【弱ペダ】ほろ苦い波打ち際
さくさくと砂を踏みしめる感触と、押し寄せる波の音を聞きながら、ゆっくりと浜辺を二人で歩く。どちらともなく歩き始めた散歩だ。それなのに、二人とも一言も喋らなかった。いや、喋る必要を感じなかった。
昼間の波の音と、海水浴客のざわめき、海の家から聞こえる少し喧しい音楽。潮の匂いに、食欲をそそる醤油やソースが焼ける食べ物の匂い、そして日焼けオイルの甘い匂い。照り付ける陽射しに肌を撫でて行く潮風。
そして、日が傾き始めて少し寂しくなった海辺。足の裏に感じる、まだ少し暖かい砂。対照的に涼しく感じる風。
――イギリスって海で泳げるのか?
生活する町や大学周辺のことは調べたが、イギリス全体のこととなるとまださっぱり判らない。だが、滅多に行かない日本の浜辺が早々に懐かしくなるような気がした。特に、坂道が居ないのが寂しくて。
「昼間とは全然違いますね」
岩場の上に腰を落ちつけて暫く海を眺めていた後、坂道が言う。空が沈み始めた陽の光で、僅かにオレンジ色に染まってくる。
「僕何度かここ、家族と一緒に来たはずなんですけど全然覚えてなくて」
子供だったのならば、恐らくもっと早く帰っていたからだろう。
「巻島さんとこんな景色見られて、僕嬉しいです」
ああ、その言葉が純粋な好意だと判っていても、嬉しさに心臓が躍り出してしまう。誤解だろうが何だろうが、今すぐその小さな身体を腕にかき抱いて、全てを奪ってしまいたい。
落ち着けっショ、巻島祐介!
いやいや。これ、もう俺のこと好きっショ。絶対そうだろ? 押したらいけるんじゃねーのか。
確かめてもいねーのに、出来ねーっショ。
うだうだしてねーで言っちまえよ! もう簡単には会えなくなるっショ。
頭の中で本能に従えと唆す悪魔な自分と、理性を保てと窘めてくる天使な自分が言い争いをして姦しい。辛うじて天使の方に軍配があがり、巻島はぐっと己の心を堪える。
「そうか」
「ハイ!」
巻島に飛び切りの笑顔を向ける坂道が眩しかった。ふと気が付いたらぐりぐりと坂道の頭を撫でていた。するりと自分の手が坂道の肩におちる。そのまま腕に力が篭って細い癖に筋肉で張り詰めた肩を抱き寄せた。坂道の少し驚いたような目に、随分と必死な顔をした自分が映っていたような気がした。必死で何が悪い。止めようとする自分を押さえこむ。坂道の瞳が揺れた。顔が更に近づいて……。
「小野田くーん、巻島さん、そろそろ帰りましょーゆーてますわ」
「鳴子くん」
互いにぱっと身体を離す。坂道の声が裏返ったのに、岩場を登って来た鳴子がちょっと怪訝そうな顔をしたが、一転ニヤリと笑う。
「あれれ~? なんやお邪魔でしたかいな?」
からかうような鳴子の言葉がボディを深く抉ってくるようだ。自分に疚しい想いがあるだけで、こんなに攻撃力のある勢いになるらしい。
「いや、鳴子……」
「そ、そんなっ! 邪魔とか、そんにゃわべなきゃ……っ!」
巻島が何とも説明できない焦りを抱えている隣で、坂道が慌てる余り口が回らなくなっている。
「ええて、ええて。誤魔化さんでも、この鳴子章吉はバッチリ判っとるて。先輩と後輩っちゅーんか、師弟だけで通じる話って奴やろ?」
かっかっか、と笑って鳴子は万事飲み込んだ、と言わんばかりに胸を叩く。
「まぁ、ワイも? 田所のオッサンがなんや一子相伝の技やらなんやら、どーしても伝えときたいゆーんなら、聞いたってもやぶさかでもあらへんっちゅーとこやからな! えーて、えーて、ゆっくり来てや。向こうはワイに任しとき!」
かーっかっか、と大声で笑いながら鳴子が去って行く。良い方向へ誤解してくれたらしい。だが一方の自分と来たら邪な想いだっただけに、逆に申し訳なさすら感じる。
「巻島さん」
坂道の声に振り向けば、上気した頬に瞳をキラキラさせて、ひどく期待した顔で巻島を見上げてくる。これが巻島と同じ恋愛感情に纏わる顔ならこの上なく幸せだろう。だが、現実はそんなに甘くない。
「どうした」
「僕……、僕……」
坂道、お前凄い鼻息荒いショ。
「僕っ、聞きたいです! 鳴子くんの言ってた先輩と後輩って言うか、師弟だけで通じるあれこれって、巻島さんならクライマーのことですよね! 凄く凄く聞きたいです!」
むふん、むふん、と興奮した顔で坂道が言うが、一方の巻島は困り切るしかない。
いや、違う。ていうか、そもそもそう言う話ではない。
鳴子が勝手に言っただけっショ。
そう言って、坂道は納得するだろうか。
「えー……」
なにも思いつかなくて、ぺろりと舐めた唇は潮風に晒されたせいか、ほろ苦い。秘めておくべきか、伝えてしまおうか。坂道が自分に向ける好意が無くなってしまうのは怖い。折角なら嫌われたくない。一方で自分の気持ちだけをぶつけていいのか、そうも思う。
それに、自分はすぐに居なくなってしまうのだ。よしんば伝えて、仮に――本当に仮に、だ――想いが通じたとして、その後どうする。放っておくのか? 大学だけ留学すると言う話ではない。大学を卒業したらそのまま向こうで働かねばならない。自分の金ではない学生時代は勿論、金を稼ぐようになっても休暇にしか帰ってこられない生活だ。
神様だか運命だか知らねーが、つくづく、意地が悪いっショ。
なんですか、なんですか、と期待した顔で巻島を見つめる坂道を見つめた。
「……クライマーは、とにかく登れっショ」
わざとにやりと笑って巻島は言葉を絞り出した。
「ペダル回して回して、山ひたすら登って、登って、登るしかねぇ。それだけっショ」
クライマーになってから走るのではない。ひたすら走って走って、登って競って、ふと自分の辿って来た道を振り返った時に、初めて判るものなのだ。それまではただがむしゃらに進むしかない。自転車ではそうでも、自分の気持ちについては全くがむしゃらになれていない。嘘ではないが、巻島にとってみれば一部に偽りのある言葉は、少し空しく響いた。
「やっぱり巻島さんはカッコイイです!」
そんな巻島の気持ちなど知らぬげに、はわわ、と溜め息を吐いて、感動したらしく坂道の瞳が潤む。別の意味で泣かせたいというのに。
「いや……、キモイでいいっショ」
今ほど自分をヘタレで情けないと思ったことはない。
――end
あー! くっつかなかったぁぁぁっ!_(:3 」∠)_
ふたりがいちゃいちゃラブラブしてるところが書きたかったはずなのに……(;ω;`)
精進します……orz
作品名:【弱ペダ】ほろ苦い波打ち際 作家名:せんり