『ともだち』
もちろん、レッスンもままならない。まず会場が押さえられない。弱小プロダクションに、レッスン枠を十分に確保できるだけの資力はない。だから、レッスンと言えばそれは自主トレという事になる。でも、これではコーラス部にいた時と変わらない。いや、それよりも状況は悪いのではないか。
そして私は、ついにこの事務所に入ったことを強く後悔することになった。
天海春香とユニットを組まされることになったのだ。天海さんは、私とのユニットを喜んでいたようだが、正直私は嬉しくも何でもない。むしろ嫌で嫌でたまらなかった。
私はひそかに社長に抗議することにした。ある日私は社長を喫茶店に呼びつけた。
私は、二人分のアイスティーをテーブルの上において着席すると、早速ユニットの件を切り出した。
「社長。どうして私が天海さんとユニットを組まなければならないんですか。歌手だったら、2人よりも1人でやったほうがいいのではないですか。」
私に呼応して、社長もストレートに聞き返してくる。
「天海くんは、嫌いかね?」
「・・・・・。」
正直、嫌いだ。だけど、はっきりと断言してしまう事もはばかられた。
「・・・好きでは・・・ないです。」
社長はアイスティーに口をつけた。
「君も天海くんも、歌が好きなんだろう?だったら、そんな二人がペアを組めば、とてもいいユニットができるんじゃないのかね?」
私は直ちに反論した。
「私と天海さんでは、方向性が違いすぎます。私が目指しているのは純粋な歌手なんです。アイドルじゃない。」
社長は朗らかに笑う。
「私はそんなに違うとは思わないがね。それに、たとえ道が違っていたとしても、二人はお互いに学びあうべきものが多い。ユニットを組んで一緒にやってみれば、見えてこなかったものも見えてくるんじゃないかね。」
「・・・・・。」
社長が何を意図しているのか、私には全くわからなかった。
「如月くん、試しに天海くんとやってみてくれないかね。もしどうしてもダメだったら、その時はユニット解消を申し出てくれていいから、ね?」
懇願するように頼まれて、断るわけにはいかなかった。
それから、私たちはユニット「A.I.E.N」を組んだ。ユニットを組んだことで、ようやく私は本格的に活動を開始することができた。目指すは、デビュー曲のCD発売だ。その為に日々練習を重ねるのだが、案の定というべきか・・・、問題が生じた。
天海さんの歌唱力が低かったのだ。自分で言うのもなんだが、私の足元にも及ばないお粗末な歌唱力、これでよく本気で歌い手を目指そうと思ったな、と感じてしまうほどに酷い有様だった。
まず基本がなっていない。腹式呼吸、歌う際の目線、力の入れ方、息の吸い方・吐き方、リズム感、何もかもが素人レベル、あるいはそれ未満だった。
そして何より・・・音痴だった。
先生も少々あきれていたようだ。本当にこんなことで人様からお金を取れるような曲ができるのか、正直不安でしょうがなかった。
ある日の昼下がりのこと。私と天海さんは近くのレッスン場で、ボイトレをしていた。
「あ〜あ〜あ〜あ〜あ〜♪」
先生が、天海さんを厳しく叱責する。
「ちょっと、天海さん!全然お腹から声が出ていないじゃない!それに音程も外れてる。もう一回!」
「はい!」
もう一度天海さんは先生の指導通りに声出しをしてみるのだが、どうも音程がついてこない。
「天海さん、そこが違うんですよ。そこはシでしょ!」
「はい・・・。」
ずっとこんな調子だ。これじゃトレーニングになるはずがない。あきれ果てたのか、先生が小休止を入れた。
「ちょっと休憩にしましょうか。」
私と天海さんは、並んでレッスン室を出て、部屋の前の廊下のようなところで二人並んで長椅子に腰を据えた。
天海さんが話しかける。
「相変わらず、如月さんはすごいですね。」
「あなたは、もう少し頑張った方がいいんじゃない?」
「・・・すみません。」
苛立ちのせいで、ついつい口調がきつくなってしまう。私はハッとした。
「・・・いいのよ。」
全然よくない。けれど、仕方ないのだ。所詮歌唱力なんて、8割以上生まれつきの才能で決まってしまう。上手くない人は、どんなに努力してもプロにはなれないし、うまい人は最初からプロに行ける素質を持っている。私は後者、彼女は前者。二人の道は交わりようがない。確かに練習すれば、多少はよくなるだろう。だけど、彼女が私に追いつくなんて出来ないだろうと確信していた。
これも一時の我慢だ。社長の方針には逆らえない。だから今はとりあえず天海さんとのユニットも我慢しようと思う。でもいつか、社長もこのユニットに無理があったと気づいてくれるだろう。
天海さんがふいに尋ねてくる。
「如月さんって、何か好きなことってあります?」
とても唐突だ。
「好きなことって・・・音楽を聴くことぐらいですけど。天海さんは?」
「私は、お菓子作りが好きなんです。」
そういえば、この間も事務所に、自宅で焼いたクッキーを差し入れしていた。
「そうですか。」
「如月さん、お料理はします?」
「いいえ、特には。」
「そうですか・・・。家族で料理作ったりしないんですか?お母さんと一緒に作ったりとか。」
私は動揺して顔をしかめた。両親の話なんてしたくもない。ただ私は、あからさまに不機嫌になったのが悟られないように、作り笑いを浮かべながら適当な言い訳で取り繕った。
「うちはお惣菜が多いんですよ。両親とも共働きで時間がないんで。」
「そうなんですね。でもお料理作れるようになると楽しいですよ。好きな人にお弁当作ったりできますし。」
余計なお世話だ。私はムスッとして無言になった。
話題が途切れてしまったのを気にしてか、というより私が遮らせたのだが、天海さんが別の話題を振ってきた。
「音楽って、どんな音楽が好きなんですか。」
「クラシックです。」
「そうですか・・・。あっ、私クラシックもたまに聴きますよ!」
「へぇー、どんな曲を聴いているんですか。私、ドヴォルザークの『新世界より』が好きなんです。あの地平を開拓していくような力強さが好きなんです。」
「私は・・・そうですね・・・『第9』?・・・かな。」
天海さんの目が少し泳いだ。この子、ちゃんと『第九』の意味を知っているのかしら。
「『第九』って、何だか知ってるんですか。」
天海さんの目がまたしても泳いでいる。
「えっと・・・あれですよね。ほら、“モーツァルト”。」
「は?『第九』は、ベートーヴェンの作品ですよ。」
なにこの子・・・こんな基礎的な音楽知識すらないなんて・・・。
天海さんは、苦笑いして頭を掻いた。
「ほら、あれですよ。曲を聴けば思い出すんですけど、タイトルは知らないってやつ、よくあるじゃないですか。」
「そうですか、まあなんでもいいんですけど。」
にわか未満の知識量にがっかりした私は、すっかり天海さんの話を聞く気が失せてしまった。
「そうだ!お茶買ってきます。如月さんの分も買っておくんで。」
ばつが悪くなったのか、彼女は立ち上がると、私が飲むとも言っていないのに、勝手に自販機を探し始めた。
はあー、と私は深いため息をついた。