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光の翼

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男は窓を背に腰かけていた。
 テーブルの上には札束……いや札塊が5つ積み上げてあった。一枚一枚数えるまでもなくそれが五千万であることがわかる。
 静かに時が経つ。最新式の時計は滑らかに時を刻み、秒針の音も響かせない。
 ホテルの空調のわずかな響きだけが空気を揺らす。
 男は組み合わせた指の上に頤を乗せ、そのまま静かに時が行き過ぎていくのを待っている。目は閉じているが眠っているようには見えない。
 森田鉄雄。歳はまだ若い。三十にはならないだろう。だが、その顔は歳に似合わぬ落ち着きと何度も死線を潜り抜けてきたであろう貫録を持っていた。にもかかわらず気配に曇りはなく、てらいもない。カラッと晴れた空のような清冽さがそこにあった。
 静かにドアが開いた。
 半身を差し入れるようにして、森田の待ちわびた相手が顔を覗かせる。銀王、平井銀二だ。
「……ひとり、か」
「久しぶり。見ての通りだよ、銀さん」
「あぁ、久しぶりだな森田。ちょっとは見られる面になったじゃねーか。俺を呼び出すなんてどういう風の吹き回しだ?」
「ちょっと欲しいものがあってね」
 はは、と森田は屈託無く笑った。そんな風に笑うと、年よりもだいぶ幼く見えた。
 お互いにほんのしばらく会わなかったかのような口振りだが、その実この二人が顔を合わせたのはゆうに五年ぶりのことだ。
「俺に都合して欲しい、と? くくっ……てめぇで叩き潰しておいていい趣味をしてるじゃねーか」
 五年前、二人はいわば師弟関係にあった。銀二は裏の世界で生き抜く術を森田に教え、森田は銀二の期待以上にそれに応えた。だが、森田は悪党となるにはあまりにも純粋すぎた。結局森田はある事件をきっかけに裏の世界から足を洗ったのである。
 以来五年、二人は一度として顔を合わせていない。だが、二人の間にはまるでその五年の時間など存在していなかったかのようだった。
「あー、うん。わかってたか。一応、俺は表には出なかったつもりなんだけど」
 森田は悪戯を咎められでもしたかのようにくしゃりと照れ笑いを見せる。
「わかるさ。あれだけの博打を打っておいて抜けたことを言うな」
 銀二は愉快そうに、だが眉を顰め森田の前に腰かける。
 裏の世界で銀王と呼ばれた男、平井銀二はつい先日、何者かに手痛い煮え湯を飲まされていた。それは古くからの付き合いの悪党たちとも手を切らねばならないほどの大敗で、これまでに溜めこんだ財の何もかもを吐き出し、それでもまだ足りなかった。このままではいかな王と呼ばれた男でも再起は不可能だ。
 銀王が喫した最後の敗北。その手引きをしていたのは誰あろう森田だ。
「やっぱり、お前だったか。覚悟はしていたよ。俺の終わりは手ひどく叩き落されるか、灰になるまで勝ち続けるか二つに一つ……」
「うん、下手に手加減しちゃ勝てるものも勝てなくなるからね。徹頭徹尾潰させてもらった」
 何でもないことのように森田は応え、二人の視線が交錯する。
「もうあんたには何もないだろう? 長い時間かけて積み上げてきた、人脈、信頼、すべて吐き出してもらった。その上でこの最後の取引の場に来てもらったんだ」
「たかが五千万で俺に何をさせる気だ?」
 かつて銀王と呼ばれた闇のフィクサーが探るように森田の顔を見つめる。
「……言っただろ、あるものを買おうと思って」
 森田は五千万の山をずい、と銀王に差し出す。
「ある人が俺に教えてくれた。五千万は人生を買える金。俺はあんたの人生を買いたい」
 銀二は一瞬だけ山に視線を落とし、くくく、と喉の奥で笑った。
「一本いいか」
「あぁ、どうぞ」
 銀二が咥えた煙草に、森田は慣れた手つきでライターを差し出す。
 銀二は深く煙を吸い込むと、その先端を札束に押し付けた。じゅう、と焦げ臭い匂いが立つ。
「これを手に俺が再起することなどありえないと踏んだか?」
「いいえ」
 用意した札束を焦がされたというのに、意にも介さず森田は口の端を上げた。
「今はわかります。たかが五千万。これだけでもあんたに預ければすぐに十倍二十倍に膨らむ。それは疑っちゃいない。だけど、俺はあんたにそれをさせないために呼び出したんだ」
「ほう?」
 森田はゆっくりと自分の拳を自分で握る。まるでそれは今にも暴れ出しそうな自分を抑える仕草に似ていた。
「あんたには、このまま眠ってもらいたい。もう裏の稼業には手を出さず、安穏と老後ってやつを送って欲しいんだ。それがこの金を渡す条件。五千万あれば……つつましく暮らせば十年はいけるだろ?」
「ほぉ……」
 銀二は息をするように相槌を打った。
「断る、と言ったら……」
「あぁ、それはまいったな。単純に断られるってのは考えてなかった……」
 森田は心底困ったと言いたそうに、後ろに髪を撫でつけてくくった頭を掻き毟った。
「……どう考えても足りねーだろ。俺を括り付けておくには、桁が二つ三つ足りねーよ。安く見られたもんだ」
 愉快そうに銀二が言う。
「安く見たわけじゃない。……これは、手付っていうか……その……足りないって言うなら、その都度出すさ。そのぐらいは、当然だ。だけど、まずは――」
「五千万、か……」
 くくくっと喉の奥で銀二は笑う。笑う銀二に森田はほっとした顔を見せた。森田が伝えたかったことは銀二に間違いなく伝わったのだろう。
 五千万、という金額には二人にしか通じない意味がある。
 だが、銀二は首を縦に振りはしなかった。
「いくら積まれても足りねーな。金なんかじゃ俺はやれない」
「……だよね。じゃあ、何を用意すれば……あんたは俺のモノになる?」
 銀王を貫く森田の目は、何の駆け引きも持たないまっすぐなものだった。
 何も持たず、何にも依らず、ただ平野に独り立つような純粋な眼差し。この男は勁い。何も持たないがゆえに勁い。
 銀王から離れ、裏の世界を見切り、違う方法で身を興した。だが、築き上げたそれらの財すら、簡単に手放すことができる。なにも掴まぬ手は、新たな財を掴むことも、握りしめて拳とすることも自在だ。
「そうさな……お前の命、とでも言ったらどうする?」
 銀二はぐっと背中をそらし、見下すように冷たい目で森田を見た。
 森田は緩く微笑んだ。
「そんなものでよければ、とっくに」
 森田は握りしめていた手を開くと、その片方を自身の胸の上に押し当てた。
「そもそも命ってなんでしょうね? 脳に血が回らなければ脳死で、心臓が止まれば死? 心臓が血を吐き出し、肺腑が呼吸を重ねる、それこそが命だというなら、あんたを思うたびに勝手に跳ねる心臓も、あんたを見ていると苦しくなる呼吸も、とっくにあんたに支配されている。俺の心も命もあんたが喰らいつくした。ほら、求めたりしなくても俺の命はあんたのもんだ」
 森田は柔らかい笑みを浮かべたまま、自身のスーツを握りしめる。それはまるで自分の心臓を絞るかのような動きだった。
「もうあんたがいるから、俺に牙はいらない。だから、俺は必死に爪を磨いたよ。引き裂くことも握り潰すこともできるけど、けして血の味は覚えないように。いつかあんたを掴んで飛び去る、そのために」
 銀二はソファに全身を預けるようにして天井を仰ぐ。
「……まいった」
作品名:光の翼 作家名:千夏