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奏で始める物語【夏】そのいち

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 沖田の言葉は青天の霹靂だった。つもりだったからこそ、彼の言葉は最近の土方の心情に正しく雷を落とされたような衝撃を与えたのだ。
――俺は一体何を思い上がっていたんだ。
 新学期が始まり、銀八はそれまでの二年間が嘘のように土方を構ってきた。いくらそっけない態度――照れ隠しに――をとっても、大して面白味もない回答――元来土方にユーモアというセンスはない――をしても、それでも銀八は土方を構う態度を変えはしなかった。
 だから、土方は思ってしまったのだ。つい、ほんの少し思ってしまったのだ。

 自分が銀八にとって『特別』なんじゃないだろうか、と。

 だが、それは只の思い上がりだったのだ。
 沖田の言ったことは本当だ。銀八はどの生徒にも分け隔てなく優しい。その接し方に問題がある事もあるが、どの生徒に対しても平等なのは確かなのだ。
 だから、土方が不器用な態度をとっていたとしても、それを構う銀八の図というのは他の生徒からしてみれば何らおかしなことではないのだ。勘違いしていたのは土方自身のみ。
 沖田の言葉で冷水を浴びたように冷静になった土方は新学期からの自分を恥じた。浮かれてしまっていた自分が心底恥ずかしいと。
 しかし、特別でなくてもいい。他の生徒と同じでも銀八が自分を構ってくることに変わりは無いのだから。
 元から実るはずの無い恋だったのだから。何を今更落ち込む必要がある。
 そう思っていたのに。



 GWが終わって一週間が過ぎた、ある日の昼休みだった。
 いつものように近藤らと昼食をとろうとした土方だったが、生憎と近藤は部長会議に、沖田はふらふらと昼寝を場所を探しに、山崎は原田と共にバドミントン部の打ち合わせに行ってしまい、一人になってしまった。そこへ合同勉強会以来、すっかり土方に気を許した神楽が「マヨ、どうしたアル? ゴリラ達はいねーアルカ? じゃあ、私たちと一緒に食うといいネ!」と、誘ってきた。断る理由もない土方は素直に頷くと、神楽の他に新八や妙らと机を囲んで昼食をとることになった。
――志村姉と一緒に飯食ったって言ったら近藤さん落ち込むだろうなー。
 ぼんやりとそんな事を考えていたら神楽に横から唐揚げを掠め取られた。

「おーい、誰か次の授業の準備手伝ってくれー」
 騒がしい教室に入ってきた銀八は開口一番そう言った。皆視線は銀八へ向けて、次に一緒に昼食をとっていた相手を見てどうする? と視線で会話している。
 扉に凭れながら挙手する者を待っている銀八の視界に小さな手が映る。
「ハイ! 私とマヨが行くネ!」
 窓際に居た神楽が椅子の上に立って是非指名してくれ、と自己主張する。他の生徒も異論は無いらしく、黙って見ていた。が、慌てたのは土方だ。
「おい! 何勝手に俺も行く事になってんだよ!」
「お前男だロ? か弱い女に重い物持たせる気か?」
 男子生徒よりも腕力のある神楽が何を言う、と一瞬思った土方だが、神楽の言葉に『男』のプライドを触れられ、言葉を詰まらせる。
「どうでもいいが、早くしろー。……土方、嫌なら無理に来なくていいぞ。別に大して重いもんもねーし、神楽の馬鹿力なら象の一頭ぐらい持ち上げられそうだしな」
「銀ちゃん酷いアル! 私を何だと思ってるアルカ!?」
「大食らいの頭の悪い留学生だろ?」
 瞬間、椅子から飛び降りた神楽は素早く銀八に向かって一直線に走り、その勢いのまま腹に思いっきり跳び蹴りを食らわせた。銀八の「ゴフッ」と声と共に身体が壁にめり込む。
「酷い! 酷いアル! 今すぐ訂正しないと私このまま裁判所に向かうアル! で、銀ちゃんをエイヨー毀損で訴えてやるネ!」
 倒れこんだ銀八の上に跨り、その胸元を掴んで揺さぶりながら神楽が叫ぶ。白目を剥いている銀八は訂正するどころではない。
「……それを言うなら名誉だ。名誉毀損」
 背後から逆に言葉の訂正をされた神楽は「あれ? そうだったアルカ?」と、目を瞬きしながら振り向いた。
 土方は神楽を宥めて銀八の上から退かせると、銀八に声を掛けた。
「おい。ほら、先生。起きろよ」
「う、え、ああ? 俺……」
「俺も行く」
 簡潔に告げた土方は神楽を伴って国語準備室へ向かって歩き出した。
 意識が朦朧としていた銀八は、やがて溜息を吐いて立ち上がると、二つの背中の後を追った。

 相変わらず乱雑とした国語準備室へ入ると、いつの間にか追いついてきていた銀八が「ちょっと待ってろ」と、机に向かう。
 神楽はどっかりとソファに腰を下ろし、土方は定位置にもなってしまった扉の前に立ったままだ。
「銀ちゃん! 茶菓子でも出すよろし!」
「アホか。おめぇ手伝いにきたんだろうが」
「手伝ってやるからその礼に茶菓子の一つや二つ出すのは礼儀アル」
「自分から手伝うって言ったくせに随分厚かましいな。さてはおめぇ、それが目当てだったんじゃねーだろな?」
 会話をしながらも銀八の手は止まらない。机の上にあるプリントを纏めている。そして、神楽を叱りながらも、ゆっくりと机から離れたと思ったら資料などが入っている棚に近づき、そこから何やら取り出した。
「……他の奴らには黙ってろよ」
 そう言って銀八がソファの前にあるテーブルに置いたのは大福三つだった。途端に神楽の目が輝く。
「やっほぉぉぉぉっ! さすが銀ちゃんネ!」
「なーにがさすがだ。言っとくけど、一人一個だからな。ほら、土方。おめぇも座れ」
 突然呼ばれて、傍観していた土方は驚いた。まさか話の中に自分も入っているとは思ってはいなかったのだ。
「え、俺は……」
「マヨはいらねーらしいアル! だったら、その分私が食べてやるネ!」
 既に右手に自分の分の大福を持っていた神楽は、土方の返事を聞く前に左手にもう一つ大福を掴もうとした、が。
 伸ばされた左手を銀八が手厳しく叩いた。勿論手加減をして。
「一人一個だって言っただろ。おめぇの分はそれだけだ」
 恨みがましく銀八を見上げた神楽だったが、珍しく渋々引いた。
 どうしていいのか分からずに今だ立ち尽くしている土方に歩み寄った銀八はその肩に触れた。
「っ!」
 思わず身体を大きく反応させる土方。しまった、と思い、振り向くと驚いて手を離した銀八に小声で謝られた。
「……とりあえず、そこ座れ。我慢出来なくなった神楽に食われちまうぞ」
「は、はい」
 ぎこちなくソファに腰を下ろした土方の隣では神楽が大福をちびちびと食べている。恐らく一口で平らげるには勿体ないと思ったのだろう。
 一応勧められるがままに大福を手にした土方だが、今しがたのやり取りが気になってしまって食べる気にならない。折角銀八がくれたのに。
 神楽を挟んで座っている銀八の方をこっそりと見やる。ソファに身体を預けている銀八は大福を無表情で黙々と食べている。何を考えているのか、土方には全く見当もつかなかった。しかし、少なからずはおかしいと思った筈だ。土方の大袈裟なまでの反応を。
 再び視線を大福に戻した土方は溜息を吐いた。それを、今度は銀八がこっそりと視線だけ動かして見つめる。

――あー、潮時ってやつかな。

 いつもの甘い甘い大福が、今この時だけはしょっぱく感じてしまう銀八だった。


◆ ◆ ◆ ◆ ◆