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温かい手のひら

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涯は気が付いていた。
 触れようとしてひっこめられた指先。もしこれが医者のモノであるならば、そんな動きはあり得ない。もっと事務的、かつ機械的に容体を確認し、記録を取るだろう。
 故に、この気配は医療関係者のそれではない。
「うぉっ……!?」
 床に就いたまま目を見開いた涯に、額へと触れるか触れまいか迷っていた池田はあられもなく声を上げた。
「お前、ビビるだろ……そんな急に目を……って、え……? お前、意識! 意識戻ったのか!? 看護婦さん、看護婦さーん!!」
 慌てて廊下にまろび出て、大声で看護師を呼んだ池田は盛大に叱られることになった。
「……御用があるときは、ナースコールにしてくださいね。他の病室には絶対安静の患者さんもいらっしゃるんですから」
「はい、わかりました。ご迷惑をおかけして本当にすみませんでした」
 可愛らしい女性看護師に叱られて、池田は鼻の下を伸ばしている。
 この分ではまた話は左から右に抜けているだろう。
 涯は池田の腑抜けた顔を眺めているのも、下からだとよくわかる案外ボリュームのある女性看護師の胸を見るのも気がひけて、口出しはせずに再び目を閉じた。
 意識が戻ったも何も輸血を受けてすぐに涯は気が付いたのだ。もっとも逃亡生活で身体は衰弱しているし、念のためということで入院させられてはいるが、手首の傷以外大した外傷はない。
 そのことは見舞いに来た池田にも説明されているはずなのだが、涯が更生施設とは名ばかりの人間学園から保護されたこと、そして一時期は意識不明の重体だったことを聞いたせいで、他の話はすっかり頭からすっぽ抜けてしまったのだろう。
 だから、制限ばかりの病院生活が退屈でまどろんでいた涯に対し、意識を失っている、しかも意識が戻らないかもしれない、などという勘違いを起こし悲劇的な感傷に浸っていたのだ。
 女性看護師がひとしきり池田への注意を終えて「工藤君、あんまり寝てると夜に寝られなくなっちゃうわよ」などと、涯にも声をかけてから立ち去った。池田はぽーっと彼女の尻を目で追い「あの子可愛いな」などと呟く。叱られて喜んでいるようでは、さぞかし女性看護師も叱りがいがないことだろう。
「……起こしてくれてよかったのに」
 もし池田が泣いてすがるなり、単純にためらわずに触れていれば、これほどの騒動にはならなかっただろう。いくら誤解からと言っても池田は騒ぎ過ぎた。
「だって、お前……意識ないかもって……思ってたから……」
 池田は恥ずかしさをごまかすためか顔を思い切りしかめて、それから涯の頭に手を置いた。
「なんですか。やめてください」
 子供にするような仕草にわずらわしさを覚え、涯が頭をずらそうとすると、ぽつりと池田が言った。
「……俺が悪かったよ」
「……は?」
 何を言われているのか理解しかねて、涯は聞き返した。池田に謝罪された? いったい何の謝罪を?
 わけもわからず見上げていると、病室ではタバコが吸えないからか、手持ち無沙汰そうに池田は口元へ手を当てた。
「犬猫だって、いったん拾ったもんをおっぽり出そうなんてひどい話じゃねえか……それを、身元引受人になるとまで言ったガキを、出て行けってだけで放置しちまうなんて……俺が……悪かった」
 涯はぽかんと、池田のしかめられた顔を見上げる。
「もっとちゃんと先のことも示してやってりゃ……俺が、肚を早く決めてりゃ……お前があんな事件に巻き込まれることはなかったのに……」
 驚いたことに池田は、涯が冤罪に巻き込まれたことに自責の念を覚えているらしい。
「……おい、待て。俺が平田の件に巻き込まれたのは……いわば俺の自業自得……! 目先の金に惑わされ、浮足立った……あんたは関係ねーだろ……」
 池田の顔を見ていられず涯は目をそらした。
「俺は自分に依って生きる……その自由こそを求めている……あんたにはちゃんと話したはずだぜ……だから同情も理解もいらない、とな……」
「それでも……」
 ぐいっと力強く頭を掴まれ池田の方を向かされる。
「……おいっ」
 思わず振り払おうとした涯の頭を、池田はぐしゃぐしゃと撫でた。手のひらはひどく温かだった。
「生きてて……無事で、よかったなぁ……俺はもっとちゃんと早く、お前に言ってやるべきだったんだ……俺んとこに来い、一緒に暮らそう……ってな。けど、やっと決心がついたときには……お前、捕まっちまって……」
 池田は、笑いながら泣いていた。
「……なんで、あんた泣いてるんですか?」
「……へ? あ、本当だ」
 どうやら自覚していなかったらしい。池田は懐からハンカチを取り出すと、サングラスを少し上げ、涙をぬぐった。池田の手のひらは当然涯の頭を離れ、失った温もりが気になる。
 涯は思いがけない状況に面食らったまま、幾度か瞬きをした。
「……誰かに庇護されるつもりはないぜ。池田さん、あんたにでもです。俺は俺の自由を求める、俺は……あんたがくれた自由こそが嬉しかった。生活を他人に任せるなど、まっぴらですよ」
 涯はどうしても自分を曲げられず、自身に言い聞かせるように言葉を絞り出す。
 池田は鼻をこすると、へっと笑った。
「と言っても中学生じゃ働き口も住む場所も見つからねーだろ? 先行投資ってやつだ。気にするな。気になるってんなら……そうだな、掃除や洗濯、飯の支度をしてくれればいい。あとは仕事の手伝いとか」
「……それは」
 正直を言えば願ってもない話だ。だが、池田は涯のせいで怪我を負い、仕事でもかなりの損をしたはずだ。それなのになぜそこまでしてくれようというのか。
「あんた、なんで……」
「そんなの、わかんねえよ。でも、お前が戻ってきたら、そう誘おうって思ってたんだ」
 池田はハンカチをポケットに押し込むと、再び涯の頭を撫でた。今度は涯も振り払う気にはならなかった。
「あのよ、そうやって肩肘張って生きてくのもいいさ。だけど、人間てのはやっぱり、一人じゃ生きていけねーんだ。お前はさっき、自分に依って生きたいって言ってたけどよ、輸血受けたんだろ……つまり、お前は他人の善意に依って生かされてるわけだ。献血なんていうのは他人の善意の最もたるものだからな」
「う……なるほど」
 涯は池田の言葉を素直に受け止めた。言われてみればその通りだ。返すこともできない、顔も知らない誰かの善意が、今の涯を生かしている。それはどう考えてもまぎれもない事実だ。
 池田は涯を論破できそうだと踏んだのか、にやりと口の端を上げた。だがサングラス越しの視線に悪意はない。
「人と人の間に生きてるから人間で、間のない奴を間抜けっていうんだぜ。間抜けにゃなりたくないだろう?」
 涯は池田を眺める。打算を通してしか付き合いのない男だったはずだ。だが、池田の顔からは裏が読み取れなかった。
「別に何か恩に着ろって話じゃねえよ。どうしても気になるっていうんなら、恩義を感じてくれても構わねえけどな」
 他人の頭を撫でるなんていう行為に馴染がないのか、池田の仕草はどことなく不器用だった。
 涯は思い出した。文句を言い呆れながらもぼろ家の修繕を手伝ってくれた手だ。
 この手は信じてもいいのかもしれない。
「……よろしくお願いします」
作品名:温かい手のひら 作家名:千夏