BRING BACK LATER 8
子供のように泣けば少しは楽になるのだろうが、シロウにはそんな真似はできない。心のままに感情を表すことができるのなら、シロウはこんなにも歪で脆くはならなかっただろう。
泣くことも、笑うことも、何もかも押し殺して自分を偽ることしかできなくなったシロウには、素直に気持ちを表現することが難しい。無表情が多少解消されたとて、その点はあまり変わらない。
「士郎……」
屈めた身体を戻し、震える肩を抱き寄せ、シロウの身体を包んだ。
「お前が好きだ、士郎。お前に合わせているのではなく、お前に言われたからでもなく、もちろん守護者だからでもなく、ただ純粋にお前が欲しいと思い、傍にいたいと思う。だから、私を好きだと言って泣くな。私が好きだと言うのなら、泣かずに……、笑えとは言わない、ただ、私を真っ直ぐに見つめてくれるだけで……、それだけでいい。お前の心は私が勝手に受け取る。拒否などしない。以前も言ったが、お前のすべては私のものだ、そうだろう?」
「……………………傲……慢、だ……」
シロウの小さな声が聞こえる。
「ああ。私はお前だけには傲慢にも貪欲にもなる。お前がたった一つの、欲しいと願う存在(もの)だからな」
シロウの髪を撫で、川べりの柵にもたれ、アーチャーは茜に染まりはじめた夕空を見上げる。
幾度もシロウとこんな空を感じていたというのに、真新しい光景でもないというのに、ただこの腕の中にある存在の気持ちを知っただけで、美しいと思う。
「アー……チャー、ここに、いて、いい、か?」
「ん? ここ、に?」
アーチャーは周囲にさっと視線を巡らせ、人の気配がないことを確認した。
「ダメか?」
おずおずと顔を上げて、アーチャーを見上げたシロウに、
「いや、かまわない」
「アーチャーと二人でいたいんだ……」
シロウはすべてをアーチャーに預けたまま瞼を下ろす。
「部屋に戻るか?」
二人でいられるというのなら、衛宮邸の別棟の部屋でも同じだと、アーチャーが衛宮邸へ帰ろうかと訊けば、シロウは首を左右に振る。
「ここがいい、誰もいない、ここがいい」
寝言のように不確かなシロウの声に、アーチャーは苦笑をこぼし、また空を見上げて、シロウの髪を撫で梳く。
「わかった。ここにいよう」
どんな我が儘にも応えてやる、とアーチャーは黒くした髪に鼻先を埋めた。くすぐったさに口許が緩む。シロウといる時だけ、アーチャーは顕著に表情を表す。
「士郎……」
意味もなく呼び、シロウを温めるように抱きしめる。寒い季節ではない。そろそろ、梅雨もやって来るという季節だ。体温をわけあわなければならない肌寒さもない。
「アーチャー、好きだ……」
微かなシロウの声は、本当に寝言のようで、判然としない。
「ああ」
答えて、シロウのこめかみに口づけた。
「アーチャー、好きなんだ、好き……、どうしようもなくて、好きで……」
何度もシロウは“好きだ”と繰り返す。
今まで言えなかった分を吐き出すように、溜まりに溜まったアーチャーへの想いが次から次へと口をついて出ていくようだ。
声は途切れがちだが、シロウは泣いているのではない。ただ、溢れる言葉をどうにかしようとしているのだが、不器用なシロウにはままならないのだ。
「好き、だ……アーチャーが、好き……」
アーチャーの腕の中でシロウはその胸元に顔を埋めたままで、アーチャーが好きだと告白し続ける。
だんだんとアーチャーには堪えられなくなってきた。
うれしいのだが、気恥ずかしい、そして、何より……、
「士郎……、その……、だな……、あー……、おさまりがつかなくなる……。そろそろ、やめて――」
「好き」
「だからだな……」
ぎゅう、と胸元のシャツを握りしめたシロウの背をあやすように、ぽんぽん、と軽く叩く。
は、とため息をつき、アーチャーは藍に落ちた空を見上げた。
「士郎、帰ろう。鍵をかければ部屋には誰も――」
「誰もいないここがいい」
珍しく我が儘なことを言い切るシロウに驚きつつ、ならば、とアーチャーはシロウを横抱きにした。
「え? アーチャー?」
「まったく、我が儘なお姫様だ」
「なっ! ち、ちがっ」
「行くぞ。掴まっていろ」
シロウが返事をする前に、アーチャーは跳んだ。
すでに薄暗く、人の目にはつきにくい。アーチャーは、難なく住宅街の屋根伝いに、衛宮邸を通り過ぎていく。
「あの、家、過ぎて……」
「黙っていなければ、舌を噛むぞ」
シロウに目を向けることもなく、真っ直ぐに前を見据えるアーチャーの横顔にしばし見惚れ、シロウは熱くなる顔をアーチャーの肩に預けて押し黙った。
***
「あれ? アーチャーとシロウはいないの?」
台所に立つ士郎に凛が訊くと、
「ああ、おかえり、遠坂。あいつらなら出かけたよ」
「そ? なぁに? デートかしらー」
「はは……、そんな感じ。…………だと、いいんだけどな……」
後半は独り言で士郎は済ませた。
「夕飯、もうすぐできるから、お茶でも飲んで待っててくれ」
急須と湯呑を載せた盆をカウンターに置くと、桜が、はい、と受け取って座卓へと運ぶ。
「どこに行ったのかしらねー」
「こんな時間からデートなんて、羨ましいです」
「桜ぁ、最近ちょっとあいつらに感化され過ぎじゃない?」
「えっ? そ、そうですか?」
真っ赤になった桜に、凛はころころと笑う。
「新都に行って、今夜は帰らないつもりなのでしょうか」
固焼き煎餅を、バリン、と齧って、セイバーは、ふぬぬ、と鼻息が荒い。
「どうして新都だってわかるの? セイバー」
「橋の上から見えました」
「橋の上?」
「ええ。バスから、二人が見えました」
不機嫌さを隠さずにセイバーは、むっつりとして煎餅をバリバリと口内で砕いている。
「さっすが、セイバーね……」
車窓で二人を特定できるというのは、やはりサーヴァントのスキルだろう、と凛は乾いた笑いを漏らしてしまった。
セイバーには、はっきりと見えていた。
新都から帰る途中のバスの中から、川べりの公園でアーチャーに抱き寄せられて、その身をすべて預けきったシロウの姿が。
「ふむむ……」
セイバーの鼻息が荒くなるのも仕方のない光景だ。
「まあ、シロウが幸せそうですから、善しとはしますが!」
アーチャーが帰ってきたら、ひと言言わせてもらいます、とセイバーは息巻いていた。
BRING BACK LATER 8 了(2017/4/12)
作品名:BRING BACK LATER 8 作家名:さやけ