惹きつけられた業火
改めて和也はそこからかよ、と呆れることになった。
「そういうことで頼れそうな人って言ったら、遠藤さんぐらいしか思いつかないんだけど、あの人には一回えらいこと出し抜かれてるしな……」
「あんた……」
もとはと言えば17歩に巻き込まれたのも、その遠藤とかいう奴のせいなのに、この期に及んでまだ頼ろうと考えてるなんてどれだけ甘いんだ。
……だが、これが伊藤開司という男なのだ。
「和也、お前思いつかない? この金増やす方法」
「あんた、それを俺に聞くのかよ……」
まして、自分はあんたが陥れようとしている兵藤和尊の息子だぜ? 和也はもう何をどういって呆れていいのかもわからなくなって深々と溜息をついた。
「そうだ! 投資だよ!」
カイジはぴょんと跳ね起きると、和也に這い寄ってきた。
「な、何……」
何故そんなにキラキラした目で見られているのかわからなくて、引き気味に和也は聞く。
「俺、お前に投資する!」
「……は?」
ますます持って意味が分からない。
「だからさ、お前、小説とか書いてるし頭いいだろ? それに引きかえ俺は高卒だし……だから、お前に投資して、そんで将来的に回収……みたいな!」
「はぁああああああ!?」
今度こそ和也は大きな声で聞き返した。
「あんたな……元はといえば、これ俺の金だぜ。しかも、どこに出したって問題のないクリーンな金で、公的には誰のモノだって証拠もない。それを俺に預けるだ? おかしいんじゃねえの? 普通だったら持ち逃げするよ、そのまま。それに投資ってなんだよ」
「あぁ、そうか……だってさ、お前普通じゃないし」
しょんぼりしつつも自説を曲げられずに、もじもじしながら見上げる仕草はどうしたって子供のようだ。
「しかも、あんたが倒そうっていうのは俺の親父だよ? 俺は黙ってたって時期が来ればその地盤を引き継げるってのにあんたに協力すると思う?」
言いながら和也は、それは嘘だな、と冷静に分析していた。父親の地位を狙っている輩はいくらもいる。No2、と称されている黒崎だってそうだ。腹心の部下みたいな顔をしていたって、機会さえあれば父親自身を引き摺り下ろそうと皆虎視眈々としている。
ただでさえ2代目、しかも父ほどの異才の持ち主ではないと看破されているだろう自分が、すんなり地盤を引き継げるわけがない。だからこその自由だ。そうでもなければ小説を書いたり、無為な自分プロデュースの遊戯を認めてもらえているわけがない。
和也のレールの先に立てられている城には大人しく傀儡となるか、あるいは追い落とされるか、二つのゴールが待ち受けているのだろう。
和也が不幸なのは、自分に敷かれたレールに気づいてしまう程度には賢かったことだ。これがもっと愚かなら、何一つ気づかずに周囲に敷かれるままにレールの上を走り続けられただろうに。
自分で自分の無力さを認め、かつ無力ではないと主張しなければならない矛盾に、和也は唇を歪めた。
やはりこの男は大嫌いだ。自分が一番望まない部分を無遠慮に抉りこんでくる。あぁ、殺してやりたい。できることなら、素手で力任せに引き裂いてやりたい。
カイジは殺意には全く気が付く様子もなく、機嫌を伺うようにちらちらと和也に視線を送ってくる。
「お前はさ、お前の親父より……普通じゃないよ。普通は悪いやつってまずはずるい算段から考えるじゃん。お前はそこがピュアっていうか……嫌な奴で悪趣味だけど、なんて言うか、フェア……まっすぐだ……だから信じられると……思うんだけど、ダメ?」
あまりにもあからさますぎるご機嫌取りに、和也はすっかり毒気を抜かれてしまう。
しかもカイジのたちが悪いことには、おそらく言葉そのものには全く何のおべんちゃらもないのだ。カイジが恐れているのは、それを言ったら和也の機嫌を損ねるのではないか、というただその一点だけ。正直で空気を読めない自分の発言は自覚していて、また余計なことを言って怒らせるんじゃないかと心配しているに過ぎない。カイジは本気で和也のことを信じるに足る相手だと考えている。
「ちぇ、駄目か。お前に預けといて……時々利息? みたいなのもらえりゃ安泰だと思ったんだけどな……でもそうか、お前は兵藤の息子なんだもんな……」
まだカイジはあきらめがつかないらしく、ひとりぶつぶつと言っている。
「俺が親父より普通じゃない……だって? かかか、初めて言われたよ、そんなこと!」
和也は吹き出した。カイジの発想はどこまでもクズだったが、ひどく愉快な気分だった。
「あぁ、いいぜ。『あんたの金』預かってやるよ。時々利息が出るくらいには運用してやるから安心しな」
「そ、そうか!? 本当か?」
カイジの側にはどこにも何一つ安心できる要素などないだろうに、カイジは嬉しそうに目を輝かせている。
あーあ、と和也は思った。これが、理由か。
遠藤は、カイジが地下に逆戻りするぐらいすべての金をかっさらうこともできたはずだ。にもかかわらず、カイジが地上に戻り、かつ仲間との約束を守れる程度の金も残していった。それはカイジのこの目にやられてしまったからだろう。そしてもしカイジだけが助かる程度の金額しか残していかなかったとしたら、カイジがそれで良しとはしなかっただろうことも見越していたに違いない。
あぁ……あんたの気持ち、多分この世で一番理解してるのは俺だろうぜ、遠藤さん。
「親父を引っ張り出して、破滅させる……ね。面白いよ、カイジ。それすごく面白い。かかかかかっ」
「協力してくれるか!」
笑いが止まらない。誰よりも多分、カイジを殺したいと望んでいるのは自分だろうに、そのカイジと手を組んで自分の父親を倒そうという遊戯は何と甘美に誘うことか。
狂っている、倒錯している。だけど、ずっと望んでいたのはこの状況だったのかもしれない。
「よっしゃ、一口乗った。この船が泥船だったとしても面白いね。そう言うのは嫌いじゃない。沈む時も笑いながら沈んでいけそうだ」
「やめろよ、縁起でもねえ。最初から沈むとかいうな」
カイジが不服そうに唇を尖らせる。
「そうさな、この金をただ増やし……親父に対抗するつもりなら、人手がいるか」
帝愛内にも、失脚した人間の中にも、兵藤和尊の失脚を望むものはいくらでもいるだろう。この金を、あの怪物に対抗しうるほど増やすというのなら……人間が必要だ。
「ん……待てよ?」
和也は考えを巡らせて、一つの結論にたどり着いた。
……どうせなら、それらの人間はカイジに関わった者たちがいい。彼らはきっと誰よりも帝愛のやり口を熟知している。カイジのことも憎いが、帝愛のことも憎んでいるはずだ。そして……きっとそいつらは自分と同じようにカイジの狂気に焼かれている。どう転んでも面白い図を描いてくれるだろう。
「なぁ、カイジ。ものは一つ提案なんだけどさ……」
「ん? なんだ?」
「懐かしい人たちに、会いたくない……?」
そして和也はこの計画の協力者として誘う人間たちの名前を上げていった……――。