W/I/M
気がつけば自室は散々な有様だった。机上だけがすっきりとしている。中学生の机であれば本来鎮座していて然るべきペンスタンドすらそこにはない。一番最初に薙ぎ倒されて床に落ち、その拍子に中身を全て吐き出してしまった。一体どのような倒れ方をしたのだか、筆記具は扇の骨組みのように放射線状に広がっている。ローテーブルの上に置いてあったマグカップもペンスタンド同様に床に転がっていた。こちらは中身は飲み干してしまった後だったが、僅かに残っていたらしい水滴が跳ねてほんの一部分だけカーペットの色を変えているのが目に入った。色のない飲み物でよかった。後々拭いて乾かせばわからないだろう。よごれ、というだけでも眉を顰めるのに、己の奇行の痕跡などどうして残したいことがあるだろうか。
スイッチがオフになった時の自分を想像してしまい、蔵ノ介は脳裏から熱がさっと引こうとしているのを感じた。意識的に引き留める。ここで我に返っては意味がなかった。他人が見れば強盗にでも押し入られたのかと思いそうなほど荒らされた部屋に視線を巡らせ、それからこの部屋が自分のそれでない想像をする。それを含めての一連であった。室内をぐちゃぐちゃに掻き乱したのは確かに自分で、自分の部屋だからこそ誰に憚ることもなくそんな乱暴な真似に及べたのだけれども、蔵ノ介の想像の中では、ここは謙也の部屋なのである。
蔵ノ介の中では最初の設定は決まっている。いつもはじめ、謙也はそこにはいない。蔵ノ介が奇行に及ぶのは謙也が席を外している間である。やがて戻ってきた謙也が、鶯茶の瞳を丸くして、自室の惨状とその中で立ち尽くす蔵ノ介を交互に見比べる。こちらを見る謙也の表情は吃驚ではあれど非難の色は欠片もない。それどころかたった一瞥で蔵ノ介の不安定を察知し泣きそうにすらなっている。そうなればたまらなくなるのは蔵ノ介の方で、謙也が何をか言おうと口を開いた瞬間に涙腺が決壊してしまう。嗚咽混じりにごめん、ごめんとしか言えなくなる。現実の蔵ノ介とちがって、「その」蔵ノ介はどうして自分がそんなことをしたのかまるでわかっていないのだ。謙也は一度は開いた唇を引き結び、只管泣きじゃくる蔵ノ介に歩み寄り、そして何も言わずに抱き締めてくれる。責めることも理由を問うこともせず、ひっきりなしにぼろぼろと溢れ続ける水滴が止まってしまうまで、蔵ノ介をそのままにしておいてくれる。
角砂糖を噛み砕くような想像はいつもこのあたりで終わる。壊れ物を扱うように優しく抱いてくれる謙也を思い浮かべて自慰に移行することもあるにはあるが、それはシチュエーションにくっついてきた附属品に過ぎない。重要なのはその前、蔵ノ介の奇行に対する謙也の反応だった。蔵ノ介は腰を折って自らで散らかしたものを拾い上げながら、これももうだめだ、と考えた。この程度ではまだ甘い。己の想像なのだからどこまでも己に都合良いことばかり起こしていけるだけなのに、それを理解してなお、蔵ノ介には確信があった。この程度ではまだ、謙也が声を荒げることはない。
蔵ノ介は時々、忍足謙也という人間が無性に恐ろしくなることがある。かれのキャパシティが、蔵ノ介の想定し得る範疇を遥かに超えて大きく、その端が全く掴めないからだ。母なる海は美しく雄大かもしれないが、身一つで放り出されるなら狭小なプールを選びたい。宇宙の果てを思って感じる恐怖に似ている。どこまで行っても外側の輪郭が見えないのなら、自分には一生、かれの頭のてっぺんから足の先、全体のかたちを知ることは叶わない。蔵ノ介は暖色の闇へ向かって必死に小石を投擲している。そうしていつかそれが壁に当たってこつんと音を立てるのを期待している。それなのにどれほど遠くへ投げてもそんな音は虫の羽ばたきほども聞こえてこないのだ。代わりにぞっとするような静寂が蔵ノ介をあやしてくれる。壁がないから、泣き声だって反響しない。
スイッチがオフになった時の自分を想像してしまい、蔵ノ介は脳裏から熱がさっと引こうとしているのを感じた。意識的に引き留める。ここで我に返っては意味がなかった。他人が見れば強盗にでも押し入られたのかと思いそうなほど荒らされた部屋に視線を巡らせ、それからこの部屋が自分のそれでない想像をする。それを含めての一連であった。室内をぐちゃぐちゃに掻き乱したのは確かに自分で、自分の部屋だからこそ誰に憚ることもなくそんな乱暴な真似に及べたのだけれども、蔵ノ介の想像の中では、ここは謙也の部屋なのである。
蔵ノ介の中では最初の設定は決まっている。いつもはじめ、謙也はそこにはいない。蔵ノ介が奇行に及ぶのは謙也が席を外している間である。やがて戻ってきた謙也が、鶯茶の瞳を丸くして、自室の惨状とその中で立ち尽くす蔵ノ介を交互に見比べる。こちらを見る謙也の表情は吃驚ではあれど非難の色は欠片もない。それどころかたった一瞥で蔵ノ介の不安定を察知し泣きそうにすらなっている。そうなればたまらなくなるのは蔵ノ介の方で、謙也が何をか言おうと口を開いた瞬間に涙腺が決壊してしまう。嗚咽混じりにごめん、ごめんとしか言えなくなる。現実の蔵ノ介とちがって、「その」蔵ノ介はどうして自分がそんなことをしたのかまるでわかっていないのだ。謙也は一度は開いた唇を引き結び、只管泣きじゃくる蔵ノ介に歩み寄り、そして何も言わずに抱き締めてくれる。責めることも理由を問うこともせず、ひっきりなしにぼろぼろと溢れ続ける水滴が止まってしまうまで、蔵ノ介をそのままにしておいてくれる。
角砂糖を噛み砕くような想像はいつもこのあたりで終わる。壊れ物を扱うように優しく抱いてくれる謙也を思い浮かべて自慰に移行することもあるにはあるが、それはシチュエーションにくっついてきた附属品に過ぎない。重要なのはその前、蔵ノ介の奇行に対する謙也の反応だった。蔵ノ介は腰を折って自らで散らかしたものを拾い上げながら、これももうだめだ、と考えた。この程度ではまだ甘い。己の想像なのだからどこまでも己に都合良いことばかり起こしていけるだけなのに、それを理解してなお、蔵ノ介には確信があった。この程度ではまだ、謙也が声を荒げることはない。
蔵ノ介は時々、忍足謙也という人間が無性に恐ろしくなることがある。かれのキャパシティが、蔵ノ介の想定し得る範疇を遥かに超えて大きく、その端が全く掴めないからだ。母なる海は美しく雄大かもしれないが、身一つで放り出されるなら狭小なプールを選びたい。宇宙の果てを思って感じる恐怖に似ている。どこまで行っても外側の輪郭が見えないのなら、自分には一生、かれの頭のてっぺんから足の先、全体のかたちを知ることは叶わない。蔵ノ介は暖色の闇へ向かって必死に小石を投擲している。そうしていつかそれが壁に当たってこつんと音を立てるのを期待している。それなのにどれほど遠くへ投げてもそんな音は虫の羽ばたきほども聞こえてこないのだ。代わりにぞっとするような静寂が蔵ノ介をあやしてくれる。壁がないから、泣き声だって反響しない。