花、一輪
「えっとね、そこの三叉路を右に行ったらすぐに家具屋さんよ」
緩やかな石畳の坂道を上り、アンジェリークの道案内で家具屋へ辿りついた。
ところがルヴァは店内のどのベッドを見てもこれという反応を見せず、ひとしきり考え込んでは首を横に振った。
「すみません、アンジェ。なんだかこれといっていいなと思えるものがなくて……あの、ちょっと提案なんですけど聞いてくれますか」
アンジェリークが頷いたのを確認してから、ルヴァはひとつの提案を話し出す。
「えーと、あのですね……あなたの今のベッドを私の部屋に置いてしまって、あなた用にもう少し大きなのを買う……というのはどうでしょうか。あなたの寝室のほうが広いですし、そのほうが選択肢が広がると思うんです」
暫し奇妙な沈黙が二人の間に訪れた。紅潮する頬を両手で隠しながら、アンジェリークがしどろもどろに口を開く。
「…………べ、別にいいですけど……ルヴァこそ、わたしのお下がりになっちゃいますけど、いいんですか?」
むしろご褒美と思ったかどうかは定かではないが、ルヴァは大きく頷いて口角を上げた。
「ええ勿論です。それにマットレスはすぐに劣化しますから、時々裏表や頭側と足側をさかさまにして使うと長持ちするんですよ。ですからちょっとくらい大きめでもいいと思うんです」
解説する隙のない説明に、横にいた店員が出番を奪われ苦笑いの表情になっていた。実のところやや苦しい言い分だが、実質更に高額の買い物となるが故、ルヴァは店員が調子を合わせてくれると踏んでいた。
「そ……そういうものなの? 大は小を兼ねるってこと?」
アンジェリークが念のため店員へ確認するも「お連れ様の仰る通りですよ」とにこやかに言われて納得せざるを得なかった。できるだけ高額商品を売りたい店員と、ルヴァの目論見が合致した瞬間である。
あまり広すぎても寝づらいというアンジェリークの希望でダブルベッドを見ることにして、目ぼしいものを見つけ次第二人で寝転がった。何故か必ずルヴァまで確認することに、アンジェリークが疑惑の目を向ける。
「ねえ……なんでルヴァまで一緒に寝そべってるの……?」
「いいじゃありませんか、私もちょっと寝心地を確かめてみたかったんです。ええとそれより、これなんてどうですか?」
素朴な疑問にぎくりと体を強張らせたルヴァだったが、すぐにアンジェリークが寝起きする際に足に負担のかからないほうがいいのでは、と彼女の膝の高さに合うベッドを勧めて話を逸らす。
「そうねえ……あんまり膝が痛くならないし、寝心地もいいみたい。これにしようかしら……」
結局それ以上良いと思えるものはなく、二人はすぐに購入を決めた。
店員から配送手続きの説明を受けている最中、ルヴァは内心ほっとしていた。目論見のうちのもうひとつも予想通りに事が運んだからだ。店員の話によると購入したベッドが届くのは遅くて一週間後、早くて中二日かかるという。つまりそれまでは一緒に眠る口実ができたわけだ。
恋人や夫婦を想起させる行動をとっても彼女の反応がそれほど悪くなかった点を踏まえると、二人の仲を進展させられない理由は好き嫌いといった感情とは別の部分にありそうだ、とルヴァは考えていた。いずれにせよあの躊躇いの向こうにある真実を引き出さないことには解決の糸口を掴めない。
(今はできる限り側にいて信頼を得ながら、もう少し観察を続けてみましょうかね)
この時点でアンジェリークはルヴァにさり気なく誘導されて気付いていないが、実は先に買ったルヴァのものといえば枕や毛布くらいなもので、他は殆ど彼女のベッドサイズの寝具ばかりである。ここで(彼女からすれば)思いがけずダブルベッドを買うことになり、寝具のサイズ違いに慌てて返品しに行こうとしたアンジェリークを一旦引き留めて「予備として取っておきましょう」と言いくるめ、ダブルベッド用の寝具を追加で購入するに至った。ルヴァとしては寝具など腐るものでもなし、そもそも彼女のベッドは万が一風邪など引いたときに備えて隔離用として有効活用するつもりであり、ダブルベッドは当然二人で使う前提で選んだ────余程嫌がられれば話は別だが。
細かい手続きを終えた二人は店を出て、近くのカフェで昼食を取ることにした。
カジュアルで入りやすい雰囲気の店へ入ると、すぐに愛想のいい女性店員が二人をテーブル席へと案内してくれた。
注文した食事が運ばれてくるまでの間、ルヴァはあちこちの店で買った商品を詰め替え始め、不必要な袋を畳みしまい込んでいく。ふと向かいからもガサゴソと似たような音がして目を向ければ、アンジェリークもまた同じことをやっていたので思わず笑みが漏れた。
暫くしてルヴァの視線に気づいたアンジェリークが上目遣いに見つめ返してきて、微かに口元を綻ばせながらぶうたれる。
「なあに、そんなに見て……シワを数えてたんだったら怒りますよっ」
そんなアンジェリークにルヴァは少しだけ意外そうな顔になり、穏やかに言葉を返す。
「あーいえ、そうではなくて。あなたも荷物の詰め替えをしてたので、考えることは一緒なんだなあと思っていました」
そんな他愛もないお喋りに花を咲かせて周囲の喧騒が気にならなくなった頃、先程の若い店員が料理を運んできてテーブルの上が一気に賑やかになった。
去り際にトレイを胸に抱えた店員がアンジェリークとルヴァの顔をちらりと流し見て、笑顔で話しかけてきた。
「仲がよろしいんですねー。息子さんなんですか?」
唐突なその言葉にルヴァは酷く驚き、何気ない風を装いつつ素早くアンジェリークへ視線を投げた。
この店員に悪意は全く感じられないが、それにしても馴れ馴れしい上にちょっと失礼ではないか、と内心腹立たしい気持ちになっていく。二人の年齢差については彼女と出会った頃からついて回った問題だったため、それを殊更強調して言われる不快さはルヴァ自身覚えのあることだった。ルヴァでさえ幾ら事実だと言ってもいい気分はしなかったのだ、女性であるアンジェリークなら更に不快に思っていても無理のない話だ。
彼女の表情に表立って変化はなかった────他人を欺ける程度には。だがルヴァの目にはひしひしと伝わってくる、言いしれぬ絶望の色に胸が痛む。
困ったように眉尻を下げて微かに微笑み、口を閉ざしたまま否定も肯定もしなかった。