ミヒツノコイ ep.1
いつもと変わらない道すがら。私を家に送り届ければ、梶山はいつものように自宅へと帰るだろう。あるいは、仕事が残っていると言って庁舎に戻るのかもしれない。
いつの日だったか……このまま変わらなければいいな、続けばいいなと願った“いつも”と、同じ。
それなのに、黙ったまま隣を歩く梶山の様子が違って見えるのは、私が奇しくもこいつと同じ境遇を味わってしまったからだろうか。
もしかしたらこいつはいつもこんな思いを抱きながら、それを隠し、肩を並べてくれていたのかもしれない。それとも、ずっとすぐそこにあった悲しみに、私が目を向けてこなかっただけなのだろうか。
変わったのは、私だけかもしれない。
今なら少し、わかるのかもしれない。
私を送るなどと言いながら、いつもより遅い歩みは、一人きりの家に帰ることを拒んでいるように見えた。
——梶山、あんたも、帰れないんでしょう?
想定以上に拗れた離婚調停がようやく成立したと、人づてに聞いた。これまでは忙しさや他に考えるべきことに忙殺されていたのだろうが、ひとまず解決し、解放された今、折れてしまいそうな心の拠り所まで失ってしまったのではないだろうか。
——帰りたくないのは、あんたじゃないの。
言い訳に使われているんだな。利用されているんだ。そう考えてしまうのは、冷たい夜風では飛ばし切れないアルコールのせいなのか、それとも。納得のいく答えを見つけようとすると、頭がもやに包まれる感覚に襲われ、考えることをやめた。
そもそもの根源たる男は今、何を考えているんだろうか。そう見上げた横顔は、妙に緊張を湛えた色を浮かべていた。
『この辺でいいよ』
その一言が、言えなかった。
断じて、自分が望むからではない。この男が……梶山がかわいそうだから、言わないであげるだけだ。
『この辺でいいよ。ありがと、お疲れさま』
何度も何度も何度も、腹の底から喉元まで押し上げては、飲み込んだ。そんなむなしい堂々巡りを繰り返すうちに、心をどこかに置き残したまま、右……左……右……と単調に歩み進めた足だけが、空っぽの自宅にたどり着いてしまった。
『ありがとう。じゃあね、また明日』
今度こそ、言ってやる。いつもの私はそうしていた。何も不自然じゃない。意地悪なんかでもない。いつもの私たちでいるには、そう言うしかないはずなのに。口からこぼれた言葉は、私の悟性を裏切った。
それは、耳の奥で小さく響いた、きっと私に向けられたわけではない言葉への返答。
「……ほんとは、そうなのかもね」
「なに?」
「耳が痛くなるほど静かで、迷子になりそうなくらい広い家に……いられない」
私もまた一人なんだと、思い知らされるから。
梶山……
目の前の男を呼びかけた声は、自分でも驚くほどに、しどけなかった。
掠れた声が、むき出しの心臓に刺さった。
作品名:ミヒツノコイ ep.1 作家名:みやこ