『ともだち』
春香はリンゴと包丁を机のまな板に置いて、純粋な目で私を見つめている。
もうこれ以上は我慢できない!言っちゃおう!もうどうなっても知ったことか!
「ねえ・・・はる・・・か。」
「何?」
私は目をつぶって、意を決して言い放った。
「春香!私と・・・『ともだち』になってください!」
静寂が場を支配する。あ・・・あれ?なんで返事がないんだ?
私は恐る恐る固くつぶった目を開いた。気づけば、春香がキョトンとした顔をしている。今日一番気が抜けたような顔をしているのだ。
「なにいっているの・・・千早ちゃん・・・。」
「えっ・・・。」
やっぱり駄目だったのか・・・。彼女と『ともだち』になるなんて。そうだよね。私たちは所詮ただの同僚で、ただのビジネスパートナー。『ともだち』になるなんてそんなの・・・。
「もう私たち、ずっと前から『ともだち』でしょ。」
「そうよね・・・・えっ!?」
も・・もう、『ともだち』になっているの?私たち?
「まさか、千早ちゃん、そんなことでやきもきしてたの?」
「えっ・・・う・・・うん。」
天海さんが大爆笑した。
「それって変だよ、千早ちゃん!」
「ど、どうして、笑うのよ。」
なんだか、顔から火が出るほど恥ずかしいではないか。
「千早ちゃん、『ともだち』って作ろうと思って作るものじゃないんだよ。気づいたらできている、それがともだちなんだよ。」
「『気づいたらできている』。」
「うん。『ともだち』ってそういうものだと思うんだ。」
そういうものなのか。私には「作ろうとして」作ったトモダチしかいない。たぶんこの子は「作ろうとして」ともだちを作ったことはないのだろう。
「そっか・・・そうだよね。」
春香が正しいような気がした。事実、私と春香は、気づいた時には、もうともだちになっていたのだ。本当のともだちは、そうやって利害打算なく、出来ていくものなのだろう。
それからしばらくが経った。春香が向いてくれたリンゴも食べ終わり、楽しく談笑をしていた。
「お茶、淹れてくるね。」
「うん。お願い。」
そういって私は席を立ってキッチンスペースへ足を運んだ。
私は今、社長の言葉を反芻していた。社長は私に言った。
『二人はお互いに学びあうべきものが多い。』
私は正直なところ、歌が下手な春香から学ぶべきことは何もないと思っていた。だけど、それはとんでもない思い違いだった。
私は春香からいくつも大切なものを学んだ。きっと、この子と一緒でなければ学ぶことができなかったであろうことを。
社長は、すべて理解していたのかもしれない。いつもはのほほんとして、頼りなさげに見えるけど、あの人、本当はすごい人なのかも。
湯呑に熱い緑茶を注いだ私は、それをお盆の上に載せて、春香のもとへと運ぼうとした。すると彼女は、すやすやと寝息を立てて、胡坐をかいたまま器用に居眠りしていたのだ。
まるで子供みたいだ。私には、そんなあどけない彼女の表情が、死んだ弟に重なって見えた。私は優しく微笑んだ。
湯呑を彼女の前に差し出し、肩をたたく。
「春香・・・起きて。」
すると、彼女が慌てて目を開いた。
「ごめん・・・寝てた。」
「今日一日疲れたもんね。」
「うん。でも、楽しかったよ。」
「私も。」
一つやり残したことを思い出した。
「そうだ。握手をしましょう。あの時、私が拒んじゃったからね。」
私は右手を差し出した。
「握手?・・・・ああ、最初に会ったときだね。」
「ええ。あの時はごめんなさい。私もつっぱてたから。」
「いいのいいの、もう過去のことなんだし。」
春香が、がっしりと私の右手をつかんで、ぶんぶん上下に振り回した。
「春香っ、痛いって。」
「うれしいんだよ!千早ちゃんと、仲よくなれて!」
私は痛みで少し苦悶の表情を浮かべていた。
「分かった、わかったって。春香・・・もう、春香ったら。ふふふっ」
春香はいつまでも、私の手を嬉しそうにぶんぶんと降って放そうとしなかった。
私にできた初めての『ともだち』は、まるで子どもみたいに愛らしい人だった。
完