初次的上海的夜
権謀術数渦巻く大都会。混沌の闇とネオンの光に満ちた上海租界の表通りを外れ、未だ見慣れぬ通りを独り進む。
様々な様式の建物が立ち並ぶ一角では然程目立ちもしない、瀟洒な日本風の写真館。其処が当面、彼等の根城だ。
三好葵は電灯が灯る建物の正面を横目に、裏口へと回った。
「ただいま」
昼間、ちょっとした諍いがあり、多少の気まずさが残っていたものの、葵は一応、中にいる筈の相棒氏へと声を掛けた。すると、小さな声ではあるが「おかえり」という返事があった。
数日前に顔を合わせたばかりの仕事仲間を気に懸け過ぎても、栓無いとは思っている。だが、これから幾許の時を共に過ごすか判らない以上、相棒氏とは少しでも懇意にしたい。そう思っている葵は、返事があった事で内心胸を撫で下ろした。
ここのところ、ずっと行動を共にしている相棒氏であるが、この男は必要以上の事は語らず、いつも能面の様な顔をしている為、何を考えているのか解り辛い。
だから件の諍いの事も、腹を立てているのか、それとも既に何とも思っていないのか量り兼ねていた。
だが、今しがた返事が返ってきたという事は、それ等については然程気にしてもいないのだろう。そう結論付けた葵は、軽い心持ちでリビングの扉に手を掛けた。
リビングでは、相棒氏がきっちりとしたシャツとスラックスという姿で椅子に腰掛け、新聞を開いていた。
先刻、任務の途中で川へと落ちた相棒氏は、恐らくシャワーを浴びたばかりの筈である。だというのに、その名残は少し上気した頬と濡れた髪に残すのみだった。
こんな夜更けに誰かが訪ねて来る筈も無いというのに、そんな恰好をしている相棒氏の生真面目さに、葵は舌を巻いた。
「もう休むだけだというのに、えらく律儀だね」
軽口を叩きながら、葵は手にしていた紙袋をテーブルに置く。
「時間も遅いから、其処の通りに出ていた屋台で適当に見繕ってきたんだ。嫌いな食べ物があるなら言ってくれ」
袋から様々な点心を取り出しつつそう言うと、相棒氏は「特に無い」とだけ言って、新聞を畳んだ。