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DEFORMER 9 ――オモイコミ編

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DEFORMER 9 ――オモイコミ編


「気分はどーお?」
 びくり、と背筋が震える。
 上方から降ってきた声は、身震いするほど冷え切っている。
「やってくれたわねぇ、アーチャー」
(ヒッ!)
 その顔を見上げて悲鳴を上げそうになった。
 だが、なぜだ?
 私は、彼女を――遠坂凛を見上げている。
 座に戻っていない?
 それにここは、衛宮邸の居間?
 不可思議だと思いながら、何度首を巡らせても、確かに凛を見上げている。
 なぜ、私より背の低い凛を見上げているのか?
「あんたがおぞましいって言うから、移してやったわよ」
(なに?)
 移す?
 どういうことだ?
「その姿で、士郎の想いをちょっとは噛みしめなさい」
 凛が手鏡を私に向ける。
(な……)
 先ほどから、声を出しているつもりだが、いっこうに言葉は出ていない。
 かふ、とか、わふ、とか、意味の分からない音が鳴っている。
 そして、その手鏡に映る自身の姿に、その音が鳴ることに納得がいく。
「ちょうどよかったわー。知り合いが旅行だって言うから、犬を預かっていて。もうお年寄りだから散歩にも出られないらしいし、よかったわねー、士郎にたくさんお世話してもらいなさぁい」
(なッ、待てっ! どういうことだ! なぜ、私が!)
 凛に文句を言おうにも、がふ、がふ、と、おかしな音が鳴るだけだ。
「身体に引きずられているですって? あんた、あの調書、読んでないの? あんたが気にしているトーリって魔術師は、頭から脊髄を使われたのよ。心臓は別個体。士郎を見て鼓動を跳ねさせていたのは、あんた自身よ!」
(それ……は……)
 だが、フォルマンがトーリと呼べば、私の鼓動は……。
「あの変態を見て心臓が暴れた? それこそ勘違いよ! ぼんやりした奴が、急に笑ったり言葉みたいなものを発したら誰だって驚くでしょ! それに、気持ちが肉体に引きずられているって固定観念でガチガチのあんたに、冷静な判断ができたのかしら?
 無理よねえ? あんたは、頭っから、自分の感情じゃないって、思い込んでいるんだもの。フォルマンが瞬きしただけでも、何かしらの理由を付けたでしょうよ!」
 驚き?
 思い込み?
 私が驚いたために、動悸が激しくなったというのか?
 思い込みで、勘違いだと結論を出したというのか?
「あんたの持論だと、肉体の感情が優先されるってことよね? だったら、あの肉体の持ち主たちは、少なからずあの変態に恨みを持ってる。近づけば肉体が何かしらの反応をするかもしれないわね」
 恨み……。
 確かに私も切り刻んでやると……。
 凛を見上げると、勝ち誇ったような不遜な笑顔を湛えている。
「その、ままならない身体で、士郎をきちんと見ておきなさい。あんたを失った士郎が、どうやって立ち直るのか。誰かの支えに頼るのかもしれないわねー、柳洞くんとか、慎二とかに」
 ざわり、と毛が逆立つ。
「あら、怒ってるの? そんな資格、ないわよね、アーチャー? あんたは、士郎を捨てたのよ」
 捨てた?
 そんな馬鹿なことがあるか、私は捨ててなど……。
「恋人だとか、傍にいるとか、ほんっと、口先だけよね。士郎がどんな気持ちであんたの言葉を優先したか、じっくり考えてみなさい。まあ、わかったところで、そこから出るのは至難の業かもしれないけれど。でも、どのみち、魔力が切れて座に戻ることを狙っていたんだろうし、そのまま消えても何も問題はないわよ。士郎にはむしろ、いいことかもしれないわ。あんたみたいな朴念仁に士郎を任せておくのはちょっと不安だし」
 ぐるる、と喉が鳴る。
「威嚇したって無駄よ。それじゃ、詠唱もできない。投影もできない。魔力も微々たるものだし、その姿だから現界を保っていると言っても過言じゃないわ。無茶をすれば、即、魔力切れよ。まあ、死に物狂いになるほどあんたが必死になれば、そこから抜け出せるかもしれないわね」
(死に物狂い……)
「強い想いでなら抜け出すことは可能かもしれない。だけど、士郎への気持ちはあんたのものじゃないんでしょ? そんなあんたじゃ、絶対に無理ね」
(この、あくま……)
 凛は冷たく笑って居間を出ていった。
 シンと静まり返った居間に人の気配はない。
 ぐるり、と部屋を見渡し、時計を見れば、午後三時。
(何を言っているのか、凛は……)
 衛宮士郎の想いを、気持ちを、考えろ、だと?
 そんなもの、わかりきっている。奴も勘違いだと気づいたのだろう。
 エミヤシロウが熱しやすく冷めやすい、という性質だったかどうか覚えはないが、この世界の衛宮士郎は、そうなのかもしれない。
(今さら……)
 障子に隠れて私を窺っていたにもかかわらず、声すらかけず、私を心配もせず……。
 ハタと気づく。
(心配されたかったというのだろうか……?)
 私は、衛宮士郎に気にかけてもらいたかったのか?
 この感情は、私のものではなく、あのトーリの……。
 立っているのが辛くなり、ぺたりと畳の上に伏せった。
(よりにもよって、なぜに老犬なのか……)
 歩くこともおぼつかない。
 先ほど凛が映した鏡の中の黒い老犬が、今の私の身体とは……。
 情けない限りだ……。
(こんな身体で、何をしろと?)
 ふすー、と鼻息を吐いて、老犬の身体につられ、重い瞼を下ろした。


 “士郎の想いを噛みしめなさい”と、昨日、凛は私を見下ろして、恐ろしい笑顔を見せていた。
 確かに私は勝手をしたと思う。衛宮士郎のことを傷つけたと思う。
 だが、衛宮士郎を想う気持ち自体が私のものではないというのに、衛宮士郎と一緒にいるわけにはいかないだろう。
 さっさと座に還らせてほしいものだ。こんな犬の、しかも老犬などに、なぜ私が押し込められなければならないのか。
(歩くことすらおぼつかないではないか……)
 衛宮士郎の想いを噛みしめろなどと、凛は何を言っているのか。
 衛宮士郎とて了承している。
 怒ることもなく、悲しむこともなく、衛宮士郎は受け入れたのだぞ、私の存在などその程度、ということだろう。
(む……、私は何を不貞腐れているのか……)
 衛宮士郎に泣いて縋ってほしかったとでもいうのか?
 どうしてだ、と怒ってほしかったのか?
 あの時のようにまた、肉塊に押し込められていたとしても、私の想いだとでも言ってほしかったのか?
 それがなんになるというのか。
 私自身が不確かな想いであると認めたのだ。
 それを、衛宮士郎にとやかく言われて、何が変わるわけでもない。衛宮士郎には関係のないことなのだ。
 いくら恋人になったと言っても、好きだと思った気持ちが偽物だった、ああ、いや、偽物ではないが、私のものではなかったのだから、その件は白紙に戻すべきだ。
 ただ私は、衛宮士郎との契約を切ろうとは考えなかった。契約解除をしてくれと頼むことはできたはずだが、どうしてもその一言は出なかった。
 衛宮士郎と向き合うと胸が高鳴る。それに、契約解除など訴えれば、衛宮士郎は傷つくはずだ。
(いや……、私は何を……)
 傷つく、とは、なんだ。女の身体になったからといって、アレがエミヤシロウであることに変わりはないはずだというのに、私は何を気遣って……。
(衛宮士郎の想い、か……)