『ともだち』
「天海さん、ほかの曲も歌いましょう!CDならいっぱい持ってるから!」
「うん!そうしよう!」
ギュルギュルギュル
そう言ったのも束の間、私の腹の虫が騒ぎ始めてしまった、歌うためにお腹を動かしたら、食欲の方も復活したみたいだった。私は恥ずかしくて思わず顔を逸らした。
「アハハ、腹が減っては戦はできぬってやつだね。」
天海さんが時計を一瞥する。
「もう夕飯の時間だね。ねえ、ここで料理作っていい?りんごを使ったおいしいカレーを作ろうと思うんだけど。どうかな?」
それはありがたい話だ。一人暮らしをしていても、まともに自分では料理なんてしないから、作ってくれるならこれ幸いだ。でも本当にいいのかしら、ごちそうになって。
「ありがとう・・・。でも悪いよ。わざわざ作ってもらうなんて。」
「いいのいいの、今日は千早ちゃんが元気になった記念の日なんだから。快気祝いの料理を作らせてよ。」
「そう・・・じゃあお願いしようかしら。」
「ラジャー!」
天海さんが手で敬礼して、いくつかりんごを持ってキッチンへと向かっていく。私はそんな彼女の姿を眺めながら考えていた。
天海さんと「ともだち」になりたい。ただ2人1組を作るときの数合わせとしての「トモダチ」ではなく、楽しい時も、辛い時も一緒に過ごせる、そんな「ともだち」。
5
鼻孔を刺激するスパイシーな香りが、部屋全体を包んでいる。お皿の用意が終わった私は、キッチンの鍋のところへ向かい、天海さんが煮込んでいるカレーの様子を見学することにした。
「おいしそう・・・。」
「もうすぐできるから、待っててね。」
見た目は普通のカレーだが、食べてなくても分かる。これは絶対においしい。普段の私だったらまず目にしない光景だ。
「天海さん、本当にありがとう。わざわざ夕飯まで作ってくれて。」
「いいのいいの。私がお料理得意なところを見せつけなくちゃいけないからね。」
「いったい、だれにアピールするのよ。」
私は苦笑した。
「もちろん・・・うん。まぁ、そういうこと。」
何も考えてないで返事をしたでしょ、この子。・・・・まぁ、いいか。
ますますお腹の虫が鳴ってきた。天海さん曰く、普通のカレーライスではなく、すりおろしリンゴが入ったカレーだという。そんなカレーは初めてだ。
「普通のカレーにリンゴを入れると、まろやかになって甘みが出て、カレーの味が引き立つんだよ。お母さん直伝のカレーなんだ。」
鍋をかき混ぜながら、天海さんが誇らしげに語っている。
「へぇー。天海さんのお母さん、料理が得意なのね。天海さんも上達するわけだ。」
「いやいや、うちなんて親戚がリンゴをたんまりと送ってくるから、処理に困っちゃって。それでリンゴを使った料理ばっかり上達しちゃったってわけ。」
そういって天海さんは、目線を段ボール入りのリンゴへ移した。なるほどね、家のリンゴストックを減らすという目的もあったわけね、今日の来訪は。
「天海さんが今日来たのは、私にリンゴを押し付けたかったからって訳ね。」
「ち、違うよ。千早ちゃんを励ましたかったんだよ、うん!」
「ほんとかしらー、あやしーい。」
「本当だよ。ほら、CDだって持ってきたでしょ。」
確かにそうだ。私は思わず吹き出してしまった。
「千早ちゃん?」
「何でもいいわ。だって、『楽しい』んだもの。」
「そうだね。」
天海さんも笑顔になった。
「さ、もうすぐできるよ。お皿の準備はできた?」
「見てのとおりよ。」
背の低いテーブルの上には、不揃いな食器が並んでいた。私はそれをいったん天海さんのところに運んだ。
天海さんがごはん、そしてカレーをよそい、私がテーブルまで運ぶ。サラダはリンゴサラダ。飲み物は、生のリンゴをミキサーにかけたリンゴ100%ジュースだ。天海さんのリンゴ活用術は徹底していた。
「いただきます。」
二人が唱和して、カレーにありつく。
「おいしーい。こんなの初めて。」
不思議な味だった。ベースのルウが中辛だったから、リンゴを入れたら甘口になるかと思ったのだが、予想以上に辛さを生かしているのだ。それでいて、リンゴの甘みがルウのコクを引き立てている。これはおいしい!
「でしょー。うちのお母さんをなめたらあかんよ。」
「どうして、関西弁なのよ。」
「ははは、そうだね。」
話題が途切れてしまったのか、お互い無言で黙々とカレーを食べていた。
私は自分につけられたあだ名のことを考えていた。「千早ちゃん」か。学校ではいつも「如月さん」だったから、とても新鮮で、そしてちょっとむず痒い。天海さんは、普段なんて呼ばれているんだろう。
「天海さん。」
「うん?なに?」
「天海さんは、普段学校でなんて呼ばれているの。」
「私?そうね・・・『春香』とか『はるるん』とか、かな。如月さんは?」
「私は・・・あだ名とか、そういうのは・・・。」
「そう・・・。嫌だった?『千早ちゃん』って呼んじゃったこと。」
私は必死で首を横に振った。
「そういうことじゃないの!ただちょっと・・・その・・・こそばゆくて。普段、ちゃん付けで呼ばれたこともなかったから・・・。」
天海さんは少しきょとんとしていたが、すぐに笑顔になって「じゃあ、これからは『千早ちゃん』だね。」と返してきた。
「うん。じゃあ、天海さんのことは・・・その・・・えっと・・・『は・・・はるるん・・・』」
天海さんが思わず噴き出した。
「何々どうしたの?」
私は焦って天海さんに尋ねた。何か変なことを言ってバカにでもされたのかと思った。でもそうじゃなかった。
「ごめんね千早ちゃん、『はるるん』なんて、一人か二人くらいしか呼ばれないんだ。あとはみんな『春香』とか『春香ちゃん』だよ。」
天海さんは、まだゲラゲラ笑っている。
「私をおちょくったわね、『春香』。」
「おーそれそれ、そっちのほうが自然だよ。『千早ちゃん。』」
「ふふふ、そうね。」
こんなバカみたいなやり取りをしながら、楽しい夕食が進んでいた。夕ご飯の最後は、春香がハート形に剥いてくれたリンゴだった。
「本当に器用なのね、春香って。」
「リンゴの皮むきなら任せなさい!」
「いうわねー。」
ハート形に切られたリンゴを一切れかじりついてみる。さっき食べたばっかりなのに、また食べたくなるような美味だった。
リンゴをシャクシャク言わせながら、私は春香の方を見やった。
春香は私の隣で、上機嫌でリンゴの皮をむいている。
言いたい。「友達になってください。」でも、怖くておびえている自分がいることに気付いた。
所詮、私と彼女は、職場の同僚でしかない。たまたまユニットを組んで、たまたま一緒に歌うことになった、本来ならそれだけの関係だった。なのに・・・「友達になってください。」なんて、変じゃないだろうか。
アイドルユニットなんていつ解散するかわからないのに、「ともだち」なんて。そんなの、変だよね・・・。
「千早ちゃん?どうしたの?」
春香が私の目線に気付いて、尋ねてきた。私はどぎまぎした。
「えっと・・・その・・・。」
春香から視線をそらし、落ち着きなく目をキョキョロさせていた。
「どうしたの、千早ちゃん。言いたいことがあるなら、言っていいよ。」