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村上と一条の話

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 突発的に何でそんな行動に出たのかは、俺にもよくわからない。
 だけど、同じ会社に入ったことだし、一条さんと一緒に働ければいいな、ぐらいのことは思っていた。
 当初俺が配属されたのはグループを総括する、企業総括部。大卒で将来を嘱望されているエリート幹部候補生の扱いだ。ただし表側の。
 帝愛グループの会長たる兵藤和尊は世間的には好々爺であり、温厚篤実な人格者である。事業で得た収益は社会に還元し、企業が持つ社会的責任に対して一家言を持つ、そんな企業家だ。
 故に就職に対しても大きく門戸を開き、昨今多くなった大卒以上という資格はけして必要条件ではなく、基本的にはどのような学歴であろうとも能力が重視される。
 だが、表側に配属された人間でもいくばくかの注意深さがあれば、それが完全に表向きに作られたものであり、実情について感知することは可能だ。
 そして、このグループで真の意味での出世を望むなら、裏から回った方が早い。
 能力と実力を重視する。すなわちそれは汚れ仕事を厭わず担うこと。と言っても汚れすぎては意味がない。法の目に引っかからないようにうまく立ち回る機転がある、と認められるのが出世の絶対条件だ。
 幸いにして俺は早々に自らのレールをそちらのルートへ切り替えることができた。
 出向という扱いで新しくできる小さなアミューズメントグループ、つまり裏カジノへの配属が決まった。
 何も知らない同期たちは小さなゲームセンターに勤めることになったと聞いて俺を憐れんでくれたが、どうせ自分じゃなくてよかったと胸を撫で下ろしていることだろう。
 とんだ見込み違いだ。正しい道はこちらなのに。
 なんのことはない、同期はもちろん、上司も部下も、出世のためには弾くべき駒に過ぎない。
 俺は彼らを出し抜いたのだ。
 現状は平社員だが、上手くすればここから出世の道が開ける。
 意気揚々と扉を開けた俺の前に立っていたのは……一条さんだった。
「え?」
 思わず声が出た。まさか、本当に同じ職場で働けるなんて。
 ところが、一条さんの方は俺のことなんて覚えていなかったみたいで、「どうかしましたか?」と、おかしな声を上げた俺に不審げな目を向けるだけだった。
 当初の役職は、同じアミューズメント業であるパチンコ店のチーフスタッフをしていた一条さんがセクションリーダーで、俺は平社員。
 俺は新卒だったから、初めから一条さんには水を開けられていた形だ。
 もっともこれは経験の差があるから致し方ない。それでも能力に差がなければ、というか、一条さんほど図抜けた能力のある人が相手じゃなければ二、三年で立場は逆転していたはずだ。
 パチンコ店から裏カジノに移った彼は瞬く間にその才能を……色んな意味での才能を開花させていった。
 最初に着手したのは、経験があるということで自分が担当したパチンコ部門の改革だ。派手な演出のある目玉となる台を導入する。特別感を盛り上げるために換金率を高く、周囲からも注目を浴びるような位置に設置、等々。
 これらの戦略の裏にはもうひとつ戦略があった。
 一条さんの店からはもう一人、一条さんの上司だった奴も店長として出向してきていた。
 これが一条さんに苦渋を舐めさせていた原因の一つだ。
 そいつは前の店での慣習……一条さんをうっぷん晴らしの対象とすることで現場の不満を反らそうとする手をここでも使おうとしていた。
 そして、後に沼と呼ばれる一条さん発案の目玉となるパチンコ台を、あたかも自分の発案であるかのようにして、一条さんの手柄を奪おうとしていたのだ。
 しかも、特殊台を発注するためには業者の協力も必要だ。そこに発生するリベートを懐にするつもりで……一条さんの罠にまんまと引っかかった。
 グループに不利益をもたらそうとした、と見なされたそいつは簡単に首を飛ばされ――無論その他の面においてもろくな上司じゃなかったから――俺たちは快哉を叫んだ。その中に、それが一条さんの罠だと気が付いていた奴がどれだけいただろうか。
 多分黒崎様も一条さんが仕掛けた罠に気が付いていたひとりなのだろう。
 一条さんはそれで黒崎様に見いだされ、重用されるようになった。
 若くして幹部に目を掛けてもらえるようになった一条さんに対し、お小姓になぞらえて寵愛を受けている、などと揶揄する奴は少なくなかったが、一条さんはむしろそれを補強するような言動を一貫してとった。まるで自分たちはそう言った関係だと見せつけるみたいに。
 だがその一方で、店長職はそのままスライドして、主任をしていた男が兼任する形で就任し、一条さんや俺たちの地位は変わらなかった。
 その頃はまだ、権力を持つには一条さんは若すぎたし、前任の店長の悪影響の色が濃すぎた。だから、あえて黒崎様が一条さんに目を掛けるのは若さと美貌のためであり、能力のために見出されたわけじゃないと印象付けたかったのだろう。
 男の嫉妬は醜い。地盤を作る前に足を引っ張られるのを回避するためには上手い手で、同性の上司にそういう風に可愛がられているという噂は、その後黒崎様から任された風俗方面の女性キャストに対してもいい具合に働いたようだ。女性キャストからは自分たちの理解者のように扱われていた。
 一条さんは本当に自分の美貌とその使い方を知り尽くしていたみたいで、実際上手く牙を隠していた。
 しかし、店長が新しい主任を選んで一年もしないうちに、その主任が商品の女絡みで飛んだ。その尻拭いをしたのが一条さんで、当たり前のように一条さんが主任へと昇格することになった。
 この人事にはスタッフたちの中に不満を持つ者もいたようだった。俺としてはこいつらあきめくらだなとしか思えなかったが、考えてみれば一条さんが牙を隠すことに長けていたせいだった。
 やがて正式に辞令が下った挨拶の後、俺は一番に一条さんの元に飛んでいって頭を下げた。
「一条さん、いえこれからは一条主任ですね。ご昇進おめでとうございます」
 俺が顔を上げると、一条さん……一条主任は少し驚いた顔をした。
「……ありがとうございます」
 驚いていたのは主任だけじゃない。どこかでこれまで一条さんを見下すのが当然だと思っていた連中もぽかんとしていた。しかし、この人事の意味が奴らにもわかったのだろう。あるいは何か違う誤解をしたか。次々にこれまでのことはなかったみたいに主任におべんちゃらを使う奴らが出た。
 おそらく俺が先陣を切って頭を下げたせいで、新しいポジションの位置取りをしやすくなったのだろう。
 俺は調子のいい連中に呆れながら、心の中でガッツポーズを取っていた。
 なんでもいい。これで働きやすくなる。上司を上司として見ないようじゃ命令系統にも齟齬が起きるからな。一条さんはこれから上に行く人間なんだから、周囲からもそう扱われてしかるべきだ。
 その日の昼休み、どこで飯を食うか、それとも弁当でも買ってくるかな、などと考えていると、一条主任に昼食に誘われた。
 大体同期どころか多少の後輩の中でも年下だということもあってか、普段あまり同僚と関わらないようにしている一条主任のお誘いなんて珍しくて、なんとなく浮ついた気分になったのを覚えている。
作品名:村上と一条の話 作家名:千夏