春宵恋景色
「・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・」
給湯室までの廊下でさえ人っ子一人すれ違うことも無く、湯たんぽをぶら下げて男二人、なんだか間が持たない。
無言のままそれぞれ湯を沸かし、二人分のポリエチレンの容器に湯を注ぐ。
さっきまでは散々古泉をからかっていたものの、家を出て以来久々の作業に加減がわからず、薬缶になみなみと残った熱湯を前に途方に暮れる。
はて、どうしたものかね。
「結構お湯余りましたね・・・・」
「まあ薬缶二つ分なんてこんなもんだろ、普通」
「はぁ・・・・」
いかん、先輩としてここは場を繋がなくては。
「・・・・・・・こ、古泉、飯は」
「残念ながらまだ・・・」
湯たんぽ初体験のお育ちの良さならカップラーメンに至っては未知との遭遇だろう。
「ちなみにカップラーメンは経験済みです、先週」
「思考を読むな、あと誇らしげに胸を張るな」
普通に喋ってるだけなのに爽やかで鬱陶しいとは一体どういう了見だ。
「先輩から誉められるなんて光栄です」
「お前に先輩って言われるとむかつく」
そんな、と傷ついたようなわざとらしい演技まで様になる。繰り返すまでも無いが大事なことなので二回言おう、心底可愛げのない後輩だ。
「よしじゃあお前とんこつな、俺カレー」
「・・・・異論は無いですが、何で僕の分まで」
なんか俺は今とんでもなくこってりしたものが食いたい、と思うのは十中八九お前のせいだからお前も脂肪を摂取しろ。
「あはは、滅茶苦茶ですね」
「先輩命令だ」
あと、あははって笑うな。
「・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・」
「3分、長いですね・・・・」
「頑張れあと1分30秒だ」
「はい」
カップ麺の前で座り込み、律儀に頷いてみせる姿が、子犬のようで不覚にも可愛いと思ってしまった。
「冗談じゃあない俺は猫派だ」
「えっ」
「・・・・・・・こっちの話だ」
冗談じゃない。
再び目を向けると、よほど疲れたのか、長い睫毛は伏せられ、うろうろと定まらない頭が揺れている。
倒さないように反対側へ容器を退けてやると、伸ばした腕に頭がすとん、と落ちてきた。
「おーい・・・・・・」
なんだこれ。
所謂腕枕、の、それよりもっと距離が近いような。
古泉が手のひらの方を向いているから辛うじていいようなものの、振り向かれたら顔と顔の距離が3センチも無い。
染めているのかと思っていた薄茶の髪の毛は、つむじまで均一なところから察するに地毛らしい、とか、柔らかそうに見えて意外とその髪質は硬いとか、やたら良いにおいがする、だとか、
そんなことさえわかってしまう距離だった。
いっそどこかの漫画みたいに手がゴムみたいに伸びて、あるいは首と手がバラバラになれば、とか、いやそれにしてもこの距離はちょっと色々倫理的にいや常識的に、やばい、気が、
「んんっ・・・・・」
ふと、腕に乗っていた重みが消える。
起き上がるのかと思いきやよりにもよって寝返りをうった古泉の顔は、
「え」
笑っていた。
ぴぴぴぴぴぴぴぴぴぴぴぴぴぴぴぴぴぴぴぴぴぴぴぴぴぴぴぴぴぴぴぴぴぴぴぴぴぴぴぴぴぴ
「あーあ残念」
「・・・・・・・・・え?」
さっきまで俺の腕の上で寝ていた男は顔を上げ、何事も無かったかのようにカップ麺の蓋をはがしている。
「まずはこっちをいただきます」
「待て待て待て待て」
おかしい。今のこれもあれもそれも徹頭徹尾まるっとおかしい。っていうかどれから嘘だ。
「待てませんし嘘じゃないです」
「衆人環視の会社で何を待たないんだそして俺はどうなるんだ」
「今日が夜勤でラッキーでしたよ、どうせ明日から連休で誰も来ませんから大丈夫です」
早く食べないと伸びますよ、と嘯く顔は今までとは別人だ。
「お前、いつから・・・・?」
さあね、とはぐらかすしたたかさは猫のようで。
「冗談じゃない、俺は猫なんか好きじゃない」
「さっきと言ってること逆じゃないですか・・・・?」
「うるさいそして近い」
「いいじゃないですか、夜は長いんですよ」
ふたりっきりですることといったらひとつじゃないですか、とやけに朗らかに返すこいつの顔を左遷覚悟で殴ってしまいたい。
「っ、ていうか、どこ触ってんだよお前・・・!」
「あっそれは言った方がよろしいですか」
冗談じゃない。
慇懃無礼を絵に描いたような受け答えも、何故だか嫌だと思わないし、
がっちり抱きしめて放さない腕も背中にあたる胸板もちっとも柔らかくないのに別に平気で、
「どうしよう・・・・」
いろんな意味で、冗談じゃない。
「とりあえず湯たんぽは要らなさそうですね」
「・・・・・・・!」
季節外れの春の雪、積もり積もるは誰の心か。