DEFORMER 5 ――リスタート編
DEFORMER 5 ――リスタート編
「おっはよー、士郎ー」
屋敷に響いた声にハッとした。
まずい。
まずい、まずい、まずい、まずい!
時計を確認すると午前六時半前。
(しまった、寝過ごした……)
何をしているのか私は。いくらなんでもサーヴァントにあるまじき失態だ。睡眠など必要のない私が士郎と一緒に寝こけているとは、どれだけ平和ボケしているのやら……。
いまだ寝息を立てている士郎にパジャマを着せ、布団をかけ、自身の身支度を整える。ざっと室内に目を走らせ、抜かりはない、と障子の引手に手をかける。
「あれー? 士郎ー?」
あの人は、相変わらず遠慮もなしにこの屋敷を歩き回る。今さらどうこう言ってもはじまらないが、少しは遠慮というものを……、いや、今はそれどころではないな。
(この部屋で遭遇すれば、出禁は免れない。だが、この部屋には、他に出入り口がない……)
ここを乗り切るには……。
「しーろーうー、朝ご飯、食べに来たよー」
こちらに近づいてくる足音。
出口は一つ。
(どうする……)
悩んだあげく、そのまま部屋を出た。
ちょうどこちらに歩いてきた虎とばったり出くわす。
「アーチャーさん? なっ、まさか、士郎にっ!」
私と目が合った途端、襲いかかる勢いの虎に、深々と頭を下げた。
「おはようございます。藤村先生」
「あ、う、お、おはよう、そ、それよりも、アーチャーさん、今、士郎の部屋から出てきたわよね!」
「ええ。起こしに来たのですが、まだ夢の中でして……」
起こしていただけますか、と、しおらしくお願いすれば、虎は牙を抜かれたようだ。
「あ、なぁんだ、そうだったんだぁ。びっくりしたー」
少々心苦しいが、嘘も方便と言うし、ここは、騙しておこう。背に腹は代えられない。ここに住めなくなると、魔力の枯渇問題が起きる。
それに……、
(もう、離してやることはできない……)
一つ屋根の下でないなど、冗談ではない。
これだけは譲れない。
どんなに大切な過去の姉代わりだとしても、魔術で暗示をかけてでも、ここでの居候は認めていただく。
「じゃ、士郎を起こして行くからー」
お願いします、と頭を下げて台所へ向かう。
昨夜、下準備をしておいてよかった。虎に食事を待たせると、ろくなことがない……。
「まったく……」
本当に変わらない人だ。
懐かしさに、何やらむず痒い。
こんな居心地悪さも士郎とであれば、さほど苦ではないと知った。
虎を見送って朝食の後片付けを済ませると、洗濯物を干し終えた士郎が居間に戻ってきた。
「士郎」
「ん? なに?」
座卓を拭いている手を止め、士郎の前に立つ。見上げてくる琥珀色の瞳が私を映す。
「身体は大丈夫か?」
「へ? あ、うん、何も、ケガとか、」
「昨夜は少し無理をさせただろう? あまり激しくしてはと、思うのだが――」
「なっ、ば、バカッ! な、なに、こ、こんな、朝っぱらからっ、」
真っ赤になって頬に触れた私の手を引っ剥がす。
「む……」
人が心配しているというのに、その態度はなんだ。
「な、なんともない! 平気だ!」
あらぬ方へ顔を向けるから、赤い頬が丸わかりだ。
恥ずかしいとでも言うのか?
何が恥ずかしいものか。私は欠片も恥ずかしいことなどない。
負担をかけたか、と受け入れる側を気にかけるのは当然だろう。我々は恋人。風俗ではないのだぞ、まったく。それを、恥ずかしがって誤魔化されては、わざわざ訊く意味がないだろう。
私が、こういうことを訊くのは、いやがらせでもなんでもない。ただ、士郎の身体が大丈夫なのかと確認をしたいがためだ。
(それを、こいつは……)
少々、不満が鎌首を擡げた。
(からかってやるか)
つい、要らぬことを実行に移してしまう。
「こんな細い腰では……」
士郎の腰を両手で掴んで引き寄せる。
「な、なんだよ」
ムッとした顔は照れ隠しか。やっと私を見上げる瞳に、ゆるり、と笑みを浮かべた。
「私の相手は辛かろう?」
「…………っ、」
思った通り、目を剥き、カーッと首筋から朱が上ってくる。
「て、めっ! 自慢かよ!」
「事実を言ったまでだ。こんなに薄い尻では、わた――」
ぎゅぐ、と士郎の、おそらく胸元に顔を埋めこまれた。膨らみの僅かな士郎の胸では胸骨がまともに顔に当たる。
柔らかい感触を期待していたわけではないが、残念さは拭えない。
「士郎?」
「も、黙れ!」
(少し、からかい過ぎたか……)
士郎の鼓動の速さに驚くとともに、なにやら、こちらも気恥ずかしくなってきた。
「わかった、黙る」
士郎の腕が緩み、顔を上げると、真っ赤な顔で不貞腐れている。
「本当に、問題はないのか?」
改めて、極力真面目くさって訊く。
「へぃ、き……」
「心配になった。お前に無理をさせてはいないかと」
真摯に言えば、声を詰まらせる士郎は、やっと私の真意を汲み取ってくれたようだ。
「だい、じょうぶ。アーチャーは、気遣って、くれる、から……」
士郎をそっと抱き寄せ、赤銅色の髪を梳く。
(気遣う……、そうか、私の気遣いはどうにか伝わって……、ん? 今、“私は”気遣ってくれる、と言ったか?)
気のせいだろうか?
今の言い方では、他に気遣わない誰かがいる前提のような……?
「今日って、マンション引き払うんだよな?」
士郎の問いかけに、至りそうになった答えから引き戻される。
「あ、ああ。それほど荷物はないがな」
仮住まいのマンションに残っているのは、最低限の調理器具や食器、衣服や生活雑貨のみだが、持ち帰るとなるとかさばるものだ。
「車、藤ねえが貸してくれるって言ってたけど、軽トラとかかな」
昨日、虎に頼んで、藤村家から運搬のために車を借りることになっていた。そろそろ、来る頃合いだ、と思っていると呼び鈴が鳴る。
「来たみたいだ」
士郎に頷き、ともに玄関へ向かった。
「え……?」
門前に停まった車を目にして、士郎は言葉を失っている。私も、思わず額を押さえた。
「な、なんで、こんな、黒塗りだよ!」
士郎が喚きたくなるのもわかる。これでは、ヤのつく商売か官邸の公用車か、という感じだ。
黒塗りの、見てわかるような高級セダン。
「これでもマシな方でして……」
強面の男が、士郎にヘコヘコ頭を下げている。見た目はあれだが、おそらく、根はいい人だ。納得しない士郎に困った顔をしている。
確かに気が引けるほどに、ピッカピカに洗車され、傷一つない高級車だ。それを荷物の運搬に使うなど、申し訳ない気がしてくる。だが、まあ、この王冠マークの国産車であれば、多少は身近な車になりつつあるようだし、藤村組も気を遣ってくれた、ということだろう。
「軽トラとかでいいんだってば! 軽自動車で!」
「いやぁ、さすがに、ウチで軽自動車ってやつは……」
それは、まあ、ないだろう。町の有力者が軽自動車でウロチョロなんてしていたら目を疑う。
荷物の運搬という理由では少々気が引けるものの、藤村組の者をこれ以上困らせても仕方がない。こちらは善意で車を借りる身だ。
「士郎、借りられただけよかっただろう? でなければ、かさばる荷物を持ってバス移動をするはめになる」
「おっはよー、士郎ー」
屋敷に響いた声にハッとした。
まずい。
まずい、まずい、まずい、まずい!
時計を確認すると午前六時半前。
(しまった、寝過ごした……)
何をしているのか私は。いくらなんでもサーヴァントにあるまじき失態だ。睡眠など必要のない私が士郎と一緒に寝こけているとは、どれだけ平和ボケしているのやら……。
いまだ寝息を立てている士郎にパジャマを着せ、布団をかけ、自身の身支度を整える。ざっと室内に目を走らせ、抜かりはない、と障子の引手に手をかける。
「あれー? 士郎ー?」
あの人は、相変わらず遠慮もなしにこの屋敷を歩き回る。今さらどうこう言ってもはじまらないが、少しは遠慮というものを……、いや、今はそれどころではないな。
(この部屋で遭遇すれば、出禁は免れない。だが、この部屋には、他に出入り口がない……)
ここを乗り切るには……。
「しーろーうー、朝ご飯、食べに来たよー」
こちらに近づいてくる足音。
出口は一つ。
(どうする……)
悩んだあげく、そのまま部屋を出た。
ちょうどこちらに歩いてきた虎とばったり出くわす。
「アーチャーさん? なっ、まさか、士郎にっ!」
私と目が合った途端、襲いかかる勢いの虎に、深々と頭を下げた。
「おはようございます。藤村先生」
「あ、う、お、おはよう、そ、それよりも、アーチャーさん、今、士郎の部屋から出てきたわよね!」
「ええ。起こしに来たのですが、まだ夢の中でして……」
起こしていただけますか、と、しおらしくお願いすれば、虎は牙を抜かれたようだ。
「あ、なぁんだ、そうだったんだぁ。びっくりしたー」
少々心苦しいが、嘘も方便と言うし、ここは、騙しておこう。背に腹は代えられない。ここに住めなくなると、魔力の枯渇問題が起きる。
それに……、
(もう、離してやることはできない……)
一つ屋根の下でないなど、冗談ではない。
これだけは譲れない。
どんなに大切な過去の姉代わりだとしても、魔術で暗示をかけてでも、ここでの居候は認めていただく。
「じゃ、士郎を起こして行くからー」
お願いします、と頭を下げて台所へ向かう。
昨夜、下準備をしておいてよかった。虎に食事を待たせると、ろくなことがない……。
「まったく……」
本当に変わらない人だ。
懐かしさに、何やらむず痒い。
こんな居心地悪さも士郎とであれば、さほど苦ではないと知った。
虎を見送って朝食の後片付けを済ませると、洗濯物を干し終えた士郎が居間に戻ってきた。
「士郎」
「ん? なに?」
座卓を拭いている手を止め、士郎の前に立つ。見上げてくる琥珀色の瞳が私を映す。
「身体は大丈夫か?」
「へ? あ、うん、何も、ケガとか、」
「昨夜は少し無理をさせただろう? あまり激しくしてはと、思うのだが――」
「なっ、ば、バカッ! な、なに、こ、こんな、朝っぱらからっ、」
真っ赤になって頬に触れた私の手を引っ剥がす。
「む……」
人が心配しているというのに、その態度はなんだ。
「な、なんともない! 平気だ!」
あらぬ方へ顔を向けるから、赤い頬が丸わかりだ。
恥ずかしいとでも言うのか?
何が恥ずかしいものか。私は欠片も恥ずかしいことなどない。
負担をかけたか、と受け入れる側を気にかけるのは当然だろう。我々は恋人。風俗ではないのだぞ、まったく。それを、恥ずかしがって誤魔化されては、わざわざ訊く意味がないだろう。
私が、こういうことを訊くのは、いやがらせでもなんでもない。ただ、士郎の身体が大丈夫なのかと確認をしたいがためだ。
(それを、こいつは……)
少々、不満が鎌首を擡げた。
(からかってやるか)
つい、要らぬことを実行に移してしまう。
「こんな細い腰では……」
士郎の腰を両手で掴んで引き寄せる。
「な、なんだよ」
ムッとした顔は照れ隠しか。やっと私を見上げる瞳に、ゆるり、と笑みを浮かべた。
「私の相手は辛かろう?」
「…………っ、」
思った通り、目を剥き、カーッと首筋から朱が上ってくる。
「て、めっ! 自慢かよ!」
「事実を言ったまでだ。こんなに薄い尻では、わた――」
ぎゅぐ、と士郎の、おそらく胸元に顔を埋めこまれた。膨らみの僅かな士郎の胸では胸骨がまともに顔に当たる。
柔らかい感触を期待していたわけではないが、残念さは拭えない。
「士郎?」
「も、黙れ!」
(少し、からかい過ぎたか……)
士郎の鼓動の速さに驚くとともに、なにやら、こちらも気恥ずかしくなってきた。
「わかった、黙る」
士郎の腕が緩み、顔を上げると、真っ赤な顔で不貞腐れている。
「本当に、問題はないのか?」
改めて、極力真面目くさって訊く。
「へぃ、き……」
「心配になった。お前に無理をさせてはいないかと」
真摯に言えば、声を詰まらせる士郎は、やっと私の真意を汲み取ってくれたようだ。
「だい、じょうぶ。アーチャーは、気遣って、くれる、から……」
士郎をそっと抱き寄せ、赤銅色の髪を梳く。
(気遣う……、そうか、私の気遣いはどうにか伝わって……、ん? 今、“私は”気遣ってくれる、と言ったか?)
気のせいだろうか?
今の言い方では、他に気遣わない誰かがいる前提のような……?
「今日って、マンション引き払うんだよな?」
士郎の問いかけに、至りそうになった答えから引き戻される。
「あ、ああ。それほど荷物はないがな」
仮住まいのマンションに残っているのは、最低限の調理器具や食器、衣服や生活雑貨のみだが、持ち帰るとなるとかさばるものだ。
「車、藤ねえが貸してくれるって言ってたけど、軽トラとかかな」
昨日、虎に頼んで、藤村家から運搬のために車を借りることになっていた。そろそろ、来る頃合いだ、と思っていると呼び鈴が鳴る。
「来たみたいだ」
士郎に頷き、ともに玄関へ向かった。
「え……?」
門前に停まった車を目にして、士郎は言葉を失っている。私も、思わず額を押さえた。
「な、なんで、こんな、黒塗りだよ!」
士郎が喚きたくなるのもわかる。これでは、ヤのつく商売か官邸の公用車か、という感じだ。
黒塗りの、見てわかるような高級セダン。
「これでもマシな方でして……」
強面の男が、士郎にヘコヘコ頭を下げている。見た目はあれだが、おそらく、根はいい人だ。納得しない士郎に困った顔をしている。
確かに気が引けるほどに、ピッカピカに洗車され、傷一つない高級車だ。それを荷物の運搬に使うなど、申し訳ない気がしてくる。だが、まあ、この王冠マークの国産車であれば、多少は身近な車になりつつあるようだし、藤村組も気を遣ってくれた、ということだろう。
「軽トラとかでいいんだってば! 軽自動車で!」
「いやぁ、さすがに、ウチで軽自動車ってやつは……」
それは、まあ、ないだろう。町の有力者が軽自動車でウロチョロなんてしていたら目を疑う。
荷物の運搬という理由では少々気が引けるものの、藤村組の者をこれ以上困らせても仕方がない。こちらは善意で車を借りる身だ。
「士郎、借りられただけよかっただろう? でなければ、かさばる荷物を持ってバス移動をするはめになる」
作品名:DEFORMER 5 ――リスタート編 作家名:さやけ