ミヒツノコイ ep.1
つい今しがたも自覚したところだが、よく冗談のセンスがないと言われる。雑談と呼ばれるもの全般が苦手なのかもしれない。
それは、会話がふと途切れた瞬間に切り出す話題選びにも如実に現れるものだなと、発してしまった後にいつも自覚する。
「帰らなくていいのか」
「え?」
たしか上の子は部活の合宿、下の子は校外学習だと言っていたか。奇遇にも子供たちが揃って家を空けた初日には、母親業は休憩だの、家事を手抜きできるだの、羽を伸ばせるだの楽しそうに語っていた。
「ん。まぁね」
そう言葉を濁した真壁は、それ以上話すことがないという主張なのか、所在がなくなったのか、再びジョッキを口元に運んだ。
店は変わらず喧騒に包まれている。次に切り出す話題がいまひとつ見つからないまま、この半径1メートルだけが沈黙に包まれていた。取り残されたような、切り離されたような。時間の流れが、ここだけ違っているのではないかと錯覚する。
それを破ったのは、わずかに俯き、ジョッキを両手で握り込んだ真壁だった。
「今の家に引っ越した時、まだ則はいなかったけれど」
隔離されたこの空間に、時の流れと色が戻る。
「一人だと、あんなに広かったんだ……そう、思うんだよ」
ただしその色は、決して鮮やかではない、淀んだ錆色をしていた。
ジョッキから滴り机に溜まったしずくをじっと見つめる真壁と、その横顔から目を離せない俺。ずっと前からそこに溜まっている水滴だ。すでにぬるくなったグラスは、これ以上汗をかかない。
いつもの直情径行でストレートなお前はどこにいったんだ。まったく、らしくない。お前も、あるいは俺も。
「変な話、しちゃったね。電車もなくなるし、私もそろそろ帰るよ」
本音を隠すように肩を竦めて「にひひ」と笑うこいつを帰してしまっていいのだろうか。ただ一人しかいない家に……
「帰りたくないんだろう」
自分の心にだけ聞かせるように小さく呟き、こちらに背を向けジャケットを着込もうとしている細腕を掴む。
真壁……
「……送るよ」
「う、うん……」
お前を、一人の家には、帰せない。
作品名:ミヒツノコイ ep.1 作家名:みやこ