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お醤油を買いに

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その日、カイジは肉じゃがを作っていた。
 芋も人参も柔らかく煮え、あとは醤油を落とすばかり……というところで、醤油ボトルを手にしカイジは固まった。
「いけね、醤油切らしてる」
 毎日料理をするというわけでもなく、作りだめの利くものをたまに作り、基本は外食、そんな生活をしているものだから、醤油を切らしているのをうっかり失念していた。
 鍋は目の前でぐつぐつと煮立っている。
「まいったな……」
 とりあえず火を止め、この日二度目の買い物に出かけようと靴をつっかけて玄関を出た。その時、ちょうどこちらも玄関を出たばかりの隣人と行きあった。
 隣人は真っ白な頭をしていたが、ほとんど同じくらいの歳に見えた。隣人は確か赤木といった。表札も一応出ている。
 一瞬、スーパーまで買い物に行くのが面倒だという思いがよぎったカイジは、思い切って赤木に声をかけた。
「あ、あの……醤油、貸してもらえませんか?」
「は?」
 唐突に声を掛けられた隣人は、煙草を咥えたままわけがわからない、という顔をしている。
「醤油なんか何に使うの?」
「今、肉じゃが作ってたんすけど、醤油切らしてるの忘れてて……」
 たはは、と頭を掻くと、アカギは無言のまま煙草を吸い、煙を吐き出した。
「悪いけど、うちにはないな」
「そうすか……」
 じゃあ、やっぱり買いに行かなきゃな、と肩を落としたカイジは「あの、急にすんませんでした……」などと口の中でもごもご言って、アカギの横をすり抜けようとした。
「自分で料理すんの?」
 アカギから話しかけられた、と気が付いてカイジはのろのろと振り返った。
「え? あ、まぁ……外食ばっかじゃ金かかるし」
 目を逸らしてカイジが答えると、アカギは少し考えて、煙草の灰を落とすと言った。
「腹減ってんだ、飯食わせてよ」
「は?」
 今度はカイジがきょとんとする番だった。
「た、他人に食わせるようなものじゃ……」
 及び腰になるカイジにアカギは言った。
「金なら払うからさ」
「……金をとるほどのもんでもねえ」
 金を払うとまでいうということは、どうやら本気らしい。金を払うなら、普通に外食すればいいじゃねーか、とは思うがひょっとしたら田舎から出てきたばかりで、家庭の味が恋しいのかなと思いなおした。
 自分も独り暮らしを始めたばかりの時はそんな気分になったこともある。もっとも他人に飯を食わせてもらおうなんて思いもよらなかったが。
「……別にかまわねーけど」
「じゃあ醤油? 買ってやるよ」
 どうやら隣人はカイジと一緒に出掛けるつもりらしい。おかしな道連れができたな、とカイジはぼりぼりと頭を掻いた。


 隣人と言ったって、そう顔を合わせることなんてない現代。ご多分に漏れず、カイジとアカギが会ったのはこの時が初めてだった。
 スーパーまでの道で軽い自己紹介をし、お互いにプータローというか、フリーターみたいなものであることが分かり、一気に親近感が湧いた。
「カイジさん、醤油ってこれでいいのかい?」
 スーパーでアカギが何気なく手にしたのは、なんとか木樽作りとかいうやたらに高い奴だった。量は量販品の半分もないのに、値段だけは三倍もする。
「なんでわざわざそんな高いの選ぶんだよ。こっちの特売ので充分だ、充分」
「選ぶったって目についただけさ。スーパーってのはいろいろ売ってんだな」
 アカギは感心したようなことを言っている。店内に入るときに煙草を吸おうとしていたところを見ると、スーパーに来たこと自体があまりないらしい。
「……お前、今までどうやって生きてきたんだ?」
「別に……普通だよ。こんなとこで買い物なんてしなくても生きていけるでしょ」
「いやいやいや……」
 よっぽど金があるのか、それとも他人に食わせてもらうのが当たり前だったのか、不思議な奴だな、とカイジは思った。アカギの見てくれはちょっとないぐらいにいい男なんだから、今まではヒモだったとかなのかもしれない。全くもってうらやましい話だ。
「くそっ……」
 なんとなく面白くなくて、カイジは特売の醤油をスーパーのカゴに放り込んだ。
「あぁ、ここ酒も売ってるのか。せっかくだし、酒も買っていこうぜ」
「そんな金ねえよ……!」
 カイジが眉を顰めると、アカギは裸の万札を何枚か突き出してきた。
「これじゃ足りない?」
「……お前、どんだけ飲む気なの?」
 カイジは一枚だけぴっと抜き取って、ビールを冷やしている冷蔵庫へと移動した。


 そんなことがあって、急激にカイジとアカギは親しくなった。
 親しくなったというか、アカギが強引にカイジの家に押しかけてきて飯をたかっていく。酒だの材料だのを持ってくれるから文句はないが、アカギは毎日来るというわけでもなく、そこだけが始末に悪い。
 だからと言って約束をするわけでもないのだから、カイジの方だってアカギの分まで用意してやる義理はないのだが、それでも「俺の分は?」などと聞かれると、用意しないのも悪い気がして、カイジは毎日のようにアカギの分まで食事の支度をするようになった。
 たまに用意していない時は、アカギの方で飯を奢ってくれたりもする。
 しばらく一緒に食事をするようになって知ったのだが、アカギの仕事は代打ちなのだという。つまりヤクザなのかと聞けば本人は否定したが、ヤクザ関係の仕事であるのに間違いはないだろう。
 遠隔地での仕事になれば何日か帰らないこともある。そういう時は泊りがけの長丁場なのだ、と聞けばなるほど何日か姿を消すのも納得がいった。
「お前な、そういう時はちゃんと言っていけよ」
 今日のオカズの豚キムチを口に頬張りながらカイジは言う。見切り品のキムチなのですっぱめなのがこだわりのポイントだ。
「なんで?」
「なんでって……お前が飯食いに来ないとおかずが余るし、次の日も同じもの食う羽目になるだろうが。それに飯炊いたり、買い物の計画とかもあるんだよ」
 むっしむっしと炊き立てのご飯を口の中に放り込みながらしゃべるものだから、米粒が飛んだ。アカギは嫌そうな顔もせずに、カイジに台布巾を渡す。
「口からボロボロ零れてる」
「あ、悪い」
 カイジは手の甲で口元を拭って、テーブルを渡された布巾で拭いた。
「飯炊く量間違うと、しばらく保温した飯食うことになってまずいんだよ」
「少なめに炊きなよ。オレ、飯は炊き立てがいい」
「お前ってホントにわがままな」
 アカギはどちらかというと歳の割に小食の部類に入るが、食べる量がばらついている。それもカイジの悩みの種だった。
 どうやら食べない時はしばらく食べなくても生きていける、という種類の人間らしい。だから、飯が気に食わないとなると極端に食べないのだ。かと思えば、気に入るとカイジの分も考えずに食べてしまうこともある。
 そんなことで頭を悩ませるなんて、俺はこいつのお母さんか、とは思わなくもないけれど、それでもたくさん食べてくれれば嬉しいし、食べる量が少なければ何が理由だろうと考えてしまったりもする。
「……あと、もうお前と一緒に飯食うのに慣れちまったのに寂しいだろうが」
作品名:お醤油を買いに 作家名:千夏