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しょうきち
しょうきち
novelistID. 58099
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花、一輪

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「この人、自分なんかまだまだだーって言い張るんですよ。感覚おかしくないですか」
 一般家庭育ちの女の子がいきなり女王になって、専属料理人の味に慣れてしまったのだから無理もない。
「まあ……前にもお話しましたけれど、聖地ではプロの料理人がいましたからねえ」
「だからってプロと比較しても仕方ないじゃないですか、なんか他に原因あるんじゃないのー?」
 オルヴァルの視線がちらりとアンジェリークに注がれて、彼女は気まずそうにちょっと唇を突き出す。
「すっごく昔の話だけど……わたしのお弁当ね、あんまり美味しいって褒められたことなかったの。普通だとか悪くないとは言われたんだけど……」
 視線をそろりと明後日の方角へ向け、ルヴァは紅茶をこくりと飲み込んだ。
「えーっ、オレだったらべた褒めだよ。折角時間と材料費かけてくれたんだからさー。よしよし辛かったね、アンジェリーク」
 そう言ってスプーンを口に咥え、空いた右手でアンジェリークの頭を撫でるオルヴァルを視界に映し、自分の他に誰が手弁当を口にしたんだろう、という嫉妬が脳裏を掠めていったのを堪えて口を開く。
「あーそれはー……そのう、男の照れ隠しと思っていただけたら……」
 聖地で料理人の作るものに慣れていた守護聖にとっては、あの当時の彼女の手弁当はごく普通に思えただろうと思いつつ、女性心理はやはり難しいと嘆息する。
 オルヴァルはアイスをおかわりして、今度はコンポートを添えて食べ始めた。
「一応聞くけど、まさかルヴァさんにまで酷いこと言われてないよね?」
 ルヴァの肩がぎくりと揺れた瞬間を、オルヴァルは視界にしっかりと捕らえていた。
「味については何にも言われなかったわね、そういえば。誰かと食べると美味しいとかなんとか言ってたような……」
 すっかり柔らかくなったアイスをウエハースですくい上げて口に運ぶアンジェリークを横目に、オルヴァルの冷ややかな目がルヴァへと突き刺さる。
「へえー……見事にはぐらかしたわけですか。実にあなたらしい」
「えっ、あのっ、なんで私が責められる流れになっているんですか!?」
 予想通りに焦り始めたルヴァにくすくすと笑いが止まらない様子のオルヴァル。
「やだなー、オレから好きな人を取っちゃうんですからこれぐらいの意地悪は我慢して下さいよ。今後はアンジェリークを悲しませたら、オレ本気で殴りますんで」
「そこの金属バットでですか?」
 眉尻を下げて困り顔のルヴァへ、オルヴァルがすっと目を細めて睨み据えた。
「勿論です。素手で殴るなんて優しくはしませんよ、確実に病院送りにしてやりますから覚悟しといて下さい」
 余程力の差があるケースを除けば通常は素手で殴れば殴った側にも痛みが走る。鍛えてでもいない限りどうしても手加減してしまうものだ。
 実際にそうなったらアンジェリークが泣き叫ぶどころではなくなるような気もする、とルヴァは背筋がうすら寒くなった。
「肝に銘じておきますよ。傷つけるような真似はしたくないですが、私はどうも人の気持ちに鈍いところがありますから……」
 例え悪気はなくとも、出てしまった言葉は取り返しがつかない。それは聖地で嫌と言うほど思い知っている。
 静かに瞬きをしてきゅっと唇を引き結んだルヴァの背に、アンジェリークがそっと手を添えた。
「もう、オルヴァルったら……あんまりルヴァをいじめないで頂戴。わたしも言い過ぎたわ」
 開店時間が迫り、ちらと時計を確認したアンジェリークが少しずつ片付けを始めた。ルヴァも手伝いつつアンジェリークを気遣う。
「いえ、アンジェは何も悪くないですよ。今更と言われてしまうかもしれませんが手作り感たっぷりで美味しかったですし、そのー、何よりもあなたが私のために作ってくれた事実のほうが嬉しかったものですから。言葉が足りませんでしたね、すみません」
 つまらなさそうに二人を見つめたオルヴァルが、更に言い募る。
「手作り感たっぷり、ってあんまり褒め言葉には聞こえないですけどー。言い換えたら素人臭いってことでしょ」
 ルヴァへ向けてべっと舌を出したところをアンジェリークに見咎められ、ひとつため息をついた彼女が気合の入った声で発破をかけた。
「オルヴァル! いいから開店準備して!」
「はーい。……なんだよー、ダンナの肩ばっか持ってさあ」
「も〜〜〜っ、子供みたいなこと言って。絡まないのっ」
 ほうきを片手に持ってむっすりと不貞腐れているオルヴァルと両手を腰に当ててぷんすかと怒っているアンジェリークを流し見て、ルヴァが悠長な声で話し出す。
「まあまあ、二人とも落ち着いて。今日の夜は皆でお食事しませんか、アンジェ」
 彼女の意見を仰ぐルヴァへ向け、二人分の翠の瞳はそれぞれに優しく弧を描く。
「そうね、ゆっくり食べて飲んで、お喋りしましょ」
「お邪魔してもいいんですか? それならいいお酒持参しますよ」

 それからアンジェリークは夕食の準備のため自宅に戻り、残された男二人でいつも通りに店番をし始めた。例の女性が来る時間帯になるとルヴァは再び書庫へと追いやられそうになり、ぐいぐいと背を押されている間にオルヴァルへと声をかけた。
「あ、あのっ、オルヴァル。やはりちゃんとお話したほうがいいんじゃないかと思うんですが……」
「あの女の子とですか?」
 オルヴァルは面倒くさげな声で頭を掻き、片眉を上げた。
「ええ。これから先も毎日こうするのはさすがに拙いでしょう」
 これでは問題をただ先延ばしにするだけで、何の解決にもならない────そう思ったルヴァはくるりと振り返り、オルヴァルと向かい合った。
「まあねー……それはそうなんですけど」
「大丈夫です、ちゃんとご理解いただけるように話してみますから」

 そうして午後になり間もなくやってきたいつもの女性客は、ルヴァを見つけた途端にぱっと花開くような笑みに変わった。
 ルヴァはその笑顔につきりと胸を痛めながら、今後個人的なプレゼントは一切受け取れない旨を丁寧な謝罪と共に話して聞かせた。
 このときオルヴァルは階段下にある物置スペースの整理と称して席を外していて、偶然にも店内には他に客がいなかった────つまり二人きりの空間の中で、ルヴァはこの女性客から告白されることとなった。
 小さな声で好意を告げて俯く女性へ、ルヴァは再び丁寧に謝罪しながら将来を誓った人がいるのだと断りの文言を並べた。

 暫くしてカランコロンとドアベルが鳴り、それから少しの間を置いてルヴァが書庫へ通じる扉をノックした。
「……オルヴァル、もういいですよ。お話は無事に終わりました」
 ルヴァの声に、物陰からそろりと顔を出したオルヴァルが足音を忍ばせて近くへと歩み寄ってきて、じいっとルヴァの顔を凝視した。
「あ、ほんとだ。叩かれた形跡もないですね。良かった良かった」
 安心したらしく肩を竦めておどけてみせるオルヴァルに、柔和な微笑みを浮かべたルヴァがぺこりと頭を下げた。
「はは……ご心配をお掛けしましたねー」
「ちょっとだけ引っ叩かれろって思いましたけどね、あはは」
作品名:花、一輪 作家名:しょうきち