BRING BACK LATER 6
「シロウは、泣いていることにも気づかず、自身の涙に驚き、こんな涙を流しても、自分が真実なのかどうかもわからない、と……。そんなわけがないというのに、シロウは本当にいろいろと思い違いをしている……」
「そうだな」
アーチャーは静かに同意する。
「……シロウは、過去の自分が私を好きだったと言ってくれました」
ひく、とアーチャーの頬が引き攣った。
「けれど、その時の想いはもう消えてしまったと。熱く胸を焦がした想いさえ、今はもう無いのだと、少し寂しいですが、そうかもしれないと私は納得しています。シロウはもう過去と同じ想いで私を想ってはくれないでしょう」
「セイバー、それは、まだ決めつけるには……」
「いいえ。私はもう、シロウにとっては遠い過去の憧憬です。卑屈になっているのではありませんよ。むしろそれでいいと思うのです。シロウが過去に囚われるということは、嘘つきだった自分から抜け出せない、ということでしょう? 私の今と、シロウの過去は、交わることのない平行線です。ですが、それでも私という存在は云わば、過去そのもの。
どうしても思い出してしまうのは、仕方のないことです。けれど、過去の私は今の私と、形が同じなだけの別物なのです。ちょうど、あなたとシロウが別であるように、私とシロウが過去に出会ったセイバーは別なのですよ、アーチャー」
「セイバー……」
だから今の自分は、過去に好きだと思った存在ではないのだと、少し寂しげにセイバーは言う。
アーチャーは何を言えばいいものかと思案するものの、うまい言葉は見当たらなかった。そうして、
「君は……、私がグダグダと考えてしまうことを、あっさりと看破してしまうのだな……」
額を押え、アーチャーは肩を揺らして笑う。
「アーチャー、確かに私はシロウと仲睦まじくありたいと思いますが、それ以上に、シロウには穏やかでいてほしいと思います。不器用な彼を見守っていたいと思うのです。いずれ座に還る時が来るでしょう。その時、彼が笑っていられるようにと願ってやまないのですよ、心から」
金糸を揺らし、セイバーは朗らかに笑った。毒気を抜かれたように呆けて、アーチャーは彼女を見つめ、頷く。
「ああ、そうだな」
その時は必ず訪れる。
いつか、アーチャーもこの世界から消える時が来る。
シロウとはまた隔たった壁を境にして会うことしかできなくなる。
触れることも叶わない。声を聞くことすらできない。あの仮面はもう取れて、顔は見られるかもしれないが、温もりを、柔らかな髪を、熱い肌を感じることはできなくなる。
その時は、いずれ必ずやってくるのだ。
「だからこそ……」
「ええ、だからこそ」
「今を大切にしなければな」
アーチャーはセイバーに右手を差し出した。
「アーチャー?」
「あいにく白手袋とはいかないが、宣戦布告をしておこう、セイバー」
セイバーはつられて右手を出すものの、ピタリと動きを止めた。
「こいつは、君にも渡さない」
ベッドの縁に腰を下ろしたまま、シロウの赤銅色の髪をそっと撫でながら、アーチャーは強い視線で宣言する。
ひく、とセイバーの口角が引き攣った。差し出された手に応じようとした手でアーチャーの右手を弾くと、アーチャーは口端を上げる。
「いいでしょう、アーチャー……。その意気込みや良し。受けて立ちます、全力で」
セイバーの碧い瞳がひときわ輝き、不敵な笑みを浮かべたセイバーは王たる者の笑みを見せた。
町も衛宮邸の住人も寝静まった深夜、苦しげなシロウの呼吸を聞きながら、アーチャーはその手を握り、空いた手で髪を撫でている。
「なぜ、お前は私が応えられないなどと言うのか……」
好きだと言われてもアーチャーは応えられないだろう、とシロウは決めつけていた。
「ただの人間に応える気はさらさら無いが、お前の気持ちにならば応えるに決まっている。というよりも……」
こいつは何を言っているのか、とアーチャーは不可解でならない。
今さらシロウに応えるとか応えないとか、我々はもうそういう段階ではないだろう、と。
確かに、お付き合いをしましょうだとか、夫夫設定だからといえど、考えにも及ばなかったが、結婚しましょうだとか、そういう決まりきった言葉など交わしてはいなかった。
いや、英霊が、しかも同じ存在でありながら、付き合うとか、結婚とか、おかしな話でもある。
ただ、そんな明確な言葉などは無くとも、互いに求め合う日々を過ごしている。それはシロウの気持ちに応えているということにはならないのか、と疑問が浮かぶ。
「そういえば……」
シロウからは、確かな言葉を聞いていないことにアーチャーは気づいた。
アーチャーは、本気で伴侶にするだとか、スキンシップが足りないだとか、肌を晒すなだとか、その都度言葉にしてシロウに伝えてきたつもりだ。
だが、シロウからは、一言も好きだと言われたことはない。
身体はいつもアーチャーを受け入れている。だが、シロウは魔力補給のために、不特定多数の男と関係したこともある。もしかするとそれと変わらない感覚なのかもしれないと、思えなくもない。
「いや、違う。士郎は私を求めて……」
口にしないと不安に押し潰されそうだった。
「はっきりと言わなければならないか……」
言葉にして、声にするだけで不安を払拭できることもある。
古来より信じられてきた言霊というものは、あながち嘘でもないと、こんな時に思い出す。
「言葉にすると現実になる、言葉はそれほどの威力を持つ、というような意味合いだったか……」
シロウが目覚めたら、きちんと話をしようと決め、アーチャーはシロウの手を両手で握り、唇を寄せた。
「士郎、早く目を覚ませ」
そして話をしよう、とアーチャー自身も不安を覚えながらシロウの目覚めを待つ。
アーチャーとてわからないのだ、シロウの気持ちの向かう先が。
明確なものは無いに等しい。
自分か、セイバーか。
現在(いま)か、過去か。
ベッドに肘をつき、シロウの手を額に当て、祈りたくなる。
(どうか、私を好きだと言ってくれ……)
自分を選んでほしい、と切に願う。
不安な夜ほど長く思うものはない。
季節がら、すでに夜の方が短いというのに、アーチャーにはひたすらに長く感じる闇夜だった。
BRING BACK LATER 6 了(2017/4/6)
作品名:BRING BACK LATER 6 作家名:さやけ