『ともだち』
『ともだち』
1
私は歌が好きだった。歌う為に生きていた。
私、如月千早は、歌手になるのが子供の頃からの夢だった。だから私は小学生の頃からコーラス部に入り、毎日毎日練習を続けてきた。中学、そして高校もそうだった。だけど、高校のコーラス部はすぐに辞めてしまった。あまりにも次元が低かったからだ。
みんな、コーラスをただの「趣味」にしか思っていない。「歌」に自分の全て、人生までを掛けようなんて誰も思っていない。ただの部活動にそこまで期待すること自体が間違いだった。
だから私は、芸能事務所に入って、歌手としてデビューしようと思った。歌手になるのは子供の頃からの夢だった。事務所に入るのは、高校を卒業してからと思っていたが、
自分を追い込むため、在学中に入ると決めた。私には、それだけの実力があると思っていたし、プロとしてやっていく自信もあった。
だけど、芸能界への道は狭く、そして険しい。
無名で何のコネもない私を芸能事務所はどこも雇ってくれなかった。唯一、私を受け入れてくれたのは、『765プロダクション』という、正直聞いたこともないような弱小プロダクションだけだった。
しかも話を聞くと、『歌手』としてではなく、歌にダンス、テレビ出演など何でもこなす『アイドル』としてのデビューだった。設立されて間もない無名の事務所に、仕事を選ぶ権利はなかったからだ。
それでもその条件を受け入れた。どんなに小さな芽だって構わない。這い上がるチャンスはいくらでもある。私のこの実力をもってすれば、やがて大手音楽プロダクションから声が掛かるだろう。私にとって、この765プロはただの腰掛けだ。
「如月千早です。一応、『アイドル』ですけど、本当は歌手志望です。歌に命を懸けています。よろしくお願いします。」
765プロにメンバーとして初めて訪れたこの日、社長の手引きで、私は他のメンバーの前で自己紹介をしていた。
社長の野太い声が響く。
「如月千早くんだ。みんな、仲良くやってくれよ。」
数人しかいないメンバーが「はーい」と返事をし、拍手で私を迎えた。
「それでは、みんな楽にしていてくれ。」
社長がそういうと、みんながまた散り散りに去っていった。
私は、狭い事務所の応接間で腰を下ろし、ipodを取り出した。イヤホンを両耳にはめて、私の好きなクラシックを再生する。
目を閉じ、美しい音色に耳を傾けていたとき、トントンと私の肩を叩くものがあった。驚いて私は目を開き、その方向に目を向ける。
目の前には、ボブヘアカットで、頭の両端に赤いリボンを付けた女の子が立っていた。何かを言いたそうにしている。私は至福の時間を邪魔されて少し不機嫌がちにイヤホンを取り外し、彼女に尋ねた。
「あの、何ですか。」
「ごめんなさい。邪魔しちゃいました?」
「見ての通りです。」
「せっかくだから、何かお話しませんか。」
図々しくも、彼女は私の隣に腰を下ろしてきた。最初から悪い印象を持たれるのは得策ではない。やむを得ず、私は彼女の話に乗ってあげることにした。
「初めまして、天海春香です。」
「如月・・・千早です。」
「これから、よろしくお願いしますね。」
彼女は右手を差し出して、握手を求めてくる。私はそういうなれ合いが一番嫌いなのだ。私はそれを見なかったことにして、窓の外のほうを見つめながら聞き返す。
「私に何の用ですか?」
握手を拒否されたことに少し戸惑ったのか、天海さんはすこしどぎまぎさせながら手をひっこめたようだ。天海さんが、やや興奮した様子で尋ねてくる。
「如月さんは、歌がお上手なんですか。」
「ええ・・・。まぁ。」
私はゆっくりと彼女の方を向いた。
「すごいです!私、歌うのは好きなんですけど、そんなに上手くないから、歌が上手い人に憧れるんです!如月さん、是非何か歌ってみてくださいよ。如月さんの歌、聞いてみたいです!」
なんなんだこの子は。初対面でいきなり歌えと要求するなんて。
「ごめんなさい。今日はまだウォーミングアップしてないんで。」
「あっ・・・すいません。そうですよね、いきなり歌ってなんて・・・失礼しました。」
全くだ。わかっているなら聞かないでほしいものだ。
矢継ぎ早に彼女から質問が飛んできた。
「如月さんは、『歌手』志望なんですか。」
「ええ、そうですけど。あなたも?」
天海さんは微笑した。
「いや、私は純粋にアイドル活動がしたくって。歌は好きですし、それでお仕事できればいいなーって思ってますけど、それだけで食べていこうとは思ってないですから。」
「そう・・・。もういいですか。」
私は再びイヤホンを耳にはめようとした。この人とこれ以上話をしても無駄だと思ったのだ。
「あっ、歌が上手になる秘訣教えてもらっていいですか。」
彼女は唐突にそう尋ねてきた。「歌が上手になる秘訣」なんて、一言で言えるようなものではない。とりあえず、基本中の基本であるウォーミングアップのことから聞いてみよう。
「あなた、朝どうやってウォーミングアップしてます?」
「う・・・ウォーミングアップ・・・ですか?」
ん?なにその反応?
まさか・・・やってないというの?
「やってないんですか、朝の発声練習。声は、起きてから数時間は本調子にならないんです。特に、ウォーミングアップをしないと、午後まで引きずる。」
「へえーそうなんですか。知らなかった・・・。」
「あなた、そんなことも知らないの!?話にならないわね。」
・・・信じられない。これで歌でお金をもらおうとしていたなんて、恥知らずもいいところよ。
「すみません・・・。」
天海さんはしょんぼりと下を向いてしまった。私はそんな彼女を無視するように、またイヤホンで両耳を覆ってしまった。
2
はっきり言って、天海さんへの初対面の印象は最悪だった。私はああいう人種が一番嫌いなのだ。クラスの中心に居そうな、あんな感じのうるさくて面倒な子。ああいうタイプとは「トモダチ」になりたくはない。一緒にいても疲れるだけだ。
私に必要な「トモダチ」は、学校で一緒にいてくれる都合のいい人だ。2人1組になるときに、パートナーになってくれる「トモダチ」。学校を休んだ時に、代わりにノートを取ってくれる「トモダチ」。世間話をするときに、それに応じてくれる「トモダチ」。
私にとって「トモダチ」とは、そういう人だ。だから私はそういう「トモダチ」に、必ずおとなしい子を選んでいた。私のように日陰者で、余り者。お互いに必要としているから、その関係は安定的で長続きする。だから私は「トモダチ」で困ったことはない。
私が「765プロ」に入って1か月の時が経った。私はこの事務所に入ったことをだんだん後悔し始めていた。
そもそもこの事務所には「プロデューサー」がいない。秋月律子さんという、「アイドル兼事務員兼プロデューサー」が、プロデューサー代わりをしている。一人三役を仰せつかるほど、人手が足りていないのである。