花、一輪
「いいえ、恋人ですよ」
ルヴァはきっぱりとそう言い放ち、驚いた表情を見せている店員とアンジェリークをよそにアイスティーをひとくち飲み込んでから更に続けた。
「実は私はね、ある星で若返り研究の被験者だったんですよ。なので本当はこの人より年上なんです」
笑顔でスラスラと嘘八百を並べ立て、尤もらしく聞こえるように話を捏造した。アンジェリークに言われたように、確かに嘘も方便モードのときは平然としていられた。
店員は失言だったと理解できたのか、平身低頭して謝りそそくさと持ち場へ戻っていった。
それを見届けた直後、アンジェリークが泣き笑いの表情に変わった。
「なんで嘘なんか……」
「なんだか黙っていられなくて……すみません」
アンジェリークが望む通りに友人だと言う気にはなれなかったし、恋人だと言った時点で言葉を止めてしまえば、今度は”若いツバメを飼っている”などと陰口を叩かれてしまうかも知れない。突飛な話をして変なやつだと思われようが、アンジェリークが更に傷つくようなことだけは避けたかった。かつての自分なら、こんなとききっと何も言えずに黙ってやり過ごしてしまっただろう。
ストローでアイスティーをぐるぐるかき回しながらアンジェリークが消え入りそうな声で呟いた。
「ねえ、これでお友達でいたい理由、分かったでしょ」
ルヴァは静かに頷いてアンジェリークの手を取った。
「良く分かりましたけど、言いたい人には言わせておけばいいじゃないですか。さっきみたいに適当に私の経歴をでっち上げてもいいですし。私がどこの誰かなんてここでは誰も知らないんですから。それに、元々年上だったのは事実でしょう」
祈るようにそっと指先を絡めて握り込む。アンジェリークの手がぴくりと動いたが、ルヴァは離そうとしない。
「この際ですからあなたにははっきり言っておきますが、私は第三者に何と言われようが気にしません。大切なのはお互いの気持ちではないですか?」
真っ直ぐにアンジェリークの瞳を見つめるルヴァ。
想いを届けようとする真摯なまなざしの強さに圧倒されて、うまく言葉を探せないでいるのか何度かもどかしげに口元が動いた後、ようやくぽつりと言葉が漏れた。
「……好きって気持ちだけで生きていけたら、良かったのにね」
微かに震える声でそう言うと、ふうと息を吐き無理やり口角を上げた。
「食べましょ。冷めちゃうわ」
繋いでいた手を解き、さっさとフォークを手にしてパスタを巻き取り始めたアンジェリークに合わせて、ルヴァも渋々ガレットへナイフを入れていく。
(まだ泣き出してしまいそうな顔をしているのに……今の私ではあなたの力にはなれないんですか、アンジェ……)
つい先ほどまでは美味しそうに見えていた料理がすっかり色褪せて見え、半熟の卵からとろりと黄身が溢れ出す様をぼんやり見つめていた。
どうにも気乗りしないまま口の中へ運んでみたものの、特にこれといった感想は出てこなかった。アンジェリークのほうもやや微妙な顔つきをしていて、結局二人して半分も食べない内にそっとフォークを置いた。
口元を軽く拭っている間中、ルヴァは何と言えば彼女が元気を取り戻せるかと思案に暮れていた。
「アンジェ」
「なあに?」
優しい声音の中にも含まれている陰りが彼女の心の中を代弁しているようで、ルヴァは一層切なくなる。
「家に戻ったら、あなたのレモンケーキが食べたいです」
言葉にしてみると単なるおやつの催促じみてしまったが、アンジェリークの表情が驚きから次第に笑みに変わった。まるで工芸茶がゆるりと花開いていくような優しい微笑みは、紛れもなくルヴァの言葉に込められた意味への返答と受け取れた。
「じゃあ……帰りましょうか、おうちへ」
アンジェリークの言葉に頷いて席を立つ。袋を幾つか纏めたお陰ですっかり持ちやすくなり、彼女の荷物までルヴァが回収してしまった。
アンジェリークの足が痛まないように気遣いながら、のんびりと帰路につく二人。
見上げた空に浮かぶ薄雲は散り散りに千切れて、切れ間から覗く太陽の眩しさにルヴァは目を細めて立ち止まる。
行きと同じように少し前を歩くアンジェリークの華奢な背に、決意を秘めた視線を送った。”世間の目”などというあやふやな物差しと対峙する自信を込めた、静かに蒼く燃ゆるまなざしを。
(好きな気持ちだけでいいんですよ。あなたの他には何も要りませんから)
こうしてゆっくりと互いの想いを知って、着実に歩み寄って行けたらいい。
「家」という誰にも邪魔されない二人の聖域の中で、少しずつ────