奏で始める物語【夏】そのいち
この恋に土方は決して巻き込まない。それは銀八が土方を好きになってから延々と言い聞かせてきたことだった。
なにも土方が自分を好きになるとは思っていない。ただ、自分の気持ちを悟られてはならない。その程度のことを気をつければ大丈夫だと銀八は思っていた。しかし、実態は違った。本当に予想外の、思ってもいなかった形で土方を巻き込んでしまっていた。
「火の点いてねえ煙草吸って美味しいか?」
物思いに耽っていた銀八は服部に言われて初めてそのことに気が付いた。気の抜けた返事を返すと、漸く火を点けてゆっくりと吸い込む。
国語準備室を訪ねてきた服部は銀八の姿を見て、今日何度目になるか分からない溜息を吐いた。
――ったく、こういう時のこいつの扱いは面倒だから嫌いなんだがな……。
それでも自主的にこうして準備室を訪れてしまったのは、同僚として、友人として心配になってしまったからだ。ここ最近の銀八の様子は目に見えておかしかった。一応生徒達の前では上手く取り繕っているらしいが、服部や坂本といった比較的気を許している者の前では緩むらしい。
「おうおう。此処におったか! あちこち探したきに、金八!」
ノックもなく、豪快に開いた扉から現れたのは坂本だった。銀八に負けず劣らず、好き放題に――こちらは内側に毛先が向いている髪形に、丸い形を模したサングラス。口からは訛りの強い言葉が発せられる、銀魂高校の数学を担当する教諭だ。
「それじゃあ、本家とおんなじ名前になっちまうだろ!」
いつもなら銀八自ら指摘する間違いも、今日は服部が代わりに行う。名前を間違えられたというのに――いくら日常茶飯事のだろうが――銀八は窓の外を見つめたまま振り向こうともしない。
そうだったかのー? と笑い飛ばしていた坂本もこれには眉を顰め、服部と目を合わせた。
ソファにいる服部の耳元に顔を寄せ、小声で問う。
「やっぱり何か変じゃのう」
「変どころか、大変だろ、こりゃ。重症だ」
また溜息を吐いた服部はお手上げだ、と正に両手を上げて見せた。
「しっかし、一体何があったというんじゃ。この間までは寧ろ上機嫌続きやったっちゅうに」
腕を組んで首を傾げる坂本の言ったとおりだった。
「まさか銀八! お前さん、恋煩いにでもかかったかのう!?」
嬉々と発したその言葉に服部は「んな、あほな」と一蹴しようとしたのだが、瞬間大きな物音がし、振り向けばどうやってそうなったのか、椅子から盛大に落ちた銀八が頭を抑えていた。
「お前さん……まさか本当に……」
信じられない、とばかりに服部が呟けば銀八の頬が明らかに上気した。
「……お前さん、そんなに分かりやすい男じゃったかのう?」
あの坂本を呆れさせるだなんてよっぽどだぞ、という服部の言葉には心底嫌そうに顔を顰める銀八だった。
詳しい話を聞かせろ、と好奇心で目を輝かせて問うてきた坂本を、何とか始業を知らせるチャイムを理由に撒いた銀八は昼休みを屋上で過ごす事にした。
「ったく、俺とした事が……」
本来立ち入り禁止の屋上の柵に凭れ掛かりながら、今度こそちゃんと火の点いた煙草を吹かす。
仰ぎ見れば真っ青で綺麗な青空が広がっていた。夏がもう直ぐそこまできているという証だった。
「さーて、と。どうやってあいつらを誤魔化すかなー」
硬いコンクリートに腰を下ろすと昼食にと買ってきた玉子サンドイッチを口に運ぶ。喉を潤すイチゴ牛乳は銀八にとっては欠かせないアイテムだ。
風に髪の毛と白衣が揺れる。同じくして銀八の心も揺れ動いていた。
服部らにバレたからではない。
土方の気持ちに気付いてしまったからだ。
そう、ここ最近銀八の様子がおかしかった原因は土方だった。
授業の準備を手伝わせる為に神楽と共に土方を準備室へ招いたあの日。銀八は土方の異変に気付いた。そして、その後注意深く観察して、確信した。
――土方は俺のことが好きなんだ。
確信した瞬間、銀八は高揚するよりも絶望にも似た感情を抱いた。
自分の恋が成立するのはあくまで『土方を巻き込まない』という事が前提だったのだ。一切気持ちを悟られず、彼の卒業を見送る。それが大前提だった筈なのに、ここへきて銀八にとっては最悪の状況になってしまった。
土方に惚れている。その土方も銀八に好意を寄せている。本来なら喜ばしいことなのに、だけど、喜べずに寧ろ頭を抱えて最悪だ、とまで思ってしまうのは一概に自分と土方の関係にある。
二人は教師と生徒なのだ。そして、同性でもある。
そこに特別な感情も、ましてや恋愛感情などあってはならぬのだ。
一方通行で始まった筈の恋はそのまま終わる筈だった。それなら許されるだろう、という銀八の甘い考えの元成り立っていたそれは、しかし相手の気持ちが銀八に向かってしまった時点で結果は決まっているのだ。
イチゴ牛乳を飲む。いつもは口に広がる甘さが疲れを癒してくれるそれも今の銀八には気休めにもならない。
「まあ、終わりだわな」
本気で土方の事が好きだった。始めは信じられなかった気持ちもこの二ヶ月で確かなものに変わっていた。覚悟も出来ていた。実ることなく、終わる覚悟も、土方が旅立つ背中を見送る決意も、全て出来ていた。それ程銀八の想いは真剣だったのだ。
だが、戯れのように土方を構うこともこれからは今までのようには出来ない。自分が構えば構うほど土方はきっと期待してしまうだろうから。
また玉子サンドイッチを食べる。飲み込む前に更に一口。もう一口。食べきるともう一切れ口にする。銀八の頬は限界まで入れた所為でパンパンに膨れてしまっている。しかし、銀八は構わずどんどん口に含んでいく。そうしなければ耐え切れなかった。口を休めれば漏れてしまいそうになるそれを止めるにはこうするしか手はなかった。
「っはぐ、むぐ」
周囲に誰か居たならば注意をする前に驚いただろう。その醜態にではない。
いつもは死んだ魚の目のようだと揶揄される銀八の目から大粒の涙が次々と零れ落ちる。頬が、サンドイッチを掴む手が涙に濡れていく。
「はむ、もぐむぐっ……っ」
玉子サンドイッチが無くなり、ひたすら口の中にあるそれを噛み続ける。嗚咽を噛み殺す為に延々口を動かし続ける。
辛くないわけがない。
悲しくないわけがない。
だけど、自分は大人なのだから。子供の一時の気の迷いを本気にして、欲望のまま突っ走るなんてことはしてはいけないのだ。
何よりも土方を大切に想うのならこうする事が最善の選択なのだ。
さあ、早く目を覚ませ。気持ちを醒ませ。頭を冷ませ。
そうして再び元の『教師』と『生徒』になろう。そうすれば、また構うことが出来るから。
頼むから。早く。早く。卒業する前に。
コンクリートに落ちた涙は、太陽の光によってあっという間に乾いていく。
夏はもう直ぐ傍まできていた。
続
作品名:奏で始める物語【夏】そのいち 作家名:まろにー