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琅琊閣 備忘録

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結局お互いの考えは平行線のまま歩み寄る事はなかった。だが林燮は本当に国を想っているのだと、この国に生きる人を想っているのだと、そこは理解が出来た。
あやつの、凛とした迷いや後ろめたさなど微塵もない目を見てその心を理解出来た。

今、目の前にいるこの子の瞳は、あの時の林燮とまるで同じなのだ。吸い込まれてしまいそうな澄んだ目で、私に協力を求めているのだ。顔の白い毛かあっても若い頃の林燮と瓜二つなこの面立ちが、、、、、、、私の脳裏がかつての光景と交差し合い、錯覚を起こしている。

「協力は、出来ぬ。」

一言だけ言い放ち、私は部屋を後にする。
私だけしか出来ぬ治療、私が許諾さえせねば、治療などは有り得ない。

ところがだ、何をどう言いくるめられたのか、我が息子藺晨がこの子の望む通りにしてくれと願うのだ。
色々と言葉数の多い我が子ではあるが、私に異を唱えた事など無い。
青二才が、この父に意見するのか。
「ならばお前がやるが良い。」まだお前には出来るわけがない。この様な正気で無い者共は放っておくに限る。


しばらくの間は忘れたかの様に大人しくしていたが、実はこの二人は治療の準備を整えていたのである。
有り得ぬ。
そして治療を始めるという、、、、。

やれるものならやってみよ、と、私も二人を突き放す。
だが本当にやろうとしているのだ。
もう放っておくことなど出来ぬ。一つ間違えばこの子を死なせてしまうのだ。

自室の中央に横たわるこの子は、薬と針で眠っている。
脈を診るが、これ以上無い程の良い状態である。我が息子がここ迄、この子の体調を引き上げたのだ。
全てが本気なのであった。二人、共に考えて考え抜いた覚悟なのだろうと、、、。
私も覚悟を決める。

我が息子に補佐をさせ、治療を始める。
何故私がこの治療を拒むのか、小晨にもよく解るであろう。生きた者の皮を剥ぎ骨を削り、患者は酷い苦痛を伴い、医者は患者の側でその苦しみを見ている他ないのだ。
そして何度も何度も治療は繰り返さねばならぬ。

一度目の治療は無事に終わり、何より驚いたのは我が息子の成長ぶりであった。
こんなに医術の腕を上げていようとは。いつの間にかこんなにも熟達しておった。
希な病状に、絶好の機会と自分の医術をひけらかしたかったのか、、、そうではないな。林燮の息子に掛けてみたくなったのかも知れぬ。分からぬでも無い。林燮もまた、その様な人を引き込む何かがあった。だから私もあの梅嶺に向かったのだ。


一年間にも及ぶ過酷な治療は成功し、この子は新たな身体を得た。
一度、鏡で顔の治療の出来を確かめ、その後は鏡を見ることは無かったと聞く。新たな身体の出来は良かったが、林燮の面影はまるで消えていた。この子の最も望む事なのであろうが、この子の心中も複雑であろう。
ただ、以前と変わらぬものも有り。
この子のその瞳の奥には林燮と同じく静かな焔が燃えさかっている。

この後の治療は全て、我が息子に任せる事にする。
だがこの者は余り良い患者ではない。神経にも関わる為に全く痛みを消す事は出来ぬが、深い眠りでその苦痛を誤魔化す事は可能なのだ。早く回復する為にも必要な事である。
この子は眠らぬと言う。
江左盟を更に拡げねばならず、眠っている間に不慮の事態があれば対応せねばならぬと。
この状態で一体何が出来るというのだ。
我が息子にはこの様な患者の言うことは聞いてはならぬ、と教え、早々に針で眠らせた。見ている我々も辛いのだと言う事を、この子は分かっておるのかおらぬのか。

林燮よ、お前はこの子の事を分かっておったか?。

この子には、私も息子も嵌められた様に思う。協力せねばならぬ様、我らは絡め取られたよ様だ。
後日知る。
赤焰軍や祁王を破滅させた者共を誅殺するのでは無く、天と奸臣を正すのだと。この子は姿を変え、正面突破で一度処された事案を覆そうとしている。それほどに赤焰事案の再審を望んでいるのだ。祁王の為なのか、林家や自分のためなのか、赤焰軍と遺族の為なのか、、。国の為なのか。
その一歩はとうに踏み出されて、果てしない道を休む事なく歩んでいる。
あの日の林燮を見ている様だ。

そして何よりも感ずることは、若き力であった。
我々が支えてきたこの時代とこの世界では、この子等、次の世代が成長をし続けている。
お前の息子は長く遠い道を歩み続け、力を蓄え、やがて都の空の黒雲を吹き飛ばし、天をも貫く成長を遂げるかも知れぬ。そして貫いた天を支えてゆくのだろう。

私は近い内に我が息子に琅琊閣を任せ、諸国を旅したいと思っている。以前から望んでいた事なのだ。
自分が要らなくなったと感じているのでは無い、外からこの若き力の行く末を見守りたいと思っているのだ。
我等にはもう無い、瑞々しい魂の塊(かたまり)はこの世を変えてゆくだろう。

林燮よ、楽しみではないか。

梅嶺で、赤焰軍が宿営したあの地から見える、一番大きな岩のたもとにお前の亡骸を横たえて、石を積み弔った。あの岩はお主の墓標であり、あの地で果てた赤焰軍の墓標でもある。
あの子には教えておいた故に、事案の再審を見事に果たせば、お前と仲間に会いにゆくかも知れぬ。

林燮よ、その日を待とうではないか。






──────────糸冬───────────











作品名:琅琊閣 備忘録 作家名:古槍ノ標