのお坊ちゃんは…?」
「あいつは…あの後間もなく…亡くなったよ」
オークネフの質問に、リューバは振り向く事もなく、抜け道を早足で進みながら答えた。その口調はー、悲しさも怒りも、どこかに昇華したような、淡々とした口調だった。
「…そうですか」
4〜5分程抜け道を行くと、現在は使われていない寂れた出入り口に辿り着いた。
錆びついた門扉をリューバが蹴り開ける。
「ったく…。ちゃんと管理しておけよ…」
ぶつくさ言いながら、外に出ると、木の下に二頭の馬が繋がれていた。
「爺さん、飛ばすから振り落とされるなよ!」
男がオークネフの背中を押して、馬に跨らせ、自分もその背後に跨ると、ミハイロフ邸を後にした。
しんがりにリューバも馬を走らせた。
その日の夕方ー。
軍の捜索の目を縫うようにして、ミハイロフ邸に辿り着いたアレクセイが目にしたのは、がらんどうになった、人っ子一人いない、荒らされた屋敷だった。
祖母も執事も、そして出産間近の身重の妻も、その屋敷から忽然と消えていた。
作品名:66 災厄Ⅰ 作家名:orangelatte